淡路ヶ峠へ行こう!
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繁多寺~山頂
距離 約1.3km
標高差 約220m
国道・県道
一般道
林道・農道・私道
徒歩
下記写真の場所
送電鉄塔・アンテナ施設
見晴らしあり
みかん畑
危険・行き止まり

県道40号線・東部環状線にある、畑寺交差点から見た淡路ヶ峠です。
畑寺バス停もパチンコ屋さんの広々とした駐車場から淡路ヶ峠がよく見晴らせます。

淡路ヶ峠に向かって東へ。
住宅街もあり、溝辺方面からの抜け道になっているので、
自家用車にトラックに意外なほど、車が行き交っています。

  

信号から200m弱にある交差点。
大抵の車は左の方から曲がってきます。
松山変電所の登山口は左の方にあります。
目指す繁多寺はまっすぐです。



もう100m進んだ三叉路に社の森があります。
三島神社と桑原八幡神社です。
10月5~7日の松山秋祭りでは、
なんと大人御輿14体、子ども御輿23体が宮入・宮出しされます。
道なりに右の方へカーブしつつ-

登る坂はくねくねとして、高みへ誘います。

この坂は繁多寺を発し石手寺を結ぶ遍路道。
同時に四国のみちです。

  

ちょっと登っただけでもぐんと視界が拡がります。



  

坂を登り切ると丁字路があります。
淡路ヶ峠の登山口は左です。

その前に、まっすぐ行って繁多寺へお参りします。

丁字路の脇にある緑色のため池は北谷池。
行き止まりに繁多寺の山門が見えています。



駐車場にアイスクリーム屋さんが店を出していました。
歩き遍路さんにはお接待もあるかも。

  

「四国のみち 松山東」四国のみちの案内版です。
右下の張り紙は「駐車場での置き引きに注意」。

境内に隣接したため池があります。
北谷池とは違い、きれいな水がどんどんと流れ込んでいます。

正しくは「松山・松前地区工業用水道」。
「道前道後水利総合開発事業」の一環で、
昭和34年度から国庫補助事業として建設に着手、
昭和39年度に完成したものです。
松山、松前地区の臨海工業地帯の工業用水のほか、
農業用、発電用にも用いられています。
源は面河ダムです。
地下水路を通って3つの発電所でタービンを回しています。
桜三里の千羽ヶ嶽の麓にある中山川の貯水池に一旦溜められ、
また地下水路に入り、この着水池で一息つきます。
地図にも面河ダムから延延と青い点線で描かれています。
畑寺浄水池の浄水施設は一段下がったところにあります。
ちなみに、沈殿池でたまった土は園芸用などに販売されています。
元元、上水なのできれいな土です。

繁多寺

 四国八十八ヶ所50番札所で、本尊は薬師如来である。
 寺伝によると、孝謙天皇の勅願により、天平勝宝年間(749~756)に僧行基が開創したという。
このとき、天皇から数流の旛を賜ったので「旛多寺」から「繁多寺」と呼ばれるようになり、「畑寺」の地名も生まれたという。
 『一遍聖絵』によると、正応元(1288)年、一遍上人が、最後の遊行に出る前に大宝寺や岩屋寺を巡拝して当寺に三日間参寵し、そのとき、亡父如仏の追善のために三部経を奉納した。
 応永元(1394)年、後小松天皇の綸旨を受けて京都の泉湧寺からま当山第七世住職となる快翁宗師が下向し、以後多くの高僧が来住した。
盛時には末院が120か寺に及んだという。
 当寺の梵鐘は元禄9(1696)年の銘があり、あらゆる階層の人々百人の寄進によって造られた寺宝である。
また、徳川将軍家綱の念持仏であったという大聖歓喜天を祀っている。

松山市 松山市教育委員会


四国八十八ヶ所50番札所、東山瑠璃光院繁多寺。
緑に包まれた境内は、観光客で賑わう石手寺などとは趣が異なります。
バスでわっとやってくるバス遍路がいないときは、
歩き遍路さんらがたまに来るくらいで静かです。
山門をくぐって左にトイレ、地蔵堂、納経所がある方丈があり、
右にはベンチが置かれています。
正面奥の一段高いところに-

本堂があります。
右に鐘楼、左にあるのが-

歓喜天堂。
左右に弁財天、毘沙門天のお堂もあります。

本堂の右に建つのが大師堂です。
裏山にお堂もあるのですが、現在は立ち入り禁止。

境内からお山を見上げて。
ここからも見える送電鉄塔を繋ぐように山頂を目指します。

  

ベンチ横の生け垣から着水地越しのパノラマを。
障子山など、砥部・伊予市境の山並みのほか、
星岡山(星の岡)が家並みからぽこっと顔を出しています。

寄り道終了、登山道へ戻ります。

  

手前にあった丁字路へ戻り、曲がります。

農機具小屋の間を抜け-

道は右へ曲がります。
正面の尾根に登れる小径は立ち入り禁止。

右に曲がった後、木立の中をくぐり抜け-

みかん畑に覆われた谷に入ってゆきます。
左の尾根に見える送電鉄塔は変電所ルート沿いに立っています。
ここからのルートは右の尾根沿いに登ります。



  

いよいよ急坂になるところに無人販売所。

脇の木に下がる「淡路ヶ峠道」。

写真で見るより急な坂をえっちらおっちら。
これからたどる右の尾根も見えてきました。
さっきから見えてる左の尾根の鉄塔は中継用アンテナ施設で、
そこに至る階段は-

軽トラの主が除草作業中でした。

秋から冬にかけてはこの通り、階段が現れています。



  

下の無人販売所から100m登った丁字路を右折します。

目印は写真の小屋とその角にある-

「淡路ヶ峠道」。

  

大峰ヶ台、弁天山の丘陵地がビル群の向こう、かげろうにゆらゆら、揺らめいていました。



木陰を抜けたら農道は行き止まり。

登山口に到着です。
小屋とモノラックのレールの目前に小さい広場があります。
市有地ですので駐車は厳禁です。

  

レールをまたいで階段へ。

みかん畑から離れるとすぐ、土の道。
踏み跡はとても明瞭です。

右の林に立つ「通り抜けおことわり」の看板。
道の右の林は繁多寺の寺有地です。
どんな用があるのか知りませんが、立ち入らないように。

尾根に出たら緩斜面に。
茂みはちょっと濃いめです。

鳥たちのさえずりを聞きながらの山歩道。
倒木をくぐったりしながら-

谷を大きく右へ横切り-



尾根に出たら、左にカクッと曲がり、
尾根をたどる坂道に変わります。
直進するかすかな踏み跡に入らないように。

ちいさくジグザグ刻みながら登ると-

表土が洗われて岩肌が露出していたりします。
尻もちつくと痛いので、滑らないように。

標高も150mほどになり、松山平野の石手川以南が見渡せました。
昔、“拓南”の意味を訊ねたら、“拓”は手へんに石と書くので石手川の南の土地という意味だと教わったことがあります。

日当たりのいい場所にシダが目立ち始めました。

傾斜が落ち着いて間もなく-

南斜面にあるみかん畑の境を示す柵が現れました。
ワラビ採り(山菜泥棒)の侵入を防ぐためのものです。
淡路ヶ峠はすべて私有地です。
登山目的の入山までできなくなる恐れがあります。
登山道を外れないようにして下さい。



道標と案内図がある5合目に到着しました。
松山市がハイキングコースを整備した際に設置されたものです。

「←5合目 山頂まで490m」
高さの5合目ではなく、距離の5合目です。

  

「淡路ヶ峠ハイキングコース案内図」



5合目からすぐに「石井連絡線No.4」鉄塔に出会います。

見上げて-

覗いて。

キレイに刈られた敷地を縦に抜け-

道の入口に立つ「6合目 山頂まで390m→」。

また柵で区切ってありました。

隣の木を飲み込んでます。
ポプラなんかがガードレールと一体化しちゃう、
「取り込み現象」ってやつです。

  

ちらっと見えた南側の眺め。
眼下は鷹ノ子、久米窪田、奥は高井、恵原。
一番奥の峠は三坂峠。



そしてまた鉄塔の下へ。

「松山幹線No.45」の送電鉄塔です。

  

南に向いて開けています。
写真右にあるのは“峠(とう)”の仲間の芝ヶ峠。
芝ヶ峠の手前に立つ送電鉄塔へと繋がる巡視路がここから分岐していて、
その道は泉ヶ谷に一旦下ります。
このルートは「泉ヶ谷から」でご紹介します。

巡視路の案内杭に従って山頂へ。



ほぼ稜線に乗った頃、「7合目 山頂まで260m」の脇にある-

ベンチ。
街に向かって並んでいますが、植林に遮られ、なにも見えません。

立ってる方がまだよく見えます。
いままで見えてた景色より、更に拡がり、
奥行きが感じられるようになりました。

植林作業用のモノラック。
レール沿いに木の階段。
ハイキングコースっぽくなりました。



  

植林帯の木陰に入って、巡視路が左下に分岐する場所に出会います。
左下に下る道は松山変電所からの巡視路・登山道です。
変電所から」でご紹介します。

「3→」「46→」が変電所方面。
「←4」「←45」がいま登って来た道。

分岐に立つ道標。
「8合目 山頂まで200m→」。

植林を出て、陽が差す稜線歩きに変わり、
「←山頂まで140m」まで来ると-

またベンチに出会いますが、また景色は遮られて見えません。

といって、無用に木を傷つけないで下さい。
山頂はもうすぐです。
溜まりに溜まった不満が吹き飛ぶほどの
パノラマが待っています。

「9合目 山頂まで80m→」って、
もうほとんどカウントダウン。



「←もうすぐ山頂 山頂まで50m」。
最後の登り坂の階段。

山頂目前でクランク状に2度曲がります。
まず左に直角に曲がり-

すぐに右に曲がりますが、その手前に-

小さな祠が祀られています。
合掌。



淡路ヶ峠山頂に到着しました!

ひとりごと

淡路ヶ峠に初めて登ったのは2006年11月。
山頂から見えるパノラマのすばらしさに惚れ込んで、以来、毎年一度は登っています。

2006年に初めて登るまで、こんなに簡単に登れるとは思っていませんでした。
けもの道ぐらいはあるだろう、ちょっと覚悟して家を出ました。
でも、案ずるよりなんとやら。
パノラマを充分堪能してもなお、日没にはまだ早かったので、繁多寺に下った後、裏の宝ノ谷に向かい、別のルートで登り返しました。
あの時以来です、ひとつのお山を複数のルートで登り返すクセがついてしまったのは。
“すべての登山道を歩きたい”癖です。
でも、まだ歩けてないルートがいくつかあります。

西向き、南向きの日当たりのいい斜面は大抵、みかん畑に利用されてる淡路ヶ峠はほとんどが私有地です。
山裾にある農道に入り込めば必ずと云って良いほど、立ち入り禁止の看板や柵が目に入ります。
次の写真はの農道を曲がらずに直進した行き止まりで撮ったものです。

「ここは淡路ヶ峠の登山道ではありません、みかん山(私有地)につき入山禁止。 地主」

丁字路で曲がり損なった人が入り込んでしまったことがあるのでしょうか。
それとも、新ルートを開拓して自慢したい・ほめられたい迷惑野郎が侵入し、地主さんに迷惑かけたのかも知れません。

でも、もっともな理由は、マナー無視の山菜採りでしょう。
山菜は家族で食べる分だけを採るのがマナー。
冷凍したら保つからと一度に大量に採ったり、(頼まれもしないのに)近所・親戚の分まで採る、なんてのは、山菜泥棒の一歩手前。
最悪なのは、袋いっぱいに採った山菜を直販所で売ったり、食べ物屋でお客に出して金を取ってる輩。
上でも書いたけど、山菜泥棒のせいで健全な登山者まで入山禁止になる可能性は無きにしも非ず。
日本に誰のものでもない土地はありません。
他人の土地で遊ばせてもらっているという意識を、くれぐれも忘れないようにしたいものです。

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