菊間のお山
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遍照院から八幡山へ
距離 約150m
標高差 約30m
一般道
徒歩
下記写真の場所

海沿いを走る国道196号線。
北条から浅海を経て、今治市との境を越え、菊間町へ。

  

この国道沿いは「四国のみち」でもあり、遍路道でもあります。
お遍路さんも海を見ながら歩きたいだろうけど、歩道があったりなかったり。
トラックも多く行き交うので、安全に歩けるよう、整備して欲しいなぁ。



市境から2.9km。
菊間の町を象徴する「瓦」作りの工場が建ち並ぶ浜・西海岸地区。
海に飛び出た岬・松ヶ崎を抜けて、
すぐ右にある龍神宮と鬼瓦の巨大レリーフ。

さすが、瓦の町。
「龍神宮」の扁額もさい銭箱も瓦です。
合掌。

手前の岩童子地区から遍照院までの1kmに渡って瓦工場が立ち並んでいます。
江戸時代、松山藩は製瓦技術の漏えいを防ぐ目的もあって、
目の前には船積みに便利な港もあるこの地に瓦工場を集積しました。
国道やJRの開通、海岸の埋め立てなどで風景は変わってしまいましたが、
工場がずらっと並んでいるのは、江戸時代にできた工業団地の名残だったりします。

渡米製瓦さんの表にお遍路さんの接待処があります。

瓦でできたカエルのお守りの「ぶじカエル」など、
お遍路さんへのプレゼントが置いてあります。



  

菊間の町中へ行く前に、ちょっと寄り道します。
「菊銀」大看板、右の倉庫の手前にある小路へ右折します。

小路に入ったらすぐ、線路の土手に突き当たり、右折。
30mほど進んだら-



  

線路の土手を上がる小径があります。

  

「通行注意」の看板の先、線路を越えた、森の暗がりにあるのが-

荒神社の鳥居です。
鳥居との間に踏切なんてありません。

左にあるトンネルは石転山隧道。
でも、のんびり写真なんて撮ってたら-

音もなくやってくる特急にひかれちゃいます!
列車は頻繁に行き来してるので、通行は心底気を付けて!

「荒神社」

弘化4年(1847)に建立された鳥居の奥に-

一直線に登る石段。

その途中、左に鎮座する黒い灯籠は、瓦でできた珍しい灯籠で、
高さは2.75mもある立派なものです。
天保2年(1831)9月、製瓦業者が献納したもの。
花の模様も見事です。
今治市の有形文化財に指定されています。



火の神様、瓦業者の守り神様「荒神社」に到着。
2礼2拍手1礼、本日も無事、お山歩できますように。
本殿の片隅に瓦が積んでありました。

屋根の狛犬、思いっきり跳ねてます。



菊間の町中へ。
左の船溜りは菊間港、
「菊間」バス停から横断歩道で国道を渡った写真右の杜は-

通称・厄除け大師の「遍照院」、四国八十八ヶ所の番外霊場です。

  

小道を挟んだ隣にコンビニと駐車場があります。
写真は駐車場に立つ「菊間町観光案内」。

コンビニ側から入ると正面に本堂。
節分に合わせて行われる厄除け大祭では、
露店がずらっと並び、鬼瓦のお神輿も出て大賑わい。
でも、普段はひっそり、ほのぼのです。

左のテントではおばあちゃんが「厄除けまんじゅう」「厄除け鬼瓦もなか」を販売中。
「厄」がテーマのお寺です。
弘仁6年(815)、まさに厄年だった42歳の弘法大師が、
この場所で見た紫色にたなびく雲に霊験を感じ、
自分の姿を刻んだ像を安置して厄を落とすとともに、
厄落としの秘法を残したことに由来しています。
縁日など、詳細は、こちらへ → オフィシャルサイト



国道を更に進み、八幡山へ向かいます。
菊間の町中を抜け-

  

菊間大橋から600mちょっとにある丁字路を左折します。
目印は押しボタン式信号と太陽石油のガソリンスタンド。

左折したら広めの道を道なりに真っ直ぐ。



道の正面に鎮守の杜が現れます。
八幡神社の参道で、八幡山の登り口です。
車道の方は八幡山を左に避けた後、海岸まで通じています。

八幡神社は昭和の初め頃まで「八幡大神」と称していました。
宝徳2年(1450)、高仙山城主の得居通敦が、
宇佐八幡宮より勧請したのが初まり。
鎮座から500年を記念した石碑が写真左に建てられています。
正面の石段のほか、右に車道もあります。

訪れた時がたまたまだったのか、
石段に落ち葉が結構、積もってました。



おやや、雑草が左右からわっさわさ。

コンクリートの階段になると雑草も落ち着き-



本殿がある境内から一段低い広場へ。
麓の車道はここまで通じています。
左右でにらみをきかせている狛犬は瓦でできてます。

狛犬コレクション、阿と-

吽。
石と違って、毛並みなど細工が細やかです。

本殿へ上がる前にふと、右(東)の方を見たら、木立の合間から-

太陽石油のプラントの沖に浮かぶヘソ島が見えました。
ヘソ島はマグマが噴出してできた島です。
なので、ヘソと云うよりニキビの方が合ってる?



八幡山の山頂に到着!
山頂は八幡神社の境内になっています。

狛犬コレクション、吽と-

阿。
黒いシミのせいで、なんか調子悪そう…。

本殿へごあいさつ、合掌。

裏が一番高い場所ですが、雑草まみれ、森も濃くて、
真下に拡がる海すら見えませんでした。

ひとりごと

「そうだ、京都へ行こう」じゃないけれど、菊間へ行こうと思ったのは、その日の朝、起きてすぐでした。
梅雨が来る前に…、と、パソコンの地図ソフトを眺めながら、身軽に行ける山を、と。
でも、しばらく行ってないような、登ってないお山がある場所…、で絞り込んだら菊間になりました。

菊間のお山は、城跡のあるお山巡りというくくりで、高仙山と無宗天山に登ったことがありました。
北条との境にある名石山や岩が森には北条側から登りました。
無宗天山ではTシャツの中に入り込んだ毛虫に気がつかないまま下山。
ひと月も痒い痒い地獄に陥ったりした、苦い思い出があったりします。
無意識に菊間はちょっと避けてたとこがあるんですが、そのせいで久しぶりの菊間山歩になりました。
登ってないお山がいくつもあったので、GPSには取りあえず、4つのお山のデータをアップロードして家を出ました。

海沿いを走るご機嫌な国道196号線にある菊間は「瓦」の町です。
瓦工場が軒を並べる“瓦ストリート”は、松山藩が菊間瓦の製瓦技術を漏らさないために一ヶ所に集めた名残です。
同じ物を作ってる工場が集まってるところと云えば砥部焼の砥部を思い出します。
砥部焼もやはり、大洲藩が製磁技術の囲い込みを行ってました。
佐賀の有田焼でも情報漏えいの最高刑は死罪という厳しい環境でコントロールされていました。
瀬戸(瀬戸焼)の若者が有田の女性と結婚するなどして地域に融けこんで信用を得、製磁技術をまんまと修得。
妻も捨てての速攻で瀬戸に逃げ帰るという、産業スパイ事件が起きています。
その結果、製磁技術は一気に拡散。
秘中の秘でもなくなったことで有田の地位はダウン。
焼き物のことを「瀬戸物」と呼ぶまでになってしまいました。
瓦作りに関しては死罪になるほど大げさなことはありません。
それでも、大きな寺社や朝廷に納めるような一流の製品を製造するには土の配合、火の加減とか、企業秘密のひとつやふたつ、あるでしょう。
藩の方でも御用瓦御奉行なる役職まで設けて管理していました。
「瓦株」という制度を作って業者を限定して株を持っていない者の営業を禁じたり、職人の出稼ぎも禁止したりしていました。
ちなみに、松山藩は53の株を交付。
菊間に26軒、残り27軒は、三津や堀江、垂水、上野、和田、鹿峰などに点在していたようです。

菊間の町なかを探訪してるとあちこちで瓦でできたものに出会います。
荒神社の瓦灯籠はとても立派です。
国道から入った線路の向こうにあったりするので、町外の人にはほとんど知られてないに等しいかも。
荒神社には踏切のない線路をまたいで行きます。
列車がなんの予告もなく(特に特急は気付いた時には目の前!)突然来るので、ホント、気を付けてください。
松山側はカーブ、今治側はトンネルと、共に見通しが悪い場所です。
予讃線は1時間に数本しか走ってないイメージがあります。
でもそれは片道だけのこと。
上り・下りも合わせると数分おきに通過します。
石段を下りてる最中にも特急がもの凄い勢いで走り抜けていきました。
参道を列車が横切る光景は初めて見たので、すごくドキドキしました。
子供なんかだと石段を駈け降りた勢いで飛び出す恐れもあるので、手を離さないで下さいね。

荒神社の後に訪ねた遍照院は、おじさんと札所巡りをした時とかに立ち寄ったことがありました。
いつ来てもお遍路さんの姿をちらほら見かけるくらいです。
ホームページなどで紹介されてる厄落としのお祭りのもの凄い賑わいがなかなか想像できません。
弘法大師が遍照院を建立して自身の厄落としをしたのは弘仁6年(815)。
「厄」という発想は平安時代からあったと云われています。
「厄」「厄年」という考え方は仏教だけのものと考えがちです。
実は、キリスト教やイスラム教などでも、何才になったら気を付けた方がいいよ、みたいな考え方はあるそうです。
迷信な部分もあるでしょうから、信じる、信じないは人の勝手です。
でも、世界中に「厄」という考え方があるからには無意味ってことはないでしょう。
おみくじの「凶」みたいなもので、迷信だと思っていても気になってしまいます。
厄年に健康について普段以上に慎重になったおかげで、病気を早期発見できることもあるでしょう。
定期健診みたいなものがなかった時代に考えられた賢い知恵なのかも知れません。
厄とは関係なく、境内で売ってた「厄除けまんじゅう」「厄除け鬼瓦もなか」は食べてみたかったです。

次の八幡山、八幡神社。
編集の都合上、先に紹介しましたが、ホントは奈良原山の後に登りました。
GPSにもデータを入れてませんでした。
天王山や奈良原山から何度も見下ろしてる内に行きたくなって、予定を変更して訪ねました。
瓦のふるさと広場の展望台からも屋根が見える八幡神社。
行ってみると、石段は落ち葉まみれだし、雑草はわさわさ。
集落と隣り合う大きな神社にしては珍しく、ちょっとほったらかされてました。
よこしまな僕は、掃除したら御利益あるかなぁ、なんて考えながら石段を登りました。
荒神社に続いて瓦の製品、狛犬さんに菊間らしさを感じつつ、本堂を参拝。
急に登ったため、三角点が有るのか無いのか分からなかったので、一応、本堂の裏の茂みに分け入り、最高地点を捜索しました。
元から三角点は無いお山なので、当然、なにも見つからず、下山しました。

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