山頂いっぱいに木のデッキが拡がる展望台と東側には東屋があります。
東屋の横には淡路ヶ峠の解説と、
「淡路ヶ峠 海抜二百七拾参米」と刻まれた石柱が立っています。
2013年再訪時、東屋の裏の様子です。
砂防ダム奥ルートが開通、東屋裏まで繋がったことから、
雑木林もすっかり整理され、奥道後方面の山並みを望めるようになりました。
淡路ヶ峠 |
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標高275mの淡路ヶ峠は、東方に金毘羅街道・四国の霊峰「石鎚山」、南に土佐街道・久万山、南西には、大洲街道・伊予地区、西方はるか瀬戸内海の島々、北方には高縄連山を展望する位置にあり、また眼下には松山城を中心に、県都松山が展望できるすばらしい景観の山頂である。 |
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平成10年2月 淡路ヶ峠ハイキングコース整備工事完成に当たりて記す。 |
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2013年時、こちらにも赤青看板。
東屋から見たデッキ。
展望台の前の木がまだ低いので、
西向きに180度の大眺望が楽しめます。
なのに、いつ来ても誰もいなくて、
クロアゲハのカップルがいちゃいちゃ翔んでるくらい。
おかげでパノラマを独り占めです。
靴底が当たるとトコトコ音がする木のデッキに上がると-
文句なしの大パノラマ、松山平野を一望できます。
パノラマ・スポットはいろいろありますが、
ここ、淡路ヶ峠が一番だと思います。
噂によると、夜景も綺麗だそうです。
真っ暗な山道を歩く勇気がないので、僕は見たことないけど。
デッキチェアでも持ってきてゆっくり眺めていたいパノラマです。
山頂はいつも風が吹いています。
帽子など飛ばされないように。
南の方、砥部・伊予市方面の山並みをアップで。
(写真左から)引地山から三坂峠を挟んで黒森山、上尾峠の凹みの左に北ヶ森、
右に水梨山、コクゾ峰、頭ひとつ高い障子山、
その前に伊予市の前山連山の白滝山、ひばりが峰。
行道山、谷上山、牛ノ峯、明神山、
双海の海岸線にそびえる壺神山、滝山などなど、
空気が澄んでたら長浜まで弓なりの海岸線もばっちり。
北西方面、城北寄りをアップで。
(写真左から)松山城、沖に興居島の小富士、太山寺山塊の岩子山、経ヶ森、
奥には中島、手前に御幸寺山、姫原丘陵。
写真右寄りの小さな森は道後公園の湯築山。
茶色いマンションがやたら目立ちます。
上の写真より北寄り、伊台方面を中心に。
道後温泉のホテル・旅館街から右へ、道後山、国見山、高塔山、勝岡山、手前に石手寺の愛宕山、巨大お大師さん像がいらっしゃる常光寺山。
写真左奥にそびえるのは高縄山、大月山。
写真中央から左に延びる緑の筋は石手川。
眼下は東野、石手、溝辺町、この辺りもすっかり宅地開発されて田畑はあまり見えません。
星岡山、天山、土亀山、東山。
垣生山、弁天山、大峰ヶ台、岩子山。
沖の小島は由利島、その右方の島影は山口県の屋代島。
松山城の周りはビルだらけ。
山頂に電波塔が立つ伊台の高塔山、奥は国見山。
中央の一番高く見えるピークが大月山。
高縄山は奥にあるので、大月山より低く見えてます。
繁多寺横の着水地を見下ろして。
畑寺交差点辺り。
展望台から少し南へ下った場所から見える石墨山。
計算上では石鎚山も見えるはずですが、
雑木が邪魔で困難です
三坂峠の奥に見えた大川嶺と笠取山。
上尾峠の左が向山、右が水梨山、その手前に千里城山。
手前のふたコブ山が大友山。
奥のかすんだ山並みは、小田・河辺の峠・笹峠辺り。
夕暮れ時に訪れるとこんな感じに。
黄昏色の砥部・伊予市境の山並み。
沈みかけた陽の光で海が黄金色に輝きます。
展望台西側の雑木林も整理されてました(2013年)。
2013年に再訪したときは少しモヤがかかってしまい、
海の方角が真白くなってました。
東野、畑寺辺りの田畑は以前に比べ、
宅地化が進み、緑が少なくなった気がします。
ひとりごと | ||
淡路ヶ峠は何度登っても気持ちのいいお山です。 さて、淡路ヶ峠という名前でいまは通っていますが、明治時代の地図では「淡路山」という表記も見られます。
21日、大三島の大山祇神社を参拝、28日、松山を離れました。 ちなみに、水呑百姓から総理大臣まで出世した伊藤博文は、関白まで成り上がった豊臣秀吉にならい“今太閤”などと陰口をたたかれたり、本当は捨て子だったとか、財力を使って家系を改ざんしたという悪口を叩く人もありました。 伊藤博文が暗殺されていなければ、博文との由来を刻んだ石碑なども建てられて淡路ヶ峠も注目度がアップしてたかも。 しばらく忘れ去られていたかのような淡路ヶ峠が平成の世になって登山道が整備され、展望台もできて、人気のお山になりつつあります。 麓の変電所から東へ延びる送電線を追いかける巡視路が淡路ヶ峠の裏の宝ノ谷から宝ヶ峯や芝ヶ峠、倉谷山、観音山の峰峰へと続いています。 |
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