岩黒山・筒上山
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手箱越~筒上山~丸滝小屋
距離 約500m
標高差 約140m
距離 約1.7km
標高差
(最大)
約320m
徒歩
下記写真の場所
水場
見晴らしあり
注意・その他
  

短いお昼寝の後、いよいよ筒上山へ。
道場左の石垣の斜路を鳥居目指し、登ります。

ちなみに、広場には昼寝できそうな日陰がなかったので、
この日陰で寝っ転がってました。

道場の裏も広場になっていて、焚き火の跡も。
小屋はなにか祀ってあるのかな?

可憐な花を踏まないように登っていくと-

ドーム状というか、軍艦岩みたいな姿の筒上山が迫ってきて、
ぱっと見、急峻な崖だらけで、登れるのか心配になってきました。

丸滝小屋にあったのと同じ白い鳥居をくぐります。

「筒壽山大権現」、筒“上”じゃないんですね。

ダケカンバの林の中、自然石の石段をどんどん登ります。

石段もササに埋もれてますが、穴も埋もれてます。
踏み外すと捻挫の元、雑に登らないように。

  

昼寝で復活したせいか、
気がついたら、あっという間にこの高さ。
広場の南の手箱山登山口の森に、
鳥居と小屋があるのが見えました。

手箱山へはあの鳥居をくぐり、続く石段を登って行きます。
鳥居の右には白屋根の小屋があります。



切り立った岩壁の前で木の鳥居が待っていました。
この後の登攀を想像するとつい神頼みしたくなって、
思わず帽子を脱いで合掌してから鳥居をくぐりました。

鳥居の左に、急斜を這い上がる鎖場があります。
鎖は40m。
迂回路はありませんので、鎖を登らないと山頂へは行けません。

鎖のほかに複数、ロープも設置されています。
急坂ですが、足がかり、手がかりになる場所があります。
手足を同時に動かさない三点確保を守っていれば、
高所恐怖症の僕でも安全にさっさと登れました。

ストックはちゃんと仕舞って、身の回りの小物もよく確認してから、
鎖に取り付いて下さいね。
途中で落としたりすると身動き取れなくなりますから。

  

上部で鎖は右に、ロープは左に別れています。
鎖の延長線上は雑木が茂って荒れっぽいので、
左のロープの方へ進んだ方が登りやすいでしょう。

上へ行くとまた新たなロープが下がっています。
何度か引っ張って確かめましょう。

ササの間の通路のような状態になったら一安心。
逆に下る場合は落ち葉で滑らないように。
まだロープは掴みながら登ると-



空が広いササ原に出ました。

もう安全だけど、なかなかロープが手放せません。

  

振り返ると、ずばばばば~んと大パノラマ (・∀・) 
五在所山、黒森山、雨ヶ森、鶴松森、鳥形山、
天狗の森、四国カルスト、中津明神山など、
高知県の山並みが拡がっていました。
眼下の谷は安居渓谷。

黒森山。

鳥形山と不入山。

中津明神山。

  

ロープが途切れると、道が二股に分かれていました。
左に斜行する道が明瞭で、もうひとつ、
尾根に沿って登るかすかな踏み跡がありました。
尾根沿いの踏み跡へ、訳あって登りました。

踏み跡の先に見えた祠にお詣りしたかったからです。

祠から見えるパノラマです。
無事に登れて感謝です、合掌。
この祠は、熊野信仰に関係した十二社権現のひとつで、
山頂への道沿い、岩陰などに小さな祠がまだあるそうです。
その山頂への道は三角点ピークまで踏み跡が続いていますが、薄めです。
今回はパスし、よく踏まれてるさっきの道で山頂を目指すことにしました。

  

左下がりの斜面を斜めに登って行きます。
左側にコケたら何十mもノンストップで転落しそうで、
ちょっと恐かったょ。



でも、心はすごく充たされていました。
四国のヘソにいるようなパノラマ。
雲がすぐそこにあるような高度感。
そんなササ原に一人っきり、いや、独り占め、
それはとても贅沢な時間でした。

濃い緑はコメツツジの群落です。

白骨林とパノラマ。

西側へ回り込んで、いよいよ山頂に向かって登ります。



  

山頂部に出ました。
矢筈山とも云われる筒上山は、
矢筈=弓の弦を引っかけるために矢の末端が凹んでる部分みたいに、
ピークが二つ並んでいます。
写真右にあるのが三角点ピーク、写真左にあるのが山頂です。
先に、三角点ピークを訪ねます。
二つのピークを結ぶ細い踏み跡がササの中にありますので、
踏み跡をなぞって行きます。

尾根に沿う踏み跡をなぞって三角点ピークへ。



三角点ピークに到着!
山頂には鉾が突き刺さり、祠が祀られています。

大山祇神社の祠でした、合掌。
祠の向かい-

小径の先には鳥居がありました。
下にあった小さな祠の道はここに繋がっています。

正面から。

鉾は基礎部分に-

「神鉾」と名前が書いてありました。

三角点は神鉾のかたわらに隠れています。
「筒城山」三等三角点、標高は、1859.34mです。

  

三角点ピークからのパノラマです。
石鎚山が写るように、祠の後から撮影しましたが、
瓶ヶ森方面は濃密な雲が湧いて真っ白、なにも見えませんでした。

二つのピークを繋ぐ細い踏み跡で山頂へ向かいました。
でもすぐ、本道と合流しました。



筒上山山頂に到着しました!
離れて見ると、三角点ピークとの間が凹んでいるのがよく分かります。
山頂は小さな平地になっていて、祠が祀られています。

権現様の祠です。
ご本尊のお不動様は-

奥の石板に浮き彫り、彩色も。
合掌。

もうひとつの小屋は施錠され、
なにが入っているのか分かりませんでした。
屋根は祠っぽいんだけど。

  

写真左は高知の山並み、中央は県境尾根、右は愛媛の山稜、
これらが一望できる筒上山は、やっぱり四国のおへそ。
(写真左から)雨ヶ森、鶴松森、不入山、鳥形山、天狗の森、四国カルスト、
中津明神山、手前の県境尾根に椿山、奥に源氏ヶ駄場、笠取山、四辻ノ森。
気多山、冠岳、皿ヶ嶺、五代ヶ森、二ノ森、面河山、西ノ冠岳、石鎚山。

東の空は映画のスクリーンのように真っ白でした。
岩黒山の時みたいに晴れるのを待ってたかったけど、
今日のテーマの疲れない小股で歩くペースだと土小屋まで2時間近くかかると思い、
あきらめて下山しました。
瓶ヶ森方面の素晴らしい眺めは、登った人だけのお楽しみ、
ということでお許し下さい (´ェ`*)

帰りは愛媛と高知の県境尾根に沿って下山しました。
写真左が愛媛県、右が高知県となります。
まだ少し、気持ちのいいササ原を歩けますが、
高度が下がるにつれ、左右から木木が迫ってきます。

また黄色い花がわさっと咲いていました。



森に入った途端、一気に下り始めます。
横道まで、尾根をじっくり下るのかと、
勝手に想像してたんですが、よく考えると-

実際、300mも高度を落とさないといけません。
登る人のためにトラロープが設置してある急坂もあります。



  

割れた大きな岩が迷路のように立ち塞がっています。
右にせり割りのような道が見えますが、
正しくは中央の岩を乗り越え、すぐに右に下ります。
乗り越えたところに-

  

「←尾根道 丸滝小屋→」と書かれたプレートがあるので、
見落とさないように。
間違って西側に降りちゃうと生還できませんよ(>_<)

岩尾根の右側を下ります。
ダケカンバの林はみずみずしく、空気も美味しい。

下草は濃いですが、道はまだ見えてます。
よく踏み分けられています。



標高1750m付近でなだらかな尾根となって傾斜も緩みました。
代わりにササが濃くなりました。
足への負担も少なくなります。
一方で、はっきりしない地形は道迷いの原因になりがちです。
おまけに、ササが道を覆い隠すほどの勢い。
確認しながら歩かないと迷いそうでした。
少しでも変だと思ったらすぐに立ち止まって、周囲を見渡し、
赤テープがあるか確認してから行動を再開しましょう。

倒木をくぐり-

木の根の階段を降ります(写真は下から撮影)。
こういう上下動の大きいところが後日の筋肉痛・ヒザ痛になります。
モモの筋肉が伸びきる前に着足するぐらい小股で刻むと◎です。



標高1700m付近で正面に-

岩黒山山頂がちょびっとだけ見えました。

右(東)には、あれ? 瓶ヶ森が見えてるじゃん。
山頂じゃ見えなかったのにぃ…。

  

山頂で邪魔してた雲は大きなはぐれ雲だったのかな?
この日は夕方にかけて天気が回復してきました。
気温の上昇がピークを越え、大気が落ち着いてきたのでしょう。
今日の“雲”の畑は、本日分の出荷終了、残業無し、といった感じでした。



  

尾根道でまた迷走・丁字路ポイントです!
岩黒山に続き、筒上山にもあったとは!
正解は、左折です。
直進方向は本来、間違いですが-

大勢が踏まれて道ができてます。
僕も直進してしまいましたが、
道が薄くなったので、すぐに登り返しました。
方向的にはあっていますが、迷うかも知れません。

正解の左折口には、赤と黄色のテープが目の高さに。
胸まで茂るササのせいで道らしくないですが、
抜けるとちゃんと道が繋がっています。
でも、分かりにくい…。

正しい道を下れば、
思わず抱きつきたくなるような大きなヒノキに出会います。
奥に見えるのは岩黒山。

戦後の大伐採を免れた大木がこの辺りには生きています。
当時は、トラックに1本しか乗せられないような大木もあったとか。

岩黒山の麓の丸滝小屋方面に目掛けて降りてますから、
たまに見える岩黒山はいい目印になります。
でも、赤テープもない、岩黒山も見えなくなったら…(>_<)ヤバ

また、トラロープで降下~。
レンジャー気分を楽しめます。
写真は下から撮影。



左折場所以降も相変わらず、ササは元気です。
よ~く見て歩けば大丈夫。
赤テープも点点とあるので、
たま~にある小ピークの登りも慌てなくて済みます。

この尾根では、5月下旬頃に訪れると、ヒカゲツツジや、
白い花のツツジ「シロヤシオ」(別名・ゴヨウツツジ、マツハダ)、
などにも出会えるそうです。



  

最後はまたぎゅんぎゅん下って、やっとこさ、横道に合流です。

  

平らな道を歩けるうれしさよ (・∀・)
ここから丸滝小屋まで登り坂だけど…。



あの鉄の桟橋などを通り、
丸滝小屋へ戻ってきました。

  

小屋の前から見えるパノラマです。
おいおい、お天気上上じゃん!
山頂じゃ、あんなにガスってたのに… (^_^;) 
ちょっと悔しかったので、がんばったごほうびに姿を見せてくれたんだ、
と、思い込むことにしました。

ひとりごと

“15分の昼寝は夜の2時間の睡眠に相当する”。
丸滝小屋で昼寝しました。
でも、目が覚めたら夜だった…、なんてことになると恐いので、横になった程度ですが。
それに、虫もいるし、お山のアリはデッカいし。
熟睡はしてないけど、目をつぶって風に身を任せてるのも心地好かったです。
目を開けると視界一面が青空で、やって来た白い雲が様々に姿を変えて去っていく。
「空なんかどこだって一緒じゃん」って云う人がいますが、高いお山の空は宇宙が近い分、濃いのです。
僕はお山に入るのも好きだけど、ホントはこうしてお山に“いる”ことがもっと好きなんだって思うのでした。

手箱越の道場について。
昭和初期の山行記では、風雨に曝され、屋根板も所所はぎ取られた粗末な廃屋のようだったと書かれています。
戦後に出されたガイドブックでは、信者以外でも登山者を快く受け入れている、とありました。
なのに、柵で囲ったり施錠したり、隔絶した小屋になったのは、心無い無礼な登山者に荒らされたことでもあったのでしょう。
よその話ですが、昔は、山小屋の壁板、屋根板を剥いで焚き火にくべるような酷い人がいたそうです。
さすがにいまはそこまでする人はいないと思いますが、ゴミを捨てて帰る人はよくいます。
あの人の立ち入りを拒む柵は、親切を踏みにじったらこうなる、という姿なのかも知れません。

さて、と、立ち上がって短パンの埃を払り、筒上山へ、鳥居をくぐり、鎖場へ。
“土佐七十五人衆”が取りつけたと云われ、万延元年(1860)にはあったことが記録に残っています。

鎖場の存在は承知していましたが、実物を前にすると、登れる自信がなくなります。
石鎚の鎖も一度登っただけで、後はずっと迂回路専門。
でも、筒上山は迂回路がないし、イヤなら丸滝小屋まで戻って尾根伝いに登るしかない。
ストックをたたんで背負い、鎖に取り付きました。
重たい鎖より、持ちやすいロープを主に使い、でも、足で登ることを心掛けて登攀しました。
腕の筋肉はすぐ疲れますし、いざという時、ロープにすがる力は残しておかないと。
壁のようでも足を乗せるところは結構あるので、靴底のグリップ頼みに登らなくても大丈夫でした。
20mくらい登れば、コツが分かってきました。
これで行ける、と、さらに登ろうと腹筋に力を入れた時でした…。

ぷつっ…

腰回りが急に軽くなりました。
続いてどさっと音がして、なに!?っと足元を見たら、ウエストポーチが外れ、足元に転がってる!
おいおい…。
そこはちょうど岩棚のような場所だったため、崖下への落下は免れました。
でも、ちょっとしたはずみでズルッと落ちそうな、寸前で止まってるような感じでした。
ウエストポーチには財布も携帯電話もスクーターの鍵も入ってる。
ベルトにはmp3プレイヤに小型スピーカー、地図ホルダーもぶら下がってる。
紛失したら最悪でした。
ロープをくぐるようにして、そーっと身体を入れ替え、ポーチを蹴り落とさないように下りました。
そーっと、何一つ落とすことなく、ウエストポーチを拾い上げることに成功しました。
ウエストポーチが急に外れたのはベルトが切れたわけではなく、単純にバックルが外れただけでした。
昼寝のあとに、バックルをちゃんとセットしてなかったのでしょう。
ポーチを回収し、ほっと胸をなで下ろしたのも束の間、そこは人一人がやっといられるほどの岩棚でした。
ポーチどころか、自分が落ちたら命の保証はありません。
ピンと張ったロープを脇に通して安全を確保し、ポーチを装着…。
カチ…ぽろっ…カチ…ぽろっ…、バックルが上手くハマってくれません!
ハマっても、腹筋に力を入れたらまたぽろって外れる!
ベルト調節が短すぎたのと、バックルが汗で滑りやすくなっていたせいでした。
慌ててると、今度は背負ってたストックが落ちて、また冷や汗 (>_<;)
手箱の道場を見下ろす崖の途中で悪戦苦闘してしまいました。
最悪です (T_T) 半泣きです。

この間、頭にあったのは、ブログで散々取り上げてきた遭難事例と対処法でした。
まず落ち着いて状況判断。
安全確保。
ひとつひとつトライ・アンド・ゴー。
そうしてなんとか苦境を脱することができました。
続きの鎖場を登り、ササ原に出たらホッとしたのか、手から足から身体がガタガタ震えてきました。
カメラに手ブレ機能がなかったら、その後の写真は全部ブレて酷い写真になっていたでしょう。
そんなことがあったので、ササ原に祠を見つけた時、お詣りせずにいられなかったのです。
おかげで助かりましたと、手を合わせました。

祠ですが、文献によると熊野信仰に関係した十二社権現だそうで、12カ所あるようです。
祠から三角点ピークへ通じる道沿いにあるそうですから、今度行くことがあったら、確かめてお詣りしたいと思います。

二つのピークがある山頂はササ原に覆われ、爽快満点です。
気を取り直して高原気分を満喫しました。
三角点ピークの祠にある神鉾は、昭和初期の資料には登場しないので、最近のものだと思われます。
山頂に刺さってるものといえば、天の逆鉾やエクスカリバー伝説を思い出します。
天の逆鉾は、鉾が二度と振るわれることのないように願いをこめて高千穂の峰に突き立てたという神代の時代の伝説に基づいています。
筒上山の鉾は刃が天を向いて立っています。
ぱっと見、鉾と云うより、避雷針っぽいですけどね。

ただの測量点である三角点があるところを山頂にしているお山が多い中、筒上山はもうひとつのピークを山頂としています。
その山頂は、一行がお弁当を広げるにも最適な広場になっていて、つり目のお不動様が見守ってくれています。
お不動様の手や顔の彩色は昔からされていたようです。
今回は残念ながら東方面のパノラマに恵まれませんでしたが、高知や四国カルスト、石鎚方面の遠望はばっちり。
見晴らしの良さから石鎚山が四国の中心と云われたりします。
その石鎚をも見晴らすことができる筒上山の方が僕には中心っぽく思えました。
石鎚は西日本の最高峰、二ノ森は愛媛県第2の高峰、筒上山の隣の手箱山は県境に接していない高知県のお山の中では最高峰。
それらが一望できる筒上山、おすすめです。

帰りは県境の尾根道を下りましたが、思いのほか、どんどん下ります。
ということは、逆に登る時はどんどん登ることになるのかぁ。
鎖から登った人のほとんどがこの尾根道を下るので、道はよく刻まれています。
ただ、夏はササも草も元気で、木の影も加わって見えにくくなっている場所もあります。
そんな時は顔を上げて、赤テープを確認して下さい。
赤テープが多めに巻いてあるので安心です。
の場所だけ要注意です。
方向的には真っ直ぐ進んでも良さげですが、もしも右(東)へズレて支尾根に入っちゃった場合、迷走確定です。
120m(高度差。距離は300mほど)下れば横道の途中にあった水場の沢に出られそうですが…。
けれど、一番気を付けたいのは、決して西側には下ってはいけないということです。
西側=下っている時は左側=愛媛県側は金山谷の深い谷となっています。
運がよければ石鎚スカイラインに出られます。
最悪、携帯電話も通じない崖で孤立したら…、骨になるまで発見されないかも (>_<)
一方、反対の東側は横道が通っているので、助かる率は高いでしょう。
筒上山は岩場が多いので、行き止まる可能性も高いですが…。
と、どこのお山でも通用するような注意を一応しておきました。
道をちゃんとたどってれば、心配ありません。
大勢の人がちゃんと迷わず、登り降りされてますから大丈夫です (・∀・)

道中、見晴らしはありません。
その分、緑あふれる県境尾根は原始な自然がたっぷりで、急いで下るのがもったいないほどです。
花に興味がある方なら、先先でいろんな花に出会えることでしょう。

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