経座ヶ森・皿ヶ森
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皿ヶ森・山頂へ
距離 約650m
標高差 約150m
林道・農道・私道
徒歩
下記写真の場所
送電鉄塔・アンテナ施設
注意・その他
  

14番鉄塔手前の丁字路に戻り、
13番鉄塔に向かう巡視路へ。

「←13」へ。
この先、道は右に折り返して尾根に向かいます。



  

鉄塔の上方の尾根に出ると、
巡視路は尾根から右にずれ、木立に突っ込みます。
木立を抜けたら-



  

巡視路と登山道が別れます。
13番鉄塔は右方向の尾根にあるため、ここで別れます。

13番鉄塔への道巡視路。
13番鉄塔から尾根を登ることも可能です。
でも、今回は近道で。

  

別れを直進し、また茂みへ突入。
凹んだ踏み跡をたどります。

  

両側から枝葉が迫る中で、丸太を前にして、
道が左にくぃっと折り返します。

茂るほどにますます見えにくくなりそう。
折り返したらまっすぐ登り-



  

三度、尾根と合流。
尾根に沿って右折する踏み跡をたどります。

先人が遺した赤テープも導いてくれます。

尾根がなだらかに裾拡がりする場所は下山する時に迷いやすいので、
マーキングしておくと下山時、安心です。



13番鉄塔に連なる尾根と合流しました。

  

左にかくっと曲がるので、赤テープを目印に付けておきました。
巡視路を13番鉄塔まで進んだ場合、
写真右の方から尾根を登って合流する形になります。
もしかすると、13番鉄塔を経由するルートで、
別の人が付けた赤テープ等があるかも知れません。

北へ向かいます。
最初はなだらかで、雑木が濃いですけど、なんとか歩けます。



傾斜が増します。
それに合わせるように、木が混んで-

倒木も邪魔してくれたり、夏に歩くのは大変そう。

  

木々の間から皿ヶ嶺連峰の東方が望めました。
新緑過ぎれば見えなくなるでしょう。

  

石墨山、法師山をアップで。



目の前から急に“斜面”が無くなったと思ったら、
皿ヶ森のお皿(平坦地)の端っこに到着です。
お皿の中に入る前に、できたら身近な立木に、
下山場所の印として赤テープとかマーキングしておきましょう。
帰りにきっと役立ちます。

平らかな部分は楕円状に結構広くて、
植林と自然林が混ざって森を形成していました。
木がいっぱい生えたこのような平坦地は、
方向音痴な人でなくても、意外に迷いやすい場所です。
まっすぐ歩いているようで、木を避る度、意外とずれてしまいます。
下るべき尾根や降り口を間違えてしまうことがあるので、
ここもできたら、点点と目印っておけば安心です。



お皿の北端は、稜線や尾根っぽい、幅の狭い地形になります。
写真中央の木がなんだかネジネジ…。

ネジネジをアップで。
スパイラルぅ~!



岩がひょこひょこ露頭してる場所で-

古そうな石積みがありました。
雨乞いを記念して祀られたようです。

自然石を積んだような素朴な石積みです。

「雨乞記念」と彫られてます。

サイドは「昭和九年八月」の文字。
昭和9年は日本中が大干ばつに見舞われた年でした。



尾根らしい狭さに戻った尾根を北へ、登ります。
尾根の上は倒木以外の邪魔者は少なめ。

  

すき間から、松山自動車道が見えました。
川内トンネルと桜三里PAの中間辺りです

松枯れした大木を避けて進めば-



皿ヶ森山頂に到着しました!
西側の林は濃く、東側が比較的に植生が薄めで、明るい山頂です。

山頂には境界の杭が並んでいます。
測量の紅白ポールも残されてます。

  

東側に拡がる、冬枯れた季節だからこそのパノラマです。
写真左が石鎚山、中央に石墨山。

  

石墨山が見えやすい場所へ移動して。

  

石鎚山をアップで。

  

石墨山、法師山、白猪山もアップで。

ひとりごと

13番鉄塔への巡視路を離れてからは、ちゃんとした道はありません。
尾根を延々たどる感じで山頂まで登りました。
山頂から南へ下る稜線(尾根)部分は雑木林っぽくて、上でも書きましたけど、混んだ立木は夏になったら手強いかも。
登山口周辺の土砂崩れとか、砂防ダムで林道が寸断されたり。
余計、皿ヶ森に入山する人が減れば、尾根にかろうじて残る踏み跡もヤブに埋もれてしまうでしょう。
そしたらもう、泳ぐように木立をかき分けなきゃならなくなり、遠いお山の仲間入り。
でも、お山の所有者さんからしたら、山火事とかゴミとか山菜泥棒とかの心配しなくても済むので安心かな。

経座ヶ森もですけど、見晴らしのいい場所はそうそうありません。
枝葉のすき間からやっと、石鎚山や石墨山が拝める程度です。
登ったり下ったりを楽しみました。

尾根に出て、山頂までもうなんにもないと思ってたら、雨乞記念の石積みに出会いました。
石に彫られていた昭和9年は、東北では不漁や相次ぐ冷害で凶作となって飢饉が発生しました。
秋には、室戸台風が上陸。
四国や九州で死者不明者3036人、負傷者1万4994人、家屋被害9万2740軒に及ぶ惨事が発生しました。
梅雨時の5月から夏の終わりの9月始めまでの間、愛媛や香川ではろくな雨が降らず、大干ばつになりました。
北野田と南高井の農民が泉の水をめぐって大喧嘩をし、警察沙汰にまでなったこともありました。
ホントに大変な年だったようです。
その時、この一帯の谷川も涸れ果て、麓の村人が皿ヶ森に登って雨乞い祈願をしたんでしょう。
雨を切実に願い、積んだ石は、75年経ったいまでも崩れることなく、当時のままの姿をとどめてます。
石に彫られた文字が素朴です。
ちなみに、昭和9年は大干ばつの他に、瀬戸内海が初の国立公園指定された年です。
また、映画『俺たちに明日はない』で描かれたボニーとクライドが射殺されました。
忠犬ハチ公の銅像の除幕式があったのも、昭和9年でした。

山頂は南北に長く東西に狭いピークでした。
皿ヶ森の名前らしく、もっと平らで広々としてるのかと思ってました。
平らかな部分は山頂の南側だけでした。

さて、当初の計画では、そのまま稜線を北へ進み、標高700m辺りで西進し、経座ヶ森のピークへ行く予定でした。
でもそれは、沢沿いの林道が健在なのが前提でした。
けれど、沢が荒れ放題だったので計画変更。
素直に下山することにしました。
お昼も過ぎちゃってたし。
「↑経座ヶ森」の案内が立つ登山口も見つけてしまった以上、ちゃんとコース・タイムを計りたかったし。

登りで苦労した道も、下りはあっけなく、沢まで降りられました。
知らないお山はいつもそう。
登りはまるで答え探し。
正解(登山道やコースガイド)がないお山は、探してる時はくじけそうになるくらい辛い。
けど、答えが見つかった時は、得も言われぬ快感があります。

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