岩黒山・筒上山
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丸滝小屋~手箱越
距離 約2.2km
標高差
(最大)
約180m
徒歩
下記写真の場所
水場
見晴らしあり
注意・その他

丸滝小屋から、筒上山山麓の横道を使い、
手箱越へ向かいます。

手作りっぽい案内が道の入口に立っています。

岩黒山から筒上山へ繋がる尾根を下って行きます。
道は尾根の右下に付いています。
前から人が来たら、立ち止まって譲らないといけないくらいの道幅です。

急斜面にあるせいで、所所、路肩が落ちてました。

同行者との会話に夢中になって、
くれぐれも穴に落っこちないように。

急坂にはトラロープの補助がしてありましたが、
上り下りとも、使うほどキツくはありませんでした。



道が尾根の左下側に変わって間もなく、
1596mピーク下の崖を横切る桟道、登場。
入口だけ木で、後は凸状の鉄板です。

下が透けるくらい鉄板が何カ所か腐食していたり、
桟道自体、細い鉄筋で支えているので、
一度に大人数で通るのは避けた方がいいかも。

カーブを曲がると、また桟道って感じで、意外と続きます。
筒上山の道は覚心寺の信者さんらによって拓かれたものです。
この桟道も信者さんらの奉仕によって架けられたそうです。



  

横道で一番低い場所で出会う、右斜め上に分岐する道は、
筒上山への尾根道です。
大事な分岐ですが、矢印看板のような目立つ案内はひとつもなくて、
ただ左の木の幹に-

とっても簡単な手書きの案内がくくりつけてあるだけです。
大ざっぱな地図だこと。

分岐を見送り、横道を進みます。



水場になる沢です。

まさに筒上山の水です。
マグカップを忘れてきたので、手の平で受けて飲みましたが、
美味しかったです。
(飲用は自己責任)
ついでに顔も洗ってリフレッシュ。

晴れてきたらしく、木洩れ日が森にたくさん落ちてきました。

またデッカいキノコが道の真ん中に。



丁寧に石積みされた谷もありました。
大峰宗覚心寺の信者さんらが築いたのかな。
今日まで筒上山を楽しめるのも信者さんのおかげです。



この辺りはとにかく豊かなブナやミズナラの森です。
写真は道の左側の一風景ですが、緑がキレイです。

コケむした岩場にかかる小さな橋。



急に現れた岩壁の下、自然石の石段を登るのですが、
道の左右にロープが張られています。
これは手すり代わりじゃなくて、
道端に咲く貴重な花を守り、立ち入りを規制するためのロープです。
踏み跡があっても、入っちゃいけません!!!
根っこが傷む! 表土が流出する!

貴重な花がって、知ったかぶりなこと云ってますが、
花の存在は途中で教えてもらったからで、
知らなかったら、通り過ぎてたかも (^_^;)

徳島の剣山では天然記念物になっている「キレンゲショウマ」の群落です。
宮尾登美子さんの小説『天涯の花』に登場して一躍有名になりました。
剣山でもシカの食害やバカオロカな連中の採集で数を減らし、
柵で囲って保護してる状態です。
キレンゲショウマは石鎚山で最初に発見されましたが、
2番目はこのお花畑なのです。

なるほど、これがキレンゲショウマかぁ。
つぼみが虫にかじられてる…。

高原植物は、下界でどんなに大切にしようが絶対、枯れます。
気圧・気温・気象の変化を大きく受けるためです。
国立公園内では石ひとつ持ち帰っても罪になります!
“取る”や“採る”は、みんな、“盗る”です。
見るだけにしましょう。

お花畑の中をジグザグと登ります。
ここまでたいした登り坂もなく、ゆったり登っていた道が、
いよいよ高度を取り返すべく、本気になります。

足元は土から岩のゴツゴツとした感触へと変化。

石畳みたく、整備されています。
コケむした感じが歴史を感じます。



桟橋を斜めがけしてハシゴにしてあります。
凸鉄板なので、滑らないように。



根を巻いて木がしがみついてる岩をすり抜け-

ちいさなせり割りを抜けると、間もなく-



手箱越に到着…ですが、日なたに飛び出た途端、
突如として現れた高々とそびえる石垣の存在にビックリ!
山行ルートの下調べ中、大きな石垣があるという話は聞いていましたが、
ここまで立派なものだったとは!

松山城の二之丸並みの大がかりな石垣です。
これも覚心寺の信者さんが築かれたものです。

  

石垣に沿って登り、突き当たりを右折-

石垣の上へ。
厳かにそびえるドーム状の岩峰が筒上山です。

  

手箱越を占める、覚心寺手箱山道場に到着しました。
写真左に-

  

手箱山方面への登り口があります。
下からは見えませんが、
木立の中には山の入口を守るように鎮座する鳥居や小屋があります。
手箱山へ行けるほか、藩政時代、許可なく入山できなかった御留山(おとめやま)だった当時、
献上氷を保存していた氷室番所跡(「氷室まつり実行委員会」によって復元)を経由して、
寺川地区の滝・大瀧(おおたび)へと下る登山道も接続しています。
入口の脇に-

浴槽を二つ並べた水場がありました。
(登山道の途中にあった沢の方が美味しかったかな)
のどを潤し、顔を洗って復活しました。

昭和40年代に建てられた「寺壁改修記念」の碑。
そう、この石垣はそんなに古いものではないのです。
大正頃は幽境な峠で、粗末な小屋が建つのみでした。

やはり、丸滝小屋同様、こちらの立派な建物も立ち入り禁止。
完全に施錠されています。

「大峰宗石鎚山 覚心寺手箱山根本道場」

  

道場の左に、筒上山への登山道と、
安居渓谷へ下る古道があります。

石垣の間を抜けるのが安居渓谷への道です。

夏でも踏み跡はしっかり見えていました。

広場に戻り、高い石垣の上から東方を遠望しました。
パノラマ写真だと狭い谷のように見えますが、
実際はとてもとても開けていて、瓶ヶ森も大きく見えます。
昼休憩しながら晴れ待ちしましたが、
瓶ヶ森はとうとう、顔を出してくれませんでした。

  

石鎚山系と云うより、瓶ヶ森連山と云った方が似付かわしい山並みをアップで。
(写真左から)二ノ岳、スモモの高、伊吹山、雲に隠れた瓶ヶ森と子持権現山、
西黒森はなんとか見えて、東黒森、伊予富士も雲の中。

ひとりごと

丸滝小屋以降でようやく登山者に出会いました。
一組の方は小型犬が先を行く二人連れ。
土小屋の登山口で仕度中、犬を連れて入山してく姿を見ていました。
なので、戻ってくるのが早いなぁと思ったら、キレンゲショウマが目的だったんだそうです。
このお二人からキレンゲショウマが咲いてることを教えてもらいました。
長話にならないよう気を付けていたら、犬の方から「わんわん!(早く帰るだワン!)」と催促。
お礼を言って別れました。
室内犬のような小さな犬だったけど、10センチくらいの段差でも大変だろうなぁ…。
ペースメーカーとしては小型犬はいいかもだけど。
犬連れの登山は賛否両論あります。
野生動物を追いかけ回したり、高原植物を踏み荒らさない、しつけの利いた賢い犬ならいいような気がします。

その後、桟橋で、もう筒上山に登って休憩中という二人から、まだ30分くらいかかるかな、と花の場所を教えてもらいました。
車移動の方は石鎚スカイラインの開門と共に入山できるから、行動時間に余裕があっていいなぁ。
僕は歩きながらお餅を食べ食べ、進みました。

桟橋ですが、カーブの先にまたあって、その先にまた、と云う具合に結構、設置してあります。
木が生い茂っているので高低差はあまり感じないのです。
でも、鉄板が腐食していたりして、信用できないので、手すりをぎゅっと握って渡りました。
鉄板も凸の部分だけに足を乗せて、そろそろと。
全体的に腐食していますが、ギシギシ大きな音がしたり、揺れたりとか特にするわけじゃないので、まだまだ丈夫っぽいです。
でも、長いこと立ち止まったり、飛び跳ねたり、一度に大人数が同じところに乗ったりするのは当然、やめときましょう。
なんたって、信者の手作りの桟橋ですから。

桟橋にぷち感動し、次はブナの原生林でまた感動。
気持ちが良い森で、森林浴好きにはたまらないでしょうね。
戦後の復興、その後の高度成長期、木材需要が急増し、それに応えるため、多くの森が次々に伐採されました。
山奥の原生林も例外なく、どんどんと失われてゆきました。
海外から安い木材の輸入が始まってやっと、乱伐は収まりました。
その頃にはもう日本中が、スギやカラマツだらけの山ばかりになっていました。
間伐など人の手を必要としない自然本来の森はいまではとても貴重です。
そういう森は、フィトンチッドがバリアのように満ちています。
どことなく優しい感じがします(フィトンチッドは樹の害虫には厳しいけどね)。
通り過ぎるだけじゃもったいないほどでした。
のんびりしてちゃ、日暮れまでに帰れなくなるので、身体中で森の空気を吸いまくりながら休まず歩きました。
休んでると、羽虫がうろちょろし出すし。

羽虫と云えば、最後にすれ違ったグループの女性は、モスキートネット(虫よけ網)をツバのある帽子の上から被ってました。
土小屋でも「これから行く山は虫が多いところだから」と云う会話も耳にしました。
ガイドブックでも、林の中でブヨの大軍に襲われた、という一節が登場するものがあります。
僕は今回も虫よけスプレーをシュッシュ。
腰に蚊取線香をぶら下げるいつものスタイル。
虫にひどくたかられることもありませんでしたし、刺されもしませんでした。
虫よけスプレーは汗でとっくに落ちてただろうから、蚊取線香で対抗できたみたいでした。
蚊取線香は虫が多い場所では渦巻きの真ん中にも火を着けて“ダブル煙幕作戦”ができるので心強いのです。
一応、携帯容器ごと落とすと山火事になる恐れがあるので、ホルダーにカラビナを付けたりして工夫しています。
(GPSも地図ホルダーもみんなカラビナ付けてます、落として泣く前にがっちりガードです)

教えてもらった30分くらいでキレンゲショウマのお花畑に到着しました。
盗掘・乱獲の恐れがあるので、看板などは当然ありません。
花に興味がない僕は、教えてもらってなかったら多分、完ぺきに通過してました。
花に気がついたとしても、キレンゲショウマの黄色い花が貴重に思えなかっただろうし。
徳島の剣山の方でキレンゲショウマが咲き始めたというニュースをブログの方に書いたばかりでした。
なので、キレンゲショウマという名前自体は頭に残っていました。
花の色や形はうろ覚えだったけど。
ロープで立ち入り規制してありますが、入っちゃう人が多いみたいで、踏み跡ができてました。
困ったことです。

キレンゲショウマは、絶滅が危惧される動植物のデータ、『レッドデータブック』に掲載されています。
愛媛県では「絶滅危惧1B類」、環境相では「絶滅危惧2類」にカテゴライズされています。
愛媛県のレッドデータブックによると、

深い山の湿った林床に生育する多年草。
茎は無毛で高さは80~120cmになる。
葉は対生し、円心形で、縁は掌状の鋭い切れ込みがあり、葉の両面には伏した短毛がある。
8月ころ、茎の上部に円錐状の集散花序を出し、黄色のラッパ形の花をつける。
花弁はやや肉厚で長さ2~3cmで先はやや尖る。
最初に石鎚山で発見され、その後、剣山や紀伊半島の大峰山、九州の祖母山などで発見された。
日本列島が大陸と陸続きであった時代の遺存種と考えられている。
キレンゲショウマ属は、東アジアの固有属であり、矢田部良吉が1890年に、日本人が日本の雑誌に最初に発表した記念すべき属である。

分布地域は、

県内:東予・中予 
県外:本州(紀伊半島)・四国・九州;朝鮮半島・中国大陸(東部)

東予と中予の深山で現存が確認された。
深山に生えるまれな植物であり、園芸採取などにより減少している。

貴重だから盗掘するのか、盗掘されて貴重になったのか、貴重だから自慢したいのか…。

ちなみに、最初に発見した人は植物学者の吉永虎馬(高知県佐川町出身)です。
キレンゲショウマは、漢字では“黄蓮華升麻”と書きます。

ウチの亡父は昭和4、50年代、エビネを採集し育てるのが趣味で、伊豆諸島まで出かけたりしていました。
いま思えば、盗掘だったのかも。
「○○いうエビネはどんだけ山の中を探し回っても、もう見つからんなってしもた」
なんてよく云ってました。
そりゃ、採ったら無くなるって。
僕は長野で高原暮らししたせいで、自然は自然だから美しい、庭で咲いたらアサガオやヒマワリと一緒、という意識が根付きました。
山から花を盗ってこようなんて思いは少しも起きたことがありません。
高山植物を下界も持ってきても枯らすだけです。
技術も施設もない一般人が自宅で育てることは無理です。
上でも書きましたが、国立公園内では石ころ一つでも持ち帰ったら罪になります。
あの富士山の溶岩でもダメなのですから、とるのは写真だけ、ロープから出ないよう、う~んと背を伸ばしてよ~く見て帰りましょう。

お花畑からはどんどん登り、息が上がる前に手箱越に到着しました。
道場の石垣、場違いなほどに凄いです。
花に興味がない僕にはキレンゲショウマより、よっぽど笑顔になりました。
ホント、城跡か要塞みたいです。
元元はそんなに広くない鞍部に石を積んで埋めてって広場を確保した、そんな感じです。
相当な量の石が使われてるけど、筒上山の断崖から切り出してきたのかなぁ、やっぱり。
これも修業の一つと、信者さんがひとつひとつ積んでいったんでしょうね。
鉄筋コンクリートの塊なら違和感ありまくりですが、同じ人工物でも石垣は城山などで目が慣れてるせいか、受け入れやすいですね。
広場は休憩にもってこいだし、見晴らしも抜群、トンボは群れなして飛んでる。
日陰がないのが夏は辛いけど、石垣沿いにわずかな影を見つけて、ごろんと昼寝しました。

ホントは手箱山まで行きたかったけど、昼をとっくに回ってしまったのであきらめました。

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