へ行こう!
丸滝小屋~手箱越 | |||||||||||||||||||||||||
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩ | |||||||||||||||||||||||||
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①丸滝小屋から、筒上山山麓の横道を使い、
手箱越へ向かいます。
手作りっぽい案内が道の入口に立っています。
岩黒山から筒上山へ繋がる尾根を下って行きます。
道は尾根の右下に付いています。
前から人が来たら、立ち止まって譲らないといけないくらいの道幅です。
急斜面にあるせいで、所所、路肩が落ちてました。
同行者との会話に夢中になって、
くれぐれも穴に落っこちないように。
急坂にはトラロープの補助がしてありましたが、
上り下りとも、使うほどキツくはありませんでした。
②道が尾根の左下側に変わって間もなく、
1596mピーク下の崖を横切る桟道、登場。
入口だけ木で、後は凸状の鉄板です。
下が透けるくらい鉄板が何カ所か腐食していたり、
桟道自体、細い鉄筋で支えているので、
一度に大人数で通るのは避けた方がいいかも。
カーブを曲がると、また桟道って感じで、意外と続きます。
筒上山の道は覚心寺の信者さんらによって拓かれたものです。
この桟道も信者さんらの奉仕によって架けられたそうです。
③横道で一番低い場所で出会う、右斜め上に分岐する道は、
筒上山への尾根道です。
大事な分岐ですが、矢印看板のような目立つ案内はひとつもなくて、
ただ左の木の幹に-
とっても簡単な手書きの案内がくくりつけてあるだけです。
大ざっぱな地図だこと。
分岐を見送り、横道を進みます。
④水場になる沢です。
まさに筒上山の水です。
マグカップを忘れてきたので、手の平で受けて飲みましたが、
美味しかったです。
(飲用は自己責任)
ついでに顔も洗ってリフレッシュ。
晴れてきたらしく、木洩れ日が森にたくさん落ちてきました。
またデッカいキノコが道の真ん中に。
⑤丁寧に石積みされた谷もありました。
大峰宗覚心寺の信者さんらが築いたのかな。
今日まで筒上山を楽しめるのも信者さんのおかげです。
⑥この辺りはとにかく豊かなブナやミズナラの森です。
写真は道の左側の一風景ですが、緑がキレイです。
コケむした岩場にかかる小さな橋。
⑦急に現れた岩壁の下、自然石の石段を登るのですが、
道の左右にロープが張られています。
これは手すり代わりじゃなくて、
道端に咲く貴重な花を守り、立ち入りを規制するためのロープです。
踏み跡があっても、入っちゃいけません!!!
根っこが傷む! 表土が流出する!
貴重な花がって、知ったかぶりなこと云ってますが、
花の存在は途中で教えてもらったからで、
知らなかったら、通り過ぎてたかも (^_^;)
徳島の剣山では天然記念物になっている「キレンゲショウマ」の群落です。
宮尾登美子さんの小説『天涯の花』に登場して一躍有名になりました。
剣山でもシカの食害やバカオロカな連中の採集で数を減らし、
柵で囲って保護してる状態です。
キレンゲショウマは石鎚山で最初に発見されましたが、
2番目はこのお花畑なのです。
なるほど、これがキレンゲショウマかぁ。
つぼみが虫にかじられてる…。
高原植物は、下界でどんなに大切にしようが絶対、枯れます。
気圧・気温・気象の変化を大きく受けるためです。
国立公園内では石ひとつ持ち帰っても罪になります!
“取る”や“採る”は、みんな、“盗る”です。
見るだけにしましょう。
お花畑の中をジグザグと登ります。
ここまでたいした登り坂もなく、ゆったり登っていた道が、
いよいよ高度を取り返すべく、本気になります。
足元は土から岩のゴツゴツとした感触へと変化。
石畳みたく、整備されています。
コケむした感じが歴史を感じます。
⑧桟橋を斜めがけしてハシゴにしてあります。
凸鉄板なので、滑らないように。
⑨根を巻いて木がしがみついてる岩をすり抜け-
ちいさなせり割りを抜けると、間もなく-
⑩手箱越に到着…ですが、日なたに飛び出た途端、
突如として現れた高々とそびえる石垣の存在にビックリ!
山行ルートの下調べ中、大きな石垣があるという話は聞いていましたが、
ここまで立派なものだったとは!
松山城の二之丸並みの大がかりな石垣です。
これも覚心寺の信者さんが築かれたものです。
石垣に沿って登り、突き当たりを右折-
石垣の上へ。
厳かにそびえるドーム状の岩峰が筒上山です。
手箱越を占める、覚心寺手箱山道場に到着しました。
写真左に-
手箱山方面への登り口があります。
下からは見えませんが、
木立の中には山の入口を守るように鎮座する鳥居や小屋があります。
手箱山へ行けるほか、藩政時代、許可なく入山できなかった御留山(おとめやま)だった当時、
献上氷を保存していた氷室番所跡(「氷室まつり実行委員会」によって復元)を経由して、
寺川地区の滝・大瀧(おおたび)へと下る登山道も接続しています。
入口の脇に-
浴槽を二つ並べた水場がありました。
(登山道の途中にあった沢の方が美味しかったかな)
のどを潤し、顔を洗って復活しました。
昭和40年代に建てられた「寺壁改修記念」の碑。
そう、この石垣はそんなに古いものではないのです。
大正頃は幽境な峠で、粗末な小屋が建つのみでした。
やはり、丸滝小屋同様、こちらの立派な建物も立ち入り禁止。
完全に施錠されています。
「大峰宗石鎚山 覚心寺手箱山根本道場」
道場の左に、筒上山への登山道と、
安居渓谷へ下る古道があります。
石垣の間を抜けるのが安居渓谷への道です。
夏でも踏み跡はしっかり見えていました。
広場に戻り、高い石垣の上から東方を遠望しました。
パノラマ写真だと狭い谷のように見えますが、
実際はとてもとても開けていて、瓶ヶ森も大きく見えます。
昼休憩しながら晴れ待ちしましたが、
瓶ヶ森はとうとう、顔を出してくれませんでした。
石鎚山系と云うより、瓶ヶ森連山と云った方が似付かわしい山並みをアップで。
(写真左から)二ノ岳、スモモの高、伊吹山、雲に隠れた瓶ヶ森と子持権現山、
西黒森はなんとか見えて、東黒森、伊予富士も雲の中。
ひとりごと | ||
丸滝小屋以降でようやく登山者に出会いました。 その後、桟橋で、もう筒上山に登って休憩中という二人から、まだ30分くらいかかるかな、と花の場所を教えてもらいました。 桟橋ですが、カーブの先にまたあって、その先にまた、と云う具合に結構、設置してあります。 桟橋にぷち感動し、次はブナの原生林でまた感動。 羽虫と云えば、最後にすれ違ったグループの女性は、モスキートネット(虫よけ網)をツバのある帽子の上から被ってました。 教えてもらった30分くらいでキレンゲショウマのお花畑に到着しました。 キレンゲショウマは、絶滅が危惧される動植物のデータ、『レッドデータブック』に掲載されています。
分布地域は、
貴重だから盗掘するのか、盗掘されて貴重になったのか、貴重だから自慢したいのか…。 ちなみに、最初に発見した人は植物学者の吉永虎馬(高知県佐川町出身)です。 ウチの亡父は昭和4、50年代、エビネを採集し育てるのが趣味で、伊豆諸島まで出かけたりしていました。 お花畑からはどんどん登り、息が上がる前に手箱越に到着しました。 ホントは手箱山まで行きたかったけど、昼をとっくに回ってしまったのであきらめました。 |
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