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天王山

天王山、奈良原山から

奈良原山・八幡山、天王山から
奈良原山、天王山から

八幡山、奈良原山から
天王山(てんおうざん)
愛媛県今治市菊間町浜・長坂
標高64m
別名・天皇山
※三角点はありません。
奈良原山(ならはらやま)
愛媛県今治市菊間町浜
標高約100m
▲山頂付近の三角点
点 名 門前
種別等級 四等三角点
地形図 広島-今治西部
緯 度 34°02′15.1741
経 度 132°51′05.4525
標 高 100.08m
所在地 愛媛県今治市大字浜1596番
八幡山(はちまんやま)
愛媛県今治市菊間町浜
標高39m
※三角点はありません。
新設合併で今治市に生まれ変わった菊間町は、高縄半島の北西に位置する製瓦業が盛んな町です。
菊間の名の由来は、木の生い茂った入江という意味の「木隈」、古代の姫様の名前「菊麻理姫」「玖玖麻毛理姫」から、紀伊熊野を縮めたとする説など、様様な説があります。
漢字の「菊間」が定着したのは江戸時代からで、中世は「菊万」や「菊麻」、当て字の「伎久間」や「幾久間」も見られます。

狭い海岸線伝いに国道とJRの線路が並走し、菊間の町が近くなると、国道と線路の間に菊間瓦の工場が立ち並んでいます。
弘安元年(1278)、河野氏の城に献納するなど、平安から鎌倉時代にかけてが菊間瓦の初まりとも云われていますが、正確な史料は残されていません。
日本に瓦が伝来したのは仏教の伝来と同時期とされ、主に寺院や宮殿に用いられていました。
製瓦技術が進歩したのは、戦国時代の末期、天正元年(1573)、豊後へ来た明国の商人や、織田信長が安土城を築城した時に製瓦の指導をした明人の瓦工「一観」によるところが大きいと云われます。
高価だった瓦屋根が防火性に優れているとして庶民に普及し始めたのは江戸時代になってからで、伝来から900年も後のことです。
菊間瓦も松山城の築城に際して納入されるなど、寺社や城、藩邸など、上流階級を中心に普及しました。
ちなみに、昭和8年(1933)に松山城の小天守閣が放火で焼失した際、焼け落ちた瓦の中に浜村(明治22年に合併して菊間町になった村のひとつ)にあった20軒の窯元の刻印が発見されています。
江戸時代、松山藩は「瓦株」という制度で製瓦業者を保護し、技術の流失を防いでいましたが、53株あった瓦師の半数、26軒が浜村に集中していました。
菊間の町の入口、岩童子から水尻の辺りに工場が密集していますが、工場の場所を限定した江戸時代の名残です。
町内を歩くと、製瓦技術を用いて作られた、神社のさい銭箱や灯籠、こま犬、公園のオブジェなど、瓦の町を印象付けるものにたくさん出会えます。

菊間は前は海(斎灘)、後三方は山(高縄山塊)に囲まれ、標高50m以上の山林が全地域の75%を占めています。
高縄山からゆるゆると斎灘に向かって下る起伏の大きな山地は北条菊間丘陵と呼ばれ、地質は領家花崗岩の風化した崩れやすいマサ土で、いくつもの川が深い谷を形成、柑橘類の栽培も盛んです。
花崗岩の層を貫いて噴出した岩塊でできた円錐形の姿が綺麗な名石山(297m)、高仙山(248m)、無宗天山(310m)などが点在しています。
菊間川の河口の肥沃な三角州・菊間低地は、今治支所(旧町役場)など菊間の中心地的市街地になっていて、米麦などの栽培も盛んです。

天王山奈良原山八幡山は、菊間低地に接する北条菊間丘陵の末端です。
天王山は、 菊間駅の裏にある丘陵で、山頂からは長津神社古墳や荒神社古墳、七社明神古墳など、多数の古墳が発見されています。
山名の「天王山」は明治時代の古地図や古墳調査報告書に見られ、山頂にある長津神社が明治34年に復称されるまで(江戸時代を中心に)牛頭天王社と呼ばれていたことに由来しています。
「河野古城記」の記述から「菊間城」(城主は神野佐馬允)があったと推測されています。
現在、山全体が「瓦のふるさと広場」として整備され、目の前を走る列車の車窓からも見えるモニュメントが瓦の町のアピールにも貢献しています。
公園の入口、麓にある「かわら館」は、瓦屋根を代表する数奇屋建築様式の4階建てで、瓦産業の伝統技術の継承と育成のため、屋根瓦、鬼瓦、瓦工芸品や、瓦に関する資料などを収集、展示しています。
山中を散歩できる遊歩道沿いには、菊間瓦の体験学習ができる実習館、直径3mの大時計がシンボルの展望台(高さ20mくらい)、ローラー滑り台(全長120m!)などのほか、瓦で作られた干支のモニュメントなどがあります。

奈良原山は、菊間川の北岸にあるお山です。
山麓には、出産から育児まで霊験あらたかな「子育観音」、受験シーズンは特に賑わう「知恵の文殊堂」、「お供馬」の神事で有名な「加茂神社」があり、山頂にある奈良原神社は山名の由来になっています。
これらを結ぶように全長1.5キロの「奈良原山遊歩道」が整備されています(昭和53年10月完成)。
遊歩道は舗装され、東屋や桜並木の「いこいの森植物公園」が作られたほか、山頂の奈良原神社は展望台兼用の建物となっています。

遊歩道の東の降り口にある加茂神社で行われる「お供馬」は、昭和40年に県の無形文化財に指定された菊間一のお祭りです。
加茂神社の例大祭当日、境内で「走り馬」という行事が行われます。
金銀糸で刺繍された馬具で飾られた馬に、地元の小中学生が乗子(騎手)となってまたがり、300mの参道を疾走します。
そのため、参道は舗装されていません。
寛治4年(1090)、菊間一帯は京都賀茂別雷神社の社領となり、宮中で行われていた競馬(くらべうま)の儀式を上賀茂社で行うために馬20頭や荘園地、社領より入る年貢を納めるなど、上賀茂社の競馬が「走り馬」の原型だと云われています。
牛や馬が重要な働き手だった明治から大正かけては100頭以上の馬が参加したそうです。
そのため、馬の改良や飼育の先進地としても知られるようになり、戦前・戦中は、境内は徴発馬の集合地となって高知種馬所の馬匹検査場にあてられてもいました。

八幡山は、 海岸端にある小さな小山で、山頂に鎮座する八幡神社が由来です。
八幡神社は、宝徳2年(1450)に高仙山城の城主・得居通敦が宇佐八幡宮から勧請したと伝えられます。
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八幡山
八幡神社
28.4km 300m 400m 600m
「菊間」
バス停
500m  菊間町
交差点
1.2km 菊間交番 500m
瓦のふるさと広場 子育て観音堂
天王山 奈良原山
300m 加茂神社
164↓玉川へ
JR予讃線
西条・高松行き
JR予讃線
西条・高松行き
松山駅
菊間駅
今治駅
伊予鉄バス
大三島・今治桟橋行き特急






↓せとうちバス
↓菊間行き
松山市駅 菊間

菊間 菊間橋 八幡前 今治駅前

天王山

奈良原山

八幡山
伊予鉄道 →JR四国(鉄道) →せとうちバス
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