気多山・八辻ノ森
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国道・県道
一般道
林道
徒歩
下記写真の場所

国道494号線を利用し、黒森峠越えで旧面河村へ向かいます。
高度が増すにつれ、紅葉した木々が目立ち始めました。
路肩には落ち葉がもう積もりまくってます。
向かいの山の紅葉したところは自然林が残っているところ。
緑の場所は人工林。



唐岬の滝遊歩道入口がある左急カーブ。
石墨山の登山口もこのカーブにあります。
写ってる石碑は漱石の句碑。



則之内交差点から16kmで、標高985mの黒森峠、川内側。
写真中央の砂利道は林道割石線。
峠を越えた-

久万側はこんな感じです。
ちょっとした広場があったり、トイレもあります。
トイレの横には割石東山への登山口があります。
道は面河ダムまでずっと下り坂。
途中、小網という小さな集落があるだけで、
ほとんど森林の中を下って行きます。



黒森峠から5.4kmで面河ダム湖畔の丁字路。
道はここで面河ダムを挟むように二手に分かれます。
国道は左へ。

ダム湖のほとりで小休止。
今夏の渇水の影響でいまだに水位が回復してなくて、
水際から遠いボートがなんだか淋しい。
写真左に頭を出しているお山が、
これから向かう気多山の東にある大ノ森。

笠方公民館に大きな銀杏がありました。

見事だったので、寄り道。

湖畔から離れて少し走ると、正面に堂ヶ森が。

頂上の反射板ですぐ分かりました。



渋草の数根尾(かずねお)地区まで来たら、
大成(おおなる)の入口はもうすぐ。



  

面河支所(旧面河村役場)から300mほど手前の、
里成地区にある、割石川に架かる新杣川橋。
渡ってすぐ左に大成への入口があります。

「四国最後の秘境 落武者の拓いた隠れ里 大成」
青いゲートが目印です。

道に入ってすぐ、1.5車線の狭い道になります。
大成まで6km、対向車に気をつけて。



標高698mにあるヘアピンカーブ。
このような急カーブが大成の入口まで計3つあります。
青いゲートから大成までの標高差330mをのんびり上り詰めます。



  

3つ目のカーブにあるのが坂瀬渓へ続く坂瀬林道起点。

「←坂瀬渓 大成→」

一応、坂瀬林道は入口からこんな砂利道。
五代ヶ森登山にはこの道を使う人がほとんど。



  

上記のカーブから500mほどで集落入口。
左の坂道を上れば-

大成の集落です。
大成神宮に向かってジグザグと上る道沿いに、
民家が寄り集まっています。
夕暮れになれば薪風呂の煙が立ち昇る、静かな集落です。



  

集落のひとつ目のカーブに、
天然記念物“初瀬の大桂”の入口があります。

← ここから

四国総鎮護

大成神宮

300メートル

民俗文化財

やまびこ荘

100メートル

天然記念物

ヒメホタル群棲地

200メートル

天然記念物

大成風穴群

800メートル

天然記念物

日本一の初瀬の大桂

すぐそこ(50メートル)→

大桂を見に寄り道します。

駐車スペースは遊歩道入口ぐらいしかありません。

遊歩道入口にある建物は“凌雲亭”だそうです。
奥に公衆トイレなどあって-



歩き出してホントにすぐ、右奥、杉木立越しに、
奇妙な姿の大桂が視界に入りました。

一本の野太い巨木を想像していたので驚きました。
落葉後の姿だったので、余計に不思議さが際立って見えました。
葉を着けている時は一体の巨木に見えるようです。

以前は『翠巒閣』という、
朱塗りの欄干がついた大きなテラスが正面にあったそうです。
いまは跡形もありません。
大桂の全体を撮るには、遊歩道を右下に下り、
『翠巒閣』があったらしい場所がベストです。

大桂に向かってカーブする遊歩道沿いに-

石碑や水かけ地蔵さん。

樹齢300年以上の大桂を祀るように祠がありました。
遊歩道はこの先、通行止めになっていました。
『大成学舎跡』という名の展望台も立入禁止です。

近づく程に巨大さが実感できます。
中央の木を13本の木が取り囲み、
仲良くひとつのコミュニティを形成してるようで神秘的。

見上げると、桂の迷路。

入口に戻り、大成神宮を目指し、
カーブをひとつ曲がった次の左カーブに-



民俗文化財の『やまびこ荘』がありました。
門が閉まってたので、見られたのは外見だけ。

面河村指定民俗文化財

1.

施設名

やまびこ荘

2.

指定年月日

平成5年4月1日

3.

建築年月日

文化10年

4.

所在地

面河村大成679番地

5.

所有者

長岡悟

6.

面積

90.40㎡

7.

構造

木造草葺平屋建

やまびこ荘は、文化10年に建築され、家塾大成学舎、松山藩杣野銅山手代所、戸長役場、大成風穴養蚕管理事務所がおかれ、知名人が多数訪れた建物です。

門の前に立つと、坂瀬の谷の奥、五代ヶ森が見えました。

坂を上り、カーブを二つ曲がって民家が途切れると、
林道の起点を示す標柱がありました。

「林道大成線
 延長2,191米 幅員3.0米」



不意に道が拡がって、広場のような場所、ここが大成神宮の入口に着きました。
一対の大きな石灯籠とこれまた巨大な大鳥居。
ずらーっと石灯籠が立ち並ぶ参道が現れ、大桂以上にびっくりしました。
境内のお掃除に来られてた方の車と比較してみてください。
ちなみに、車が駐まってる空き地の辺りに昔、ハト小屋があったそうです。
偶然出会った地元の方に教えていただきました。
林道はこの先、鳥居の左向こうから森の中へと延びています。
気多山へはここに駐車し、境内奥にある登山道まで歩きます。

その前に、ここから見えるパノラマを堪能です。
ここまで(標高約900m)上ると、
坂瀬の谷の奥に堂ヶ森の姿を捉えることが出来ます。
パノラマ中央、丸いお山は大ノ森の南にある無名峰。
北側の眺め、堂ヶ森方向をアップにしてみると-

  

写真左から、堂ヶ森、鞍瀬ノ頭を、
左の尾根で隠した五代ヶ森から八辻ノ峰まで、
それらを結ぶ稜線を観察することができました。

  

西に目を転じると、中央奥の桂ヶ森を中心に、
久万西部のお山が顔を出していました。

  

では、神社へ。
まず、右手にヒメボタル群棲地の解説がありました。

  

面河村文化財

(天然記念物)
村指定 平成10年6月29日
棲息地(林道沿線)土地所有者 長岡 悟 外

ヒメボタル群棲地

大成林道沿線一帯に棲息、群棲地として希少価値が高く、平成10年天然記念物として村が指定する。
ヒメボタルは、成虫の体長5.5-10mmの小型のホタル科の甲虫である。
へイケポタルに類似するが、前胸背板の黒紋は逆三角形を呈し、メスの羽は退化しているため、飛翔することができず草むらでオスに愛の光を発します。
オスは地上1~2mの高さを飛びメスと光の交信をし相手が見つかると降下します。
幼虫は、オカチョウジガイ・べッコウマイマイなどの陸棲巻き貝を食べて、陸上で生活し、幼虫のまま越冬し成虫になります。
毎年7月初旬から2週間、日暮れとともに瞬間的な光を発しながら飛翔し始め、約1時間程度、飛び交います。

※ヒメボタルを保護するために
1.捕獲しないで下さい。
2.人工光(車・懐中電灯等の光)を照らさないようにしましょう。
3.大きな声を出さず、静かに鑑賞しましょう。
4.喫煙、飲食はできません。
5.殺虫剤等の使用はできません。
6.その他、自然を損なう行為はご遠慮下さい。

面河村教育委員会

海南総鎮護 大成神宮

御斎神
天照大神 大山津見神 應神天皇 昭和天皇 菅原道真命 源直清命

縁起
慶長5年庚子11月・中川主膳正源直清命が、この里の鎮守として、應神天皇(八幡神)大山津見神(山の神)菅原道真命(学問の神)をお祀リして、 大成八幡神社を建てました。
文久2年壬戌10月 大成八幡神社の西南百米の地に、その結構郡内第一といわれる豪壮優美な社殿を造営し、源直清命を合祀し、大成大社神社として遷しましたが、大正3年甲寅6月 焼失しました。
平成7年乙亥5月 慶長創建の地に再建し、皇祖神天照大神と聖帝昭和天皇の卸神霊を勧請し、元伏見宮博明王殿下の思し召しにより、御社号を四国総鎮守の宮として、海南総鎮護大成神宮としました。

  

数を競うかのように灯籠が参道を挟んでいます。

龍の手水社の手前、右に「昭和苑」という、
将軍塚、聖桜碑、剣の御所、エビネ苑の入口があります。
※今回は寄り道しませんでした、すみません。
剣の御所は見ておきたかったよう…。

あ。

うん。



坂の行き止まりを左に曲がった途端、
真新しい大きな拝殿「鮮雲殿」が出現!

「大成宮」

清潔で簡素な拝殿内部です。
奥にある綱が巻かれた大きな岩がご神体でしょうか。
合掌。

拝殿左に門があります。
くぐってすぐ右に-

さきほどの本殿が見えて、
もう少し歩を進めると-

ご神体らしい大きな岩でした。

著名人が記念した平安しだれ桜という桜が、
各所にあって、池のほとりにあったのは-

「冒険家 河野兵市先生 参拝記念」
と書かれていました。

そして、このエリアでもっとも驚くのがこの「金鳶殿(きんえんでん)」。
左の石灯籠も大きい(手前のドラム缶と比べて下さい)。

朱と白地が陽に輝いてさらに大きく見えます。
“落ち武者の里”のコピーが場違いに思えるようなまぶしいたたずまいです。

斜めから。

向かって左が「柏曄殿」。

中央が「皇霊殿」。
皇室関係御物が奉安されてるそうです。

柱には龍が刻まれています。

右が「悠久殿」。

  

参拝が済んだら、参道坂の突き当たりへ戻ります。
「気多の峰→↑」の案内通り、
石段を登り、左へ曲がると-

階段が続いていて、
登りきったら左へ曲がります。
すると-



  

また石灯籠がずらっと並んだ広場がありました。
奥にある立像-

「聖天子の像」は、昭和天皇の皇太子時代のお姿。
石像の上から何回も銅を塗り重ねた「石胎銅像」だそうです。

広場の右上にある紅い鳥居が気多山登山口です。
少々、草にまみれています。

ひとりごと

山歩した日は朝から素晴らしい快晴でした。

国道494号線を走行中、道路の拡幅工事に出くわしました。
1時間に10分しか開放されない恐怖の「時間規制」タイプ、焦りました。
もし、引っかかったら、秋の陽はつるべ落とし、50分の待ちぼうけは致命的。
戻って、井内峠経由で迂回しても到着時間はどっこいどっこい。
9:20~9:30の開放時間に合わせ、急いで走りました。
看板の略地図じゃ、工事場所が全然分からないし。
でも、なんとか間に合って通過することができて、一安心。
安心したらめっちゃ寒くなって来ました。
黒森峠が近づくにつれ、山の陰は冷え冷えとしてきました。
今日は忘れずに積んできたオーバーズボンと、厚手の手袋を装着。
防寒したら紅葉を眺める余裕も出て来ました。

山の紅葉はかなり進んでて、路肩にたくさん、落ち葉が積もっていました。
唐岬の滝の遊歩道入口を撮ってたら、紅葉見物の車がちょうど来て、カップルが下りて行きました。
女の子、かわいい靴履いてたけど、泥々になって不機嫌になってなきゃいいけど。

黒森峠も紅葉は残ってたけど、それ以上の高度になるともう散ってるようでした。
紅葉狩りの予定なんてなかったのに、妙に見逃したって気になるのが不思議ですね。

峠越えて久万側に入ると、日当たりがいいせいか、川内より温かでした。

久しぶりの面河ダムは水が少なくて、この冬もまだまだ水不足が心配です。

笠方公民館のイチョウを撮ったり、堂ヶ森を撮ったり、度々停まってたら、面河に着くのが遅くなってしまいました。
(時間規制を無事通過できて安心しすぎたのかな?)

大成は初めて。
“落ち武者が拓いた”ってくらいの秘境だから、道の具合が心配だったけど、集落までずっと舗装されてて、また一安心。

まず、初瀬の大桂へ。
徹夜明けの体が元気なうちに早いとこ、お山に登りたかったけど、後回しにしたら見逃す気がしたので急いで訪ねました。
上でも書いたけど、幾つもの木が一つに合わさってる様はとっても不思議でした。
木の力をもらえるくらい、ホントはもっと見ていたかったけど。
水かけ地蔵さんにお願いと、写真を撮るだけ撮ってスクーターに戻りました。

そして、大成神宮へ。
これはもう、大桂以上に驚きました。
大成は深山の小さな集落なのに、大成神宮は街場にあってもよさそうなほどの立派さ。
あの大鳥居も後ろが山だから小さく見えるけど、椿さんの鳥居くらい大きい。
坂を登ってたどり着いた拝殿で再び、びっくり。
その奥の金鳶殿で三度目のびっくり。
前もってネットで写真見て来てたけど、思ったより大きくてきれいで新しかったのが驚きでした。

大成神宮も後回しにしたらダメだと思って、ちゃんと参拝しました。
でも、剣の御所だけは参道から離れてる気がして後回しにしてしまい、見逃してしまいました。
とほほ…。
「またおいで」ってことなんでしょうか。

金鳶殿では、裏に回ってみたり、結構、じろじろ見て回りました。
失礼ですけど、金鳶殿、ちゃんとした造りです。
決して張りぼてじゃありません。
奥行きは余りないけど。

さて、大成神社は、ちゃーんとオフィシャルサイトを持っています。
 → 大成神宮オフィシャルサイト
縁起とか詳細はそちらに譲ります。
戦争中、皇室を守ろうとした話とか、皇室縁の品が奉安(尊いものをつつしんで安置)されていたり。
落ち武者が拓いた里と天皇との関係が不思議でしかたありません。
大成神宮を再建した「天真会」は、南高井病院を経営してる医療法人だったりします。

参道を掃除をされてたおばさんに訊けばいろいろ教えてくれたかなぁ?

とりあえず、オフィシャルサイトには大成集落の始まりについても触れられているので、見てみて下さい。

平家の落人伝説は各地にあります。
四国の山深いところにある集落は少なからず、敗者が切り拓いた土地なのかも知れませんね。
(大成の落人は源氏方です。)

一通り参拝を済ませ、気多山登山口へ。
広場に着いたら真っ正面によくできた銅像。
また、びっくり。

境内は、参道で出会ったおばさんががんばって掃除してくれてるのか、きれいでした。

で、で、でも…。

次に向かった登山道は境内の外。
残念ながら…、な状況が待っているのでした。

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