へ行こう!
奈良原山遊歩道 奈良原山山頂~加茂神社 | ||||||||||||||||||||||
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮⑯ | ||||||||||||||||||||||
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①続いて、知恵の文殊堂から山頂を目指します。
文殊堂下の分岐、右の方へ。
「奈良原山遊歩道→」の方へ。
山頂まで残り320mです。
②遊歩道は舗装されてるので右へ進みますが、
左の道を行っても後で合流します。
右に分かれてすぐ、木立の中へ。
ちょっと草がわさわさ、荒れてる感じですが、
すぐに-
さっき分かれた左の道の延長と合流しました。
右へ曲がり、少し下ると-
③木立を抜け、傾斜地の畑の直前で左に曲がります。
高縄山や北三方ヶ森が見える坂道を登ります。
④また木立の中に入ると、雑草が元気。
枯れ葉に埋もれた階段登場。
なだらかなところにはベンチも。
遊歩道ができた頃は見晴らしが良かったらしいけど、
20年も経てばジャングルです。
北側からの遊歩道と合流。
桜並木をひょこたんひょこたん登ります。
春はさぞかしきれいでしょうね。
⑤遊歩道整備に合わせて「いこいの森植物公園」が山の上に設けられ、
80本のサクラが植樹されました。
神社の入口に立つ注連石(注連縄を張る石柱)の間を通り、神域へ。
奈良原神社・展望台の直前にある分岐。
真っ直ぐが「←山頂展望台」。
右方向は「奈良原山遊歩道 ■■■まで700m→」。
消えてる文字は多分、加茂神社。
遊歩道の輪の中、階段を登れば-
⑥奈良原山山頂に到着です!
山頂も20年の年月で展望台ができた当時とすっかり変わってしまい、
展望台からなにも展望できなくなってしまいました。
ひっそりした山頂で狛犬さんがお出迎えしてくれました。
狛犬コレクション、吽と
阿。
展望台は奈良原神社も兼ねています、合掌。
海側に扇状の展望マップも置かれています。
海がきれいに見えてた頃の名残です。
奈良原山にある三角点を探しに行きました。
神社の裏から-
みかん畑へ。
三角点はみかん畑の向こうに見える隣のピークに置かれています。
⑦みかん畑を真っ直ぐ抜けて、
草まみれ、ササまみれ、雑木だらけのピークへ。
尾根に沿って軽く草が刈ってありますが、
三角点はそんな見つけやすいところにはありませんでした。
腰高のササの奥、2m近い雑木の中へ分け入ると-
三角点がかくれんぼ。
三角点の向こう、茂みの先にはまたみかん畑があります。
「門前」四等三角点。
標高は、100.08mです。
⑤山頂直前の道標のある分岐に戻り、遊歩道後半へ。
分岐を右に進み、加茂神社まで足を伸ばします。
⑧みかん畑の隣を下ってたら、ヘルメットが飾ってある角で、
道が二股に分かれました。
右の小径が遊歩道っぽい狭さですが、正解は左。
右に下ると子育観音の登山口へ戻ってしまいます。
ヘルメットの角を左へ曲がりますが、
ご覧の通り、車も通れるような道幅です。
山頂までの人幅の遊歩道と少し趣が異なったので、
間違ってるかもと思いながら、歩きだしました。
道標は見当たりませんでしたが、
方向的には加茂神社の方へ向かってるみたいです。
⑨南斜面に拡がるみかん畑。
尾根沿いの農道をとことこと-
⑩今度は海側が開けました。
麓のため池はあばらこ池。
ヘソ島が目印の太陽石油のプラントの方へ道は下って行きます。
このまま海に出たらどうしよう…、また心配になってきました。
⑪貯水タンクの方まで行くのかと思ったら、
右の尾根が凹んだところが切り通しになってました。
切り通しに右折すると、ぎゅんと下り坂。
南に向かってどんどんと下ります。
⑫大きなため池が見えてきました。
鈴ヶ谷池です。
池の土手まで下ったら、別れ道の茂みに-
倒れた、遊歩道の道標を見つけました。
「山頂展望台まで600m」と書いてありました。
水鳥がのんびり波紋を拡げてる鈴ヶ谷池の端を歩いてたら-
道端に祠がありました。
「奥之御前社」と云うそうです、合掌。
⑬奥之御前社からすぐに大きなお宮の裏に着きました。
同時に、舗装されて道が急に土の下り坂に変わりました。
「お供馬」のお祭りの舞台、加茂神社です。
裏から失礼します。
さすが加茂神社、リアルなお馬さんのモニュメント。
境内を正面から。
本日最後の狛犬コレクション、吽と-
阿。
胴が長めです。
本殿(拝殿)へお参り。
「加茂神社」
床もぴかぴか、真新しい室内。
平成5年(1993)に改築されたんだそうです。
奉納されたたくさんの額と並んで大きな鏡が真っ正面に。
長津神社や八幡神社にも大きな鏡が奉納されてたような…。
2礼2拍手1拝…。
本日も無事に良いお山歩ができました。
ありがとうございました。
境内を後にして「お供馬」の馬場になる参道へ。
⑭県の無形文化財に指定されてる「お供馬」は、
馬が参道を疾走する「走り馬」がメインイベント。
その馬場となる参道は馬の蹄に優しい土のまんま、
舗装は一切してません。
加茂神社由緒沿革 |
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当社は、寛治4年堀川天皇の勅願によりそれまで宮中武徳殿で行われていた競馬の儀式を京都賀茂別雷神社(上賀茂神社)で行う事となりそのためには20頭の馬が必要であり菊万荘園地他全国で19ヶ所の荘園地が定められその年貢が競馬の費用に充てられた。 |
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平成5年4月吉日 加茂神社 |
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この坂は馬の勢いを止めるためですが、
広い参道に比べるとずっと狭いので、
飛び込んで行くのは勇気がいるでしょうね。
きれいな緑の土手に歌碑がありました。
愛媛県指定無形民俗文化財 |
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お供馬の祭を唄う |
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詩 サトウ ハチロー |
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おやぢも乗ったぞ |
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270mの参道。
走り馬のスタート地点の鳥居へ行ってみます。
右の池は加茂池。
お祭りには2万人もの見物客が訪れて、
参道の両端は見物客でいっぱいになります。
⑮鳥居から見ると左にカーブしてて神社が見えません。
馬も騎手の子供もお祭りまでに練習を積みます。
馬もちゃんとコースを覚えて走ってくれるそうです。
でも、昔はぶっつけ本番だったそうで、
最後の坂でも駐まらない馬もいたそうです。
⑯加茂橋。
橋の上から、菊間川の上流方向。
下流側。
橋を渡った注連石のところに解説看板が2種類。
左の看板は裏表、同じことが書いてあります。
お供馬の行事 |
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昭和52年1月11日 県無形民俗文化財 |
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加茂神社境内において、はち巻き、たすきがけ姿の少年騎手が、色鮮やかな布団や金糸・銀糸の刺しゅうで飾られた化粧鞍の馬にまたがり、5頭程度の馬が一団となり馬場を一気に駆け抜ける勇ましい行事が行われます。 |
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愛媛県 無形民俗文化財 お供馬の行事 |
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昭和40年12月24日県民俗資料指定 昭和52年1月11日県指定替 |
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毎年10月9日・10日の両日、加茂神社の例大祭に神社境内でおこなわれる。 子供が騎手となって、走り馬(競馬)の行事と、これらの馬が御輿の渡御に供奉する行事を総称してお供馬の行事という。 寛治4年(AD1090)京都上賀茂神社の荘園地となった菊間に分社を奉斎し本社葵祭の競べ馬を模倣したものであろう。 明応4年(AD1495)の祭礼の条に「侍競馬」記事のある古文書が現存する。 |
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所有者 加茂神社 | ||
ひとりごと | ||
お供馬は有名なお祭りですが、実際に見に行ったことがありません。 はてさて、奈良原山。 今回、子育観音から遊歩道を巡りましたが、子育観音の周辺には駐車できる場所がありません。 |
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