淡路ヶ峠へ行こう!
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東野~宝ノ谷登山口~鶴ヶ畝尾根
距離 約200m
標高差 約60m
一般道
林道・農道・私道
徒歩
下記写真の場所
送電鉄塔・アンテナ施設
みかん畑
  

県道40号線、東野バス停、伊予銀行東野支店がある交差点。
写真左(北)に曲がれば石手寺、右(南)に曲がれば畑寺・久米。
エフコの横の道を東へ進みます。
※2010年末、エフコ東野店閉店。



  

山に向かってゆるい坂道が続きます。
カーブミラーが立つ丁字路の左には東山神社。

東野焼狛犬

松山市指定有形文化財(工芸品)
昭和52年3月25日指定

 東野焼は、松山藩のお庭焼と伝えられている。
 この焼物の名は、明和年間(1764~1788)につくられたという『松山往来』にみられる。
また、元禄15(1702)年に僧曇海が著した『玉の石』の中でも、道後名物の一つとして、東野焼茶碗が紹介されている。
 しかし、東野焼は、窯跡や伝世品も発見されておらず、現在、幻の焼物といわれている。
 この狛犬は、銘文を有する唯一の作品として有名である。
像全体に鉄釉が施され、茶色に発色しており、備前焼に似ていて、造形的にも優れている。
像の背中には、ヘラで、「奉寄進 獅子二疋之内 元禄十丑2月24日 波賀氏藤原伴明」と刻み込まれている。


「東野遺跡絵図」。
東野にあった東野お茶屋について描かれた古図を、
桑原中の生徒が模写したものです。

ちょっと寄り道。
東山神社前の丁字路を曲がり、住宅街の奥に見えるこんもりと茂る森を目指します。
建て売り住宅の間の小径を土手の上へ登ると-



木に囲まれた池があります。
松山藩主松平定行の隠居所跡、通称・東野お茶屋跡です。
当時、庭は東海道五十三次の宿場を縮少した造りで、
池は琵琶湖に似せて作られたそうです。
道後村めぐりの郊外コース18番です。
正岡子規が詠んだ「閑古鳥かんこどり竹のお茶屋に人もなし」の句碑があります。

訪ねたのは夕方時。
水鳥がのんびり、水面に波紋を拡げています。

ご近所さんの散歩コースになっています。

敷地にある農協神社です(2010年春撮影)。



2010年に再訪してみたら、丁字路に-

「淡路ヶ峠入口←500m」の看板が掲げられていました。



  

県道の交差点から1km。
住宅街を抜け、道なりに進めば、淡路ヶ峠の山裾、
宝谷池の土手の下、宝ノ谷口にたどり着きます。
左の二車線の道路は農道で一番池・泉ヶ谷、溝辺団地方面へ通じています。
宝ノ谷登山口は前方のガードレールがある坂道へ進みます。

※この場所も再訪すると-

「淡路ヶ峠入口420m→」の看板。

  

さらに、2013年に再訪すると、
新たな登山道が書かれた地図看板が
増えていました。

  

右に宝谷池と淡路ヶ峠の北尾根・鶴ヶ畝尾根の末端を見ながら進むと-



今度は左に、ボーイスカウト松山第12団の野営場。

傾斜を利用したテント・サイトが設けられています。
でも、道を挟んだ向い側には粗大ゴミ状の資材置場があり、
キャンプ気分を少々害する光景が残念だったりします。

  

その先にある丁字路に建つ小屋には、
大きな字で書かれた「ゴミを捨てるな!地主」の看板。
山影に家庭ゴミから家電まで不法投棄が多いのです!
困ったもんです。
神様仏様、自分様も見てるぞ!

ちなみに、右折した山裾にも登り口があります。
作業道が尾根下までありますが、
尾根から「北松山線3番」鉄塔までの道がありません。



  

丁字路から100mちょっと進むと、
左に退避余地、右に柿や電柱がある畑跡があります。
ここが宝ノ谷登山口です。

巡視路の案内杭もあります。
送電鉄塔への巡視路を登山道として登ります。

…初めて来た2006年頃は案内杭以外になにもありませんでしたが…

とてもわかりやすい案内看板が立てられていました。(2010年撮影)

「淡路ヶ峠 展望台まで約880m→」

けれど、2013年に再訪すると、この登山口はまた巡視路に戻り、
新たな登山口が、奥の砂防ダム脇に新設されていました。
けれど、ここからも登ることはできます。
ここに駐車して新しい登山口へ行くより、近いです。
どうして、新しい登山口が必要になったのか、ちょっと謎です。

駐車場はそのまま利用できます。(以降、2013年撮影)
駐車場の奥に-

「ガンバる赤シャツコース」の看板がありました。
地図看板にないコース名で、立てた人が違うのかな。

巡視路も、歩く人が減ったせいで、
草が伸びてるほかは変わりなし。

新しい登山口のある砂防ダムの方へ向かいます。
Z字に上って砂防ダムの上に出る車道を上り、
ふたつめの角に-



新しい登山口ができていました。

下にあった案内看板もこちらに移設済み。

  

宝谷池の入口にあったのと同じ地図看板の横向きバージョン。
赤いラインがこのルートだけど、間違っています。
第2鉄塔には接続せず、第1鉄塔の上で桑原中裏ルートと合流します。

入口はガードレールと擁壁の隙間。

竹製の丈夫な善人杖も多数用意。

急な坂は階段状に削ってあります。

フラットになった道を奥へ進むと-



程なく、下からジグザグ登ってくる巡視路と合流します。

ここから先はそのままです。



ジグザグっと登ります、曲がって-

曲がって-

この先でも曲がって-

高度が増すにつれシダが目立ち始めます。
松山東部のお山は隙あらばシダが繁茂してます。

東に宝ヶ峯を見ながら大きくジグザグと高度を稼いでると-



数分で鶴ヶ畝尾根に出ます。

  

道は丁字路に分かれています。

以降は、桑原中からのコースと同じ、鶴ヶ畝尾根を登って行きます。

ひとりごと

繁多寺側の登山道についでよく利用されているのが、この鶴ヶ畝(つるがせ)の登山道です。
鶴ヶ畝というのは明治時代の地図に出てくると上でも書きましたが、 陸軍が作成した松山市街図に登場します。

淡路ヶ峠の名はありませんが、鶴ヶ畝と宝ノ谷、そして宝ヶ峯の名前が記載されています。
宝ノ谷も宝ヶ峯も、現代の地図には見られませんが、谷の出口にあるため池・宝谷池にのみ、“宝谷”の名前が生きています。
一体どんなお宝があったんでしょうね。

宝ノ谷の砂防ダムの奥の巡視路は訪問当時はとても荒れていて、下るのが大変でした。
そのほかにも実は山頂に至る谷道があったりするのですが、巡視路みたいにキレイな道ではないので紹介はしないでおきます。
宝ノ谷から登るのは道標のある登山口からにして下さい。
なお、駐車スペースですが、登山口の前に2台ほど。
道の奥にはみかん畑もありますので、道を塞ぐような迷惑路上駐車は絶対しないで下さいね。

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