伊予山崎のお山
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下記写真の場所
  

渋滞解消の拡幅工事で快適になった、
国道56号線の米湊交差点。
案内は右折ばっかりだけど、伊予丘は左折します。



大谷池に向かってまっすぐな道。
道の両脇には、ため池がたくさんあります。
伊予市の平野は昔から旱魃の被害が多発したところです。
前山山地の山裾にはいまでも無数のため池が、
豊かな実りをもたらしています。

左を見ると伊予丘の森があります。
まるで盛り上がった緑色の泡のようです。



  

左へくぃっと折り返します。

目印は角に立つ「←伊予岡古墳」。



突き当たりが伊予岡八幡神社の山門です。
右に駐車スペースがあります。

伊予丘は“伊予市八景”のひとつです。

右に伊予岡古墳の解説があります。

  

史跡 伊豫岡古墳 愛媛県指定文化財

伊予岡古墳は八幡社殿の周囲に散在する古墳群であってその広大さにおいて県下でも数少ない典型的な古墳である。
総面積は約170アール(5300坪)に及びつくられたのは1400-1500年前だと推定される。
古墳の形は円墳及び、我が国独特の前方後円墳であるが社殿建築風雨戦乱等により長年月のうちに全壊又は半壊され中には全く原型を留めていないものもある。
又埋葬設備として横穴式石室及び竪穴式石室のも見られ石室の一部が露出しているものもある。
なお副葬品としての各種土器(主として食事や祭の時に使用する食器や祭器)も掘り出されており古墳の周囲につくられていた掘の跡も残されている。

由来伝説
当古墳は古代にこの地方で勢力を持っていた豪族伊予津彦の子孫達の墓であろうと考えられている。(一説には綏靖天皇の兄神八威耳命の子孫が伊予の司に任ぜられその者達の墓だともいわれている。)
土地の人々は古くよりこの古墳を彦塚とよびこの森を八ヶ森とも云い(現に境内には八ヶ森神社あり)八箇或は多数の古墳を神になぞらえて祭ったものと考えられる。
なお彦塚に対して姫塚も明治の末頃まで近くの米湊部落に現存していた。

古墳配置図及びその寸法

1

前方後円墳 全長約36メートル 前方長さ12メートル 幅9.9メートル 後円高さ3メートル 直径18メートル 古くより月陵と呼ばれる。

2

前方後円墳 全長27メートル 前方長さ9.9メートル 幅9メートル 後円周囲60メートル 高さ3メートル

3

円墳周囲60メートル 高さ3メートル

4

円墳周囲54メートル 高さ3メートル

5

前方後円墳? 全長16.7メートル 高さ3メートル 封土厚さ75センチ 石槨内長さ3メートル 幅上部78センチ 石槨の周囲は経3センチより15センチ位の扁平な円石を使って築造し天井石は角閃安山岩の柱状節理で、自然石を使用している。

6

東西16.7メートル 南北18メートル 高さ3メートル 周囲4.6メートル

7

周囲46メートル 高さ3メートル

8

発掘半壊せられてその跡に社殿を建てている。

9

全壊跡なし

10

円墳 石鎚神社と刻んでいる碑文や神社境内にも石槨石を使用しているものがある。

昭和23年10月28日指定 愛媛県教育委員会

神社の楼門は、嘉永2年(1849)に再建。
椿さん(椿神社)の楼門のモデルになりました。
にかっと笑う二頭の馬は楼門の中にいました。
アップで撮ったら、ちょっと…(^_^;)

こちらの狛犬も楼門の中に飾られていました。
古そうな雰囲気です。
そのほかにも、座像もありました。

57段の石段を登ったら-



伊予岡八幡神社の拝殿、左右に境内末社が鎮座しています。
伊予丘の周囲が田園地帯なので、とっても静かです。

狛犬コレクション、阿-

吽。

伊予岡八幡神社 叢の植物

昔の
伊豫の沖積平野や洪積台地はこの八幡神社の森にみられるような多様な自然植生であると思われる林内には胸高周囲2メートルを越えるマツ、ホルトノキ、タブ、クス、クロガネモチをはじめカクレミノ、カゴノキ、ヒメユズリハ、ツブラジイの老木が群生してタイミンタチバナ、シャシャンポ、モッコク、トベラ、イズセンリョウ、ヤブコウシ、サネカヅラ、アケビ等と調和した植生をみせ暖帯特有の植物群落を形成している。
記録した植物は44科93種におよび極相に達した自然林として貴重な存在である。

一木一草大切にしましょう
下記に注意しましょう

伊豫市教育委員会

二礼二拍手一拝。

拝殿左の杜にある末社の裏が古墳群です。

  

愛媛県指定文化財 記念物(史跡)

伊予岡古墳

伊予岡古墳は伊豫岡八幡神社境内に分布する大小10基からなる古墳群であり、県下でも数少ない曲型的な古墳群である。
総画積は約17000㎡におよび、1400年~1500年前の古墳時代(6世紀~7世紀初頭)に作られたと考えられている。
南西部の1基は「月陵(つきのみささぎ)」と呼ばれている。
「月陵」とその南西部に接して分布している古墳は、ともに古くから前方後円墳といわれているが、正式な調査は行われておらず、現段階では可能性の残る古墳としておくのが妥当であろう。
このほか、社殿の建築・風雨・戦乱等により長年のうちに全壊または半壊され、中には全く原型を留めていないものもある。
前方後円墳といわれる古墳の内部主体は不明であるが、他は横穴式石室を内部主体とする円墳である。

昭和23年10月28日 指定 愛媛県教育委員会

伊豫岡八幡神社の社叢の植物

この社叢は古墳群造営に伴う二次林であるが、この地方の昔の沖積平野や洪積台地は一帯にここに見られるような多様な自然植生であったと考えられる。
林内には幹周2mを超える モガシ(ホルトノキ) タブノキ クスノキ カゴノキ クロガネモチ ツブラジイの老木をはじめ、カクレミノ ヤブツバキ タイミンタチバナ シャシャンポ モッコク トベラ センリョウ マンリョウ ヤブコウジ サネカズラ ノダフジ アケビ テイカカズラ等が調和した植生を見せ、暖帯沿岸地方特有の群落を形成している。
ここには約40科90種以上の植物が自生し、この状態がほば変化しない自然林として貴重な存在である。

一木一草大切にしましょう 火気に注意しましょう

伊予市教育委員会

龍神社という小祠の脇を抜けて林の中に入ると-



木木の根元がいくつも凸っています。
これ、ひとつひとつが墳丘です。
休日などは近所の子供たちの遊び場になっています。

枝が合掌造りに組まれてました。
松山市埋蔵文化財センター裏の岩子山山中で、
同じようものを見かけました。
センターの出前考古学教室が行われた跡かも。

足元は落ち葉でふかふかです。
古墳は腐葉土でも守られています。

一番奥にあって一番大きい、
“月陵(つきのみささぎ)”と呼ばれる前方後円墳の上です。
直径は25m…、だそうですけど、墳丘はみんな繋がってるので、
25mより大きくも小さくも見えます。
頂上はビニール紐で区切った跡がありました。
ゴミも転がってるけど。
よくよく考えると、
古墳の上を自由に歩けるところは珍しかったりします。

小さな祠が祀られてる墳丘もあります。
それにしても、とっても豊かな森です。
伊予丘の外には木がまるでないから、
木にとってもここはオアシスです。


境内へ戻った後、裏(北側)へ下ってみました。

こっちにも石段があります。



鳥居をくぐると-

畑にでました。
ここに繋がる大きな道は無いみたいです。
右の土手沿いに付いた踏み跡をたどりました。

アザミをアップで。
葉っぱのトゲトゲはズボンの布を楽楽突き抜けるので、
登山道では出会いたくないお花です。



農道と出会ったところで-

土手を斜めに上がれる道、発見。
廻りにいっぱい咲いてる黄色い花を-

アップで。

  

伊予丘に隣接するため池、八幡池です。
水面が周囲よりかなり高いため池の水は、
谷上山を源とする稲川の水を溜めています。
土手の上をちょっと歩けば-



角に排水路があって、その手前の草むらに-

「松本」四等三角点があります。



  

伊予市の前山山地を眺めながら、
土手の上をずっと歩いて神社の前まで帰りました。
写真左は谷上山、右端は明神山。



楼門直前に宮司さんのお墓がありました。

「奥津城!?  城!?」
伊予丘にお城があったのかと思って撮影しましたけど、
奥津城は“おくつき”と読む、神道式の墓のことでした。

ひとりごと

伊予丘は谷上山の展望台から見ると、平野のまっただ中に取り残されたホクロか小島みたいに見えます。
古墳ができた神代の頃もやはり、草むらに浮かんだ小島のようだったのかな?
それとも、偉い人を葬るために土を盛りに盛って、小山になったのかな?
よくよく調べてみると、伊予丘を形成する赤土は、70万~100万年前の地層・洪積層に属し、周囲の地層とは異なるんだそうです。
伊予市の内陸まで海が浸食してた時代は、ホントに小島のように波間に顔を出していたのかも。

古墳は、本殿の裏から出土した須恵器を元に、6世紀頃にできたと推測されています。
埋葬されているのは、豪族・伊予津彦(いよつひこ)の子孫達だろうと云われています。
で、伊予津彦って誰なんでしょう?
調べてもよく分かりませんでした。
でも、1400~1500年前につくられたお墓がいまの時代まで残ってるなんて、たいしたもんですよね。
伊予市のピラミッドじゃ。

八幡神社を訪れた時、先に石段を登って行かれた老夫婦が、拝殿に上がり、神拝詞だか祝詞だかを捧げておられました。
それが、よく聞く、“祓へ給へ 清め給へ”みたいなのじゃなくて、呪文みたいに聞こえて、ちょっと不思議でした。
あれが宇佐/八幡神宮系の祝詞だったのかなぁ?
なにより、直前までまるっきり世間話をしてて、「あ、時間や」と、急に切り替えたのが、とっても人間くさくて面白かったです。
神社の祝詞には言霊があって、言葉自体に力があるんですよね。
幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)、守りたまえ、(さき)はえたまえ」とか。
お寺のお坊さんは般若心経とかお経を暗唱しますが、神社の神職さんは紙に書かれた言葉、祝詞(のりと)を音読します。
祝詞は大抵、似通った文章です。
何度も唱えてるので、暗唱も可能だけど、それはしません。
祝詞を広げて、文字を目で追いながら奏上するのが正式な作法です。
祝詞は、神様に奏上、お願い申し上げる言葉だからです。
紙に書いた言葉を読むことにこそ、意味があるのです。

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