道後のお山
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冠山・伊佐爾波神社
車道
徒歩
下記写真の場所

道後公園北口から道後温泉へ向かって60m。
歩道も付いた新しい道を進むと十字路。

そこを右折し、通称・いさにわ坂を登ります。

大鳥居をくぐると-



湯神社の石段。
ここを登ったらもう冠山です。



湯神社

 祭神は、大己貴命と少彦名命の二神である。
 当社は、延喜式内社で、その由緒は古く、もとは鷺谷に祀られていた。
地震で温泉が埋没した際に、現在の冠山の出雲岡神社の祭神、須佐之男命と稲田姫命が祀られている境内に移され、いつしか合祀して四社大明神と呼ばれるようになったという。
 社伝によれば、舒明天皇行幸のとき、勅命により神殿を新築したと旧記に記されているという。
その後、国司、領主の尊崇を受け、神田や幣帛の奉献があったと伝えられる。
 温泉は、地震などで、今までに十数回、湧出が止まったといわれ、その後に神楽を奉納して祈願したり感謝の祭礼をしたりしたといわれている。
今も「湯祈祷」という例祭があり、正月の初子の神事も世に知られている。

松山市
松山市教育委員会


冠山山頂に到着です!
山頂のほとんどは現在、
道後温泉の有料駐車場になっています。

駐車場の一角にある巨樹。

樹齢400年のイチイガシだそうです。

根元にまっくろくろすけが棲んでそうな瓦の祠が一つ。

石段を登りきった所にも巨樹。

樹齢300年のクスノキです。
実は、昭和の初めまでこんな巨樹に包まれた杜でした。

湯神社です。
合掌。

湯神社の隣にあるのは中嶋神社。
この神社はお菓子業者がお詣りする神社です。
石柱に刻まれてるのもお菓子屋さんの名前ばかりです。

「…崇敬
製菓の祖神として菓業者の崇敬厚し
我国菓業未開の頃果実をそのまま用い、
或は果汁を採りて製菓上の必要品とせり
柑橘の祖神とし我国柑橘業者の崇敬有り
橘は我が国の蜜柑の原種である」

西側からは松山城や-

御幸寺山。



西側には「空の散歩道」という、
展望ブリッジが2008年春に完成しました。


道後温泉本館やホテル・旅館街を、
この目線で見渡すことができます。
新しく付け替えられた車道も、
ここからならよく観察できます。

道後温泉からの坂は昔のまま、キツイです。
駐車場を結ぶエレベーターでもあればいいなぁ。

続いて伊佐爾波神社へ向かいます。


いさにわ坂に戻り、坂を登り詰めるた-



丁字路にあるのが伊佐爾波神社の石段です。
右の車道からも神社の裏手に行けます。



伊佐爾波神社

 延喜式内社で、祭神は、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、三柱姫大神である。
社伝によると仲哀天皇、神功皇后が道後温泉に来浴した時の行在所跡に建てられた神社で、湯月八幡とも呼ばれたという。
 伊佐爾波という社名の起源は諸説あるが、『古事記』に「建内宿禰大臣沙庭に居て、神の命を請ひまつりき。是に大后、帰神して…」、『日本書紀』に「建内宿禰に命せて琴撫かしめ、中臣烏賊津使主を喚して審神者と為す」とあり、これに神聖、清浄などいう意味の「い(斎)」が付いたもので、神功皇后に関わる名称ともされる。
 当神社は、河野氏が湯築城の鎮守として、今の地に移したといわれ、その後、加藤嘉明が、松山城の固めとして八社八幡を定めたとき、一番社として武運長久の祈願所となったという。
 現在の社殿は、松山藩松平第三代藩主の定長が、将軍から命じられた流鏑馬を成功させたお礼として建立したもので、その様式は、大分県の宇佐神官、京都の石清水八幡と並んで日本を代表する八幡造といわれる。

松山市 松山市教育委員会


長~い石段。

脇に立つ巨樹。

樹齢500年のクスノキでした。

この急な石段は10月の秋祭りの時-

大御輿が宮入・宮出されます。

御輿を担ぐ男たちの声が早朝の温泉街に響き渡ります。



石段を登り詰め、伊佐爾波神社へ。
立派な楼門がお出迎え。

境内から見下ろして。

手水舎の龍。

拝殿入口の左右にある像。

二礼二拍手一礼。
お願い事は具体的に、それから自分の住所・氏名も忘れずに暗唱しましょう。

回廊へ。

2棟の建物を前後に連結してひとつの社殿。
これは「八幡造はちまんづくり」と呼ばれ、
大分の宇佐神宮、京都の石清水八幡宮と、
ここの3カ所にしかないそうです。

回廊を時計回りに歩きます。
江戸時代に奉納された“算額”と呼ばれる、
和算の難問が描かれた額がパネル展示されています。

  




關家喜多次の算額

 中国から伝わって来た数学は、江戸時代に花開き、日本独自に発達した和算(数学)として世界の最高レベルにまで高められました。
 日本には古来から祈願のために、神仏に絵馬を奉納する風習があります。
その絵馬にならい、和算を楽しむ人々は、数学の難問が解けることを祈り、また解けたことを感謝し、後には学力の向上を願い、数学の問題や答を額に描いて神社仏閣に奉納したものが「算額」です。
 ここ伊佐爾波神社には22面の算額があります。
それらは奉納者や内容も豊富で、一つの神社にこれ程数多く算額が残っているのはここだけで、「算額の宝庫」として全国に知られています。
 關家喜多次の算額は現在失われていますが、明治44年(1911)発行の『愛媛教育』に、伊佐爾波神社に奉納された算額の写しが掲載されていることが分かりました。
この算領は、和算を楽しむ人々が好んで取り組んだ、複数の円が内接、外接した代表的な問題です。
 彼の師、小嶌又兵衛(馭季)が編集したと伝えられている和算書『容術』30冊(愛媛県立図書館蔵)に解法が収録されています。

問題文 

いま図のように、円弧内に青、黄、赤、白、黒の5円を入れる。青円の直径、赤円の直径、黒円の直径が
分かっているとき、白円の直径はいくらか。
愛媛和算研究会が「第3回全国和算研究(松山)大会」の開催を記念して、ここに復元奉納する。

平成19年8月吉日 愛媛和算研究会
平成19年度愛媛銀行ふるさと振興基金をもとに、
株式会社セットアップ製作



奥には大きな絵。

  

日露戦争を描いた“旅順背面総攻撃之図”。

秋祭りに松山を練り歩く大人御輿が置いてあります。

参拝後、神社の右側を抜け、境内の裏へ。



神社の裏は駐車場になっています。
入口に建つ料金所の横に-

階段があります。

コンクリートの階段を登ります。
距離は短いけど、日当たりの良い斜面にあるので、
うっすら汗をかきました。



八幡山山頂に到着です!
といってもなにもありません。

西南方向に林が開けています。

踏み跡はずっと奥に続いていて、途中の-

松林の中、ぬかるんだ平地に水たまりがありました。

ケモノの足跡がありました。
ヌタ場かな?

の階段を戻り、次は駐車場の外へ。



姫塚と呼ばれる平坦地があります。
市坪に移転した県の武道館は元元、ここにありました。
テニス場は残されています。
右に行けば松山ユースホステルやホテル。
テニスコートの左の道へ進み、山越えして石手寺へ向かいます。

ひとりごと

道後温泉は松山を代表する観光地です。
道後温泉周辺は2008年初めまで道路工事や区画整理が一斉に行われました。
人と車の分離が進み、観光客に優しい町になりつつあります。
工事以前、道後温泉本館の前は普通に車道で、観光バスやタクシー、車がひっきりなしに往来していました。
観光客はその間隙を縫って横断歩道を渡って温泉に向かっていました。
本館をバックに記念写真を撮るのも大変でした。
車がいなくなった瞬間に慌てて撮らなきゃいけない状態が何十年も当たり前でした。
ホテル・旅館街から本館、商店街へ行くのも、車道の端っこを車に注意して歩かなきゃいけなくて。
でも、地元の我々にはそんな不便さは当たり前すぎて、逆に気が付かずにいました。
この頃、道後温泉に来る観光客が少なくなったなー、みんな、海外とか行くせいかなぁ、なんて思ってました。

車道が本館の裏を迂回するように付け替えられました。
ホテル・旅館街から本館前までの石畳の歩道も整備。
みかんソフトクリームを食べ歩く姿や、記念撮影する観光客の姿もいっぱい。
笑顔がとっても増えたように感じます。
土日とか、道後温泉に行ってみると、昔より全然、雰囲気が良いことに気が付きます。
でも、ホントは、草津や野沢みたいに、車は温泉の中心部から追い出しちゃった方がいいんですけどね。
で、もーちょっと、温泉情緒を感じさせる町並みにして欲しいな。
狭い地域にやたらホテルが密集し、林立してるけど、デザインや質感がバラバラなのを統一したりとか。
温泉場なんだから、あちこちに湯気を立ち上るとか。
泉源が乏しいとか、温度が低いからって松山市は言い訳したがります。
明治頃、冠山は煙山とも別称されていたくらい、湯気が煙のように立ち上がっていました。
余り湯を再利用したり、なんか手が打てると思いますけどね。
あちこちから湯気が立ち上ってたら、ものすっごく、温泉地に来たって感じがすると思いません?
雰囲気ってすごく大事だと思います。
昭和レトロが流行ってるけど、もっと温泉情緒があった明治大正クラシックな道後に戻るものいいよね。

松山城の補修に引き続き、今度は道後温泉本館の工事が始まりました。
本館も老朽化が進んで、あちこち、ガタがきているそうです。
冠山にできた“空の散歩道”から、本館の全貌を後ろ斜めから俯瞰できます。
本館ってとっても複雑な造りをしています。
いくつもの建物が複雑にくっつき、繋がりあっています。
屋根だけ見ても、いくつもあります。
古い旅館が増築増築で迷路みたくなったのとちょっと似てる?
いろんなランク?の浴室や休憩室があるので、中に入ると、もう、立体迷路です。
よくこんな建物を設計したなと、感心してしまいます。

伊佐爾波神社はなんといっても、本殿と石段。
あの石段はいろんなドラマのロケ地に使われました。
丁字路の角のうどん屋さんも「がんばっていきまっしょい」で使われたりしました。
10月の秋祭りには、揃いのはっぴのかき夫に担がれた巨大なお神輿が石段を登り降りします。
僕も小中学生の頃、子ども御輿を担いで登りました。
子ども御輿だって重いんですから、子どもながらに大変でした。
回廊を巡ると、大人神輿を自由に見学できます。
お神輿に勝手に触ったり、かき棒に乗ったりしたら怒られるぞ!

その神社の裏にあるのが八幡山。
明治頃の資料に出てくる山名で、階段があるものの、登ってみても、なにもありませんでした。
林の奥に竹林があって、その奥に小さな畑があるくらい。
踏み跡は続いてるけど、宝厳寺の境内に通じてるのかな?
いまは立入禁止になっていることも多いです。

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