へ行こう!
湯築山・道後公園 | |||||||||
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮ | |||||||||
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①道後公園西口からスタート。
市電「道後公園」駅を降りた正面に、
「道後公園 国指定 湯築城跡」の大きな看板があります。
公園を取り囲む外堀。
浮き草の間から顔を覗かせる亀や群れる小魚がいつも見られます。
公園に入ってすぐ右は“いこいの広場”という名の庭園。
お花見頃は露店がずらっと並びます。
②入口からまっすぐ山に向かって進み-
内堀を渡ります。
お堀では鳥がなにか狙っていました。
湯築城址の由来 |
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この地は元伊佐庭岡と呼び、今から千三百余年の昔、聖徳太子が鶴駕を駐め、道後温泉碑を建てられた所である。 |
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昭和34年12月 建立寄贈者一遍もなか本舗 |
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道なりに登ると曲がり角に東屋(休憩所)があって-
そこから広場を見ると-
いこいの広場の日本庭園風な姿を見られます。
③ジグザグに登ると丘陵広場。
ここも花見の頃は-
桜がきれいです。
花見客でごった返す麓より人が少なくて-
野良猫も警戒弱めです。
道後公園 |
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道後公園は全体で約8.6ヘクタールあり、外堀を含め南北約350m、東西的300mで、中央部は海抜的70m(比高約30m)の丘陵部となっています。 |
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湯築城跡 |
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湯築城は、二重の堀と土塁を巡らせ、その中に居住空間を持つ先駆的な「平山城」の形態をなす中世伊予国(現在の愛建県)の守護河野氏の居城として、約250年間存続しました。 |
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頂上はもう一段上にあります。
ジグザグ-
石段を登れば-
④湯築山山頂に到着!
昭和っぽい展望台がお出迎え。
山頂にも桜。
展望台に上がってみます。
丸型の展望版がある展望台の上からは、
標高70mとは思えないくらい、
周りのビルに負けないくらいの景色が見られます。
北側、道後温泉街方面の山並みです。
写真左奥が松山城、
遠くに興居島の小富士を挟んで御幸寺山があり、
写真右に向かって道後の山並みが連なります。
南側には、皿ヶ嶺から三坂峠を間に黒森山があり、
大友山、水梨山と砥部の山並みに続いて、
障子山や秦皇山など、
伊予市の山並みへと移って行きます。
⑤山頂に続いて麓を散策。
①西口から入って右へ曲がったすぐに、
湯築城資料館と管理事務所。
資料館では靴を脱いでゆっくりと、
パネル展示などを見ることができます。
土塀が復元されています。
土塀 |
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土塀は川原石を使って0.7m幅(最大は1.0m幅)の二列の石列を作り、間に小さな石をつめて2~3段の高さの基礎を立ち上げます。 |
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復元された武家屋敷その1を内側から。
武家屋敷1 |
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この屋敷は発掘された礎石の配置からみた間取りや当時の資料をもとに復元されました。 |
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内部には人形が当時の様子を再現中。
ある日の武家屋敷 |
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16世紀中頃、家臣が住んでいた武家屋敷のある日のようすを再現しました。 |
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外には丸い穴が…。
円形石積遺構 |
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この遺構は、まず円形や楕円形の穴を掘り、河原でとれる拳から人の頭位の大きさの石を集めてきて、この穴の壁に積み上げて造ります。 |
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⑥続いてもう一棟復元されてる武家屋敷2へ。
内堀・内堀土塁 |
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この城には堀が二重に巡らされています。 |
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武家屋敷2へ。
武家屋敷2 |
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この屋敷は発掘された礎石の配置からみた間取りや、当時の資料をもとに復元されました。 |
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中にはパネルや遺物などが展示されています。
木組みを積み木パズル見たく楽しめます。
⑦土塁に沿う溝はただの溝じゃありません。
これも再現されたものです。
道路・排水溝 |
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外堀土塁の内側には道路と排水溝が巡っています。 |
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東半分は芝生が拡がり、
浅い池も復元された上級武士居住区。
東屋の下では遠足の園児らがお弁当タイム中でした。
庭園の池 |
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ここでは池が発見されました。3m四方に小石を敷き詰めた深さ0.3mの浅い池と、大きな石を周囲に配置した最長8m、最深部0.8mの池が一体化した形です。 |
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最大土坑 |
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この場所には、長さ6.8m、幅3.4m、深さ0.8mの、発見した中では最大の土坑があります。 |
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昭和の頃、この場所は県立道後動物園として、
多くの動物が飼育されてていました。
芝生の緑と空の青さがまぶしい広場となった今、
動物園があったなんて遠い昔話のようです。
写真右、土塁に穴が開いています。
行ってみると-
⑧土塁をくりぬいて内部が見られる、
土塁展示室があります。
外堀土塁 |
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外堀土塁は外堀を掘った時に出る土を盛り上げて造られており「掻揚げ土塁」と呼ばれています。 |
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右側の壁は、
特殊な接着剤で固められた断面が展示されています。
湯築城の外堀土塁 |
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外堀土塁の築造 |
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外堀土塁は、外堀を掘った土を盛り上げて造られた土の壁(土手)で、かつては城全体を取り囲むように築かれていました。 |
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外堀土塁に沿って歩きます。
道路・排水溝・外堀土塁裾石 |
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城内の南東角に当たる箇所です。 |
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⑨休憩にぴったりな東屋。
その手前の穴は昔のゴミ捨ての穴だそうです。
土坑(ゴミ捨て穴) |
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土坑の大きさは、長さ約2.5m、幅2.0m、深さ0.5mです。 |
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振り返って。
内堀は防御というより、観賞用の池のようになっています。
桜がきれいな土手の左は-
遮蔽土塁というものだそうです。
遮蔽土塁 |
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この土塁のある場所は、外堀と内堀の間が最も狭い所です。 |
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⑩土塁が迫って狭い所を抜けるとグランドがあります。
昔、ここは交通公園と呼ばれていました。
グランドをぐるっと取り囲む道は舗装されてて、
ゴーカートに乗って遊ぶことができました。
城跡公園になってからは、
グランドと一体化した土の道に戻されました。
グランドの山沿いには-
岩崎神社があります。
こんなささやかなお社。
岩崎神社 |
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[民話] |
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この神杜は、蛇を祭っていると言ういわれがあります。 |
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岩崎神社 世話人一同 |
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グランドの東側には、
大型遊具が並んだゆうぐ広場。
二人乗りママチャリがいつも並んでいます。
桜が咲いた頃のグランドの様子です。
ぐるり、桜まみれです。
ゆうぐ広場も大賑わい。
桜並木がきれいです。
自販機も臨時に設置されます。
場所取りは出店がしてくれます。
⑪北口へ。
お花見の頃はこんな風に出店が建ちます。
お店ではお花見の予約のほか、
場所取りから料理まで全部段取ってくれます。
子規記念博物館の横を抜けます。
左に内堀があります。
子どもの頃、石垣に潜んだザリガニを釣りにきました。
僕らはザリガニ池って呼んでました。
⑫子規記念博物館を正面から。
入館料は大人500円、
児童生徒(高校生以下)は無料となっています。
北口から振り返って。
写真中央の橋を渡ると-
⑬湯釜が鎮座しています。
道後温泉で使われていたものだそうです。
石造 湯釜 |
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愛媛県指定有形文化財(建造物) |
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湯釜は、浴槽内の温泉の湧出ロに設置するもので、これは現在の道後温泉本館ができた明治27(1894)年まで使用されていたものである。 |
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松山市 松山市教育委員会 |
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いこいの広場の桜並木を。
⑭大きくて立派な桜。
場所取りされ、道も狭くなってます。
外堀の向こうを走る市内電車。
⑮北口に新設された信号機。
道後温泉に向かう道が大幅に拡幅され、
歩道も設けられました。
ひとりごと | ||
松山市民にとって城山と並んで馴染み深い道後公園。 お花見と言えば、少し前まで宴席の主役はBBQ、焼き肉でした。 とはいえ、昔の酔っぱらった大人たちはいま以上に騒いでました。 あの頃は、ギターとアンプを提げた流しのおじさんが宴席を回ってました。 宴もサクラが散ると嘘のようにいなくなります。 グラウンドの周囲には昔、ゴーカート場のコースがありました。 道後に動物園があったなんて知らない人も段々増えてきました。 移転後、更地になった跡地はしばらく、遺跡の調査が行われていました。 湯築城については以下のホームページが◎。 東屋に寝っ転がってのんびりできる公園はとってもおすすめな場所です。 |
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