菊間のお山
へ行こう!
お山について登山口・ルート登ってみよう!メールホームへ
奈良原山遊歩道 奈良原山山頂~加茂神社
距離 約350m
標高差 約60m
一般道
徒歩
下記写真の場所
見晴らしあり
距離 約1.1km
標高差 約100m
  

続いて、知恵の文殊堂から山頂を目指します。
文殊堂下の分岐、右の方へ。

「奈良原山遊歩道→」の方へ。
山頂まで残り320mです。



  

遊歩道は舗装されてるので右へ進みますが、
左の道を行っても後で合流します。

右に分かれてすぐ、木立の中へ。

ちょっと草がわさわさ、荒れてる感じですが、
すぐに-

  

さっき分かれた左の道の延長と合流しました。
右へ曲がり、少し下ると-



  

木立を抜け、傾斜地の畑の直前で左に曲がります。

  

高縄山や北三方ヶ森が見える坂道を登ります。



また木立の中に入ると、雑草が元気。

枯れ葉に埋もれた階段登場。

なだらかなところにはベンチも。
遊歩道ができた頃は見晴らしが良かったらしいけど、
20年も経てばジャングルです。

北側からの遊歩道と合流。

桜並木をひょこたんひょこたん登ります。
春はさぞかしきれいでしょうね。



遊歩道整備に合わせて「いこいの森植物公園」が山の上に設けられ、
80本のサクラが植樹されました。

神社の入口に立つ注連石(注連縄を張る石柱)の間を通り、神域へ。

  

奈良原神社・展望台の直前にある分岐。

真っ直ぐが「←山頂展望台」。

右方向は「奈良原山遊歩道 ■■■まで700m→」。
消えてる文字は多分、加茂神社。

遊歩道の輪の中、階段を登れば-



奈良原山山頂に到着です!
山頂も20年の年月で展望台ができた当時とすっかり変わってしまい、
展望台からなにも展望できなくなってしまいました。
ひっそりした山頂で狛犬さんがお出迎えしてくれました。

狛犬コレクション、吽と

阿。

展望台は奈良原神社も兼ねています、合掌。

海側に扇状の展望マップも置かれています。
海がきれいに見えてた頃の名残です。

奈良原山にある三角点を探しに行きました。
神社の裏から-

みかん畑へ。
三角点はみかん畑の向こうに見える隣のピークに置かれています。



  

みかん畑を真っ直ぐ抜けて、
草まみれ、ササまみれ、雑木だらけのピークへ。
尾根に沿って軽く草が刈ってありますが、
三角点はそんな見つけやすいところにはありませんでした。

腰高のササの奥、2m近い雑木の中へ分け入ると-

三角点がかくれんぼ。
三角点の向こう、茂みの先にはまたみかん畑があります。

「門前」四等三角点。
標高は、100.08mです。


山頂直前の道標のある分岐に戻り、遊歩道後半へ。
分岐を右に進み、加茂神社まで足を伸ばします。



  

みかん畑の隣を下ってたら、ヘルメットが飾ってある角で、
道が二股に分かれました。
右の小径が遊歩道っぽい狭さですが、正解は左。
右に下ると子育観音の登山口へ戻ってしまいます。

ヘルメットの角を左へ曲がりますが、
ご覧の通り、車も通れるような道幅です。
山頂までの人幅の遊歩道と少し趣が異なったので、
間違ってるかもと思いながら、歩きだしました。

道標は見当たりませんでしたが、
方向的には加茂神社の方へ向かってるみたいです。



  

南斜面に拡がるみかん畑。
尾根沿いの農道をとことこと-



  

今度は海側が開けました。
麓のため池はあばらこ池。
ヘソ島が目印の太陽石油のプラントの方へ道は下って行きます。
このまま海に出たらどうしよう…、また心配になってきました。



  

貯水タンクの方まで行くのかと思ったら、
右の尾根が凹んだところが切り通しになってました。

切り通しに右折すると、ぎゅんと下り坂。

南に向かってどんどんと下ります。



大きなため池が見えてきました。
鈴ヶ谷池です。

池の土手まで下ったら、別れ道の茂みに-

倒れた、遊歩道の道標を見つけました。
「山頂展望台まで600m」と書いてありました。

水鳥がのんびり波紋を拡げてる鈴ヶ谷池の端を歩いてたら-

道端に祠がありました。

「奥之御前社」と云うそうです、合掌。



奥之御前社からすぐに大きなお宮の裏に着きました。
同時に、舗装されて道が急に土の下り坂に変わりました。
「お供馬」のお祭りの舞台、加茂神社です。

裏から失礼します。

さすが加茂神社、リアルなお馬さんのモニュメント。

境内を正面から。

本日最後の狛犬コレクション、吽と-

阿。
胴が長めです。

本殿(拝殿)へお参り。

「加茂神社」

床もぴかぴか、真新しい室内。
平成5年(1993)に改築されたんだそうです。
奉納されたたくさんの額と並んで大きな鏡が真っ正面に。
長津神社や八幡神社にも大きな鏡が奉納されてたような…。
2礼2拍手1拝…。
本日も無事に良いお山歩ができました。
ありがとうございました。

境内を後にして「お供馬」の馬場になる参道へ。



県の無形文化財に指定されてる「お供馬」は、
馬が参道を疾走する「走り馬」がメインイベント。
その馬場となる参道は馬の蹄に優しい土のまんま、
舗装は一切してません。

加茂神社由緒沿革

御祭神 別雷命わけいかづちのみこと
建角見命たけつぬみのみこと
闇於迦美命くらおかみのみこと
大山咋命おおやまくひのみこと

祭日 5月5日葵祭
7月31日 茅輪神事(夏越)
10月第3日曜 菊間祭(お供馬)

 当社は、寛治4年堀川天皇の勅願によりそれまで宮中武徳殿で行われていた競馬の儀式を京都賀茂別雷神社(上賀茂神社)で行う事となりそのためには20頭の馬が必要であり菊万荘園地他全国で19ヶ所の荘園地が定められその年貢が競馬の費用に充てられた。
その荘園地となった社領鎮護のため御分霊を奉斎したものと考えられる。
豊臣秀吉が天下統一した後社領制度改めにより天正14年以後菊間との関係は無くなる。
 江戸時代には菊間郷十ヶ村の大氏神として、松山藩特別崇敬社となり、臨時祭には藩より奉幣と共に必ず代官が参列している。
 10月の秋の大祭には町内各神社の神輿が集合し馬場では(昭和42年県無形文化財指定)お供馬の行事があり飾られた馬が少年騎手によって270米の参道を駆けぬける稚児競馬があり勇ましい掛け声が聞かれる。
また池原地区よりはしし舞が町地区に於いては県東部唯一の牛鬼が繰出され午前中境内は絢爛豪華な祭りとなる。

平成5年4月吉日 加茂神社

この坂は馬の勢いを止めるためですが、
広い参道に比べるとずっと狭いので、
飛び込んで行くのは勇気がいるでしょうね。

きれいな緑の土手に歌碑がありました。

愛媛県指定無形民俗文化財
500年の伝統行事お供馬

お供馬の祭を唄う

詩 サトウ ハチロー

おやぢも乗ったぞ
おぢいもやったぞ
おいらも負けずに がっちりやるぞ
手をふる母だぞ
妹もいるぞ
タノムといえば うなずく馬だぞ

270mの参道。
走り馬のスタート地点の鳥居へ行ってみます。



右の池は加茂池。
お祭りには2万人もの見物客が訪れて、
参道の両端は見物客でいっぱいになります。

鳥居から見ると左にカーブしてて神社が見えません。
馬も騎手の子供もお祭りまでに練習を積みます。
馬もちゃんとコースを覚えて走ってくれるそうです。
でも、昔はぶっつけ本番だったそうで、
最後の坂でも駐まらない馬もいたそうです。



加茂橋。

橋の上から、菊間川の上流方向。

下流側。

橋を渡った注連石のところに解説看板が2種類。

左の看板は裏表、同じことが書いてあります。

お供馬の行事

昭和52年1月11日 県無形民俗文化財

 加茂神社境内において、はち巻き、たすきがけ姿の少年騎手が、色鮮やかな布団や金糸・銀糸の刺しゅうで飾られた化粧鞍の馬にまたがり、5頭程度の馬が一団となり馬場を一気に駆け抜ける勇ましい行事が行われます。
「お供馬」は、菊間がむかし京都上賀茂神社の神領だったところから、同神社の「競い馬」の神事にちなんで伝えられたとされ、毎年10月10日の菊間秋祭りに豊年や子供の健康を祈願して行われている。
そのほか当日境内では、継ぎ獅子・牛鬼や神輿(大小の神輿10数体)が繰り出し、にぎやかに祭り絵巻が繰り広げられます。

愛媛県 無形民俗文化財
お供馬の行事
昭和40年12月24日県民俗資料指定
昭和52年1月11日県指定替
毎年10月9日・10日の両日、加茂神社の例大祭に神社境内でおこなわれる。
子供が騎手となって、走り馬(競馬)の行事と、これらの馬が御輿の渡御に供奉する行事を総称してお供馬の行事という。
寛治4年(AD1090)京都上賀茂神社の荘園地となった菊間に分社を奉斎し本社葵祭の競べ馬を模倣したものであろう。
明応4年(AD1495)の祭礼の条に「侍競馬」記事のある古文書が現存する。
所有者 加茂神社
ひとりごと

お供馬は有名なお祭りですが、実際に見に行ったことがありません。
正直、何月の何日にあるのかも知りません。
毎年、“TVでお供馬のニュースを見た時にはもう遅い”パターンの繰り返し。
ああ、今年も行きそびれた~、って、毎年云ってるような気がします。
菊間川沿いの県道は玉川から降りて来た時とかに通ったこともありました。
でも、県道から神社は見えないので、参道を覗いたぐらいのことしかなくて、加茂神社は今回、初めての参拝でした。
土のまんまの長い参道が珍しいです。
土埃をあげて綺羅美やらかに飾られた馬たちが駆けぬけてくんでしょうね。
馬自体、見られるのって、砥部の動物園とか今治の野間馬ハイランド、大野ヶ原のポニー牧場、古川や見奈良の乗馬クラブなど。
走る馬の姿となると、高知の競馬場まで行かないと。
ずっと昔、大街道の角にあった「ロバのパン屋」は、その昔、パンの屋台を白馬が引いて町中を売り歩いていましたね。
♪ロバのパン屋はちんからり~
店の名前はロバだけど、馬が馬車を引いてる姿をいまでもよく覚えています。
(ウチが貧乏で兄妹も多く、パンを買ってもらえなかったから余計に覚えてるのかも。)
菊間瓦を運んだり、昔は馬も大切な労働力でした。
馬と一緒に暮らす家も少なくなく、お供馬の「競い馬」に普段から乗り慣れてる馬で飛び入り参加する人も結構いたそうです。
明治14年には130頭、大正末期には100頭以上が参加。
大正11年の記録ではお供馬128頭、一般60頭以上だったそうです。
戦後、モータリゼーションの波が訪れるととどんどんと減少。
昭和47、48年には町内でたった1頭だけになってしまったそうです。
遍照院の500年も昔の古文書に「明応4年侍競馬白石」と書かれてる伝統行事が風前のともしび状態。
町も条例作って補助したり、高知の競馬場で走っててた引退馬を連れて来たり、北海道まで農耕馬を買いに行ったり。
現在では愛馬会というメンバーが17頭ほど大切に育てているそうです。
そんな馬に乗るのは地元の子供たち。
僕は馬に乗ったことがないので、小さい頃から馬に乗れるってだけで羨ましいっちゃ羨ましい。
子供ながらにあの参道を疾走する馬に乗るんでしょ、めっちゃ、凄いよ。
バンジージャンプは南の島の子供たちが大人として認められるための通過儀礼が原型だけど、菊間の子供たちの通過儀礼はお供馬なのかな。

はてさて、奈良原山。
こちらもいろんな資料に目を通したんですが、遊歩道のこと以外、見つけられませんでした。
山頂の奈良原神社の記述も見つかりませんでした。
奈良原神社と云えば、玉川の楢原山の山頂に同名の奈良原神社が存在します。
玉川の奈良原神社は、石鎚山も開山した役小角の開山と伝えられ、国宝の銅宝塔が出土するなど、歴史ある神社。
南北朝の争乱で都を追われた長慶天皇が牛に乗って楢原山を越えたという伝承から、牛馬の守り神として広く信仰を集めていました。
麓の加茂神社では走り馬の行事が行われてる。
山でも畑でも牛や馬が大切な労働力だった時代に、牛馬の守り神、玉川の奈良原神社を分祀したのかも知れません。
お山の名前も社名由来なのでしょう。
玉川の楢原山も昔の資料では社名と同じ奈良原山でした。

今回、子育観音から遊歩道を巡りましたが、子育観音の周辺には駐車できる場所がありません。
加茂神社の参道には駐車できますので、車の方は紹介したルートの逆回りをおすすめします。

ブログパーツ
     
inserted by FC2 system