堀江のお山
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花見山へ
距離 約100m
標高差 約20m
国道・県道
一般道
徒歩
下記写真の場所

※花見山は町中にあるので多方面からたどり着けます。
今回は東大栗から下りてきた延長でお伝えします。

東大栗町から県道204号線で下って来て国道196号線へ。
堀江小学校がある郷谷川橋交差点を西に渡りました。
しばらく、郷谷川沿いに走ります。
春の桜の頃はとても綺麗な通りです。

…というわけで、2010年春、桜を撮りに行ってきました。

河原の菜の花もきれいでした。



予讃線踏切手前の交差点を左折します。
城北橋を渡って260mほど南に向かって進むと-



平地にちょこんと飛び出した花見山に着きます。
権現川に架かる祇園橋を渡り、小屋の横の、
写真の白い車の止まっているところが駐車場です。

花見山城と城主の墓

 1368年(室町時代前期)、河野通尭は、葛籠屑城主・村上大蔵太夫に命じて、花見山に出城を築かせた。
当時、守護や地侍の勢力争いが絶えず、領地を守るために出城を造り敵に備えていた。
築城後、通尭は、この地方から他郷の細川勢や仁木勢を退け、政治を安定させた。
 1379年、通尭は、将軍・足利義満に味方し伊予国の守護に任ぜられた。
その後、城代・西通孝から引き継いだ西山氏(西の改姓)が代々城主となる。
城主・西山氏の基は、この花見山の麓にある。
第四代城主・西山肥後守通倫、第六代城主・西山五右衛門通周は、この地方の開発や村人の救済に尽くした功績で正八幡神社本殿左側の周敷神社に祀られている。

松山市堀江公民館

解説板の左の踏み跡があります。
その上に、第四代城主・西山肥後守通倫、
第六代城主・西山五右衛門通周のお墓があります。
そのまま強引に山頂に上がれますけど、とりあえず-

山の左へ小川沿いにわずか入ると-



右斜めに入る登山口があります。

山頂に向かってジグザグする小径を-

とことこ登るとあっという間に-



花見山山頂に到着です!
杜を従えた祇園神社があります。

三角点は神社に向かって右奥にあります。
「花岡山」四等三角点。
標高は、23.88mです。

山頂からの眺めです。
真ん前が大きな新池です。
撮影当時は浚渫工事中で空っぽ。
池の底をダンプが行き交っていました。
奥に見える山は太山寺方面の経ヶ森、勝岡。

こちらも2010年の再訪時に撮った、
きれいに整備された新池です。
以下、桜に染まった新池の様子をご紹介します。



花見山の真ん前に新池の解説板があります。

新池

 昔、堀江村の田畑へは郷谷川、権現川、大川などの水を引いていたが、その水だけではいつも不足勝ちでそのうえ数年に一度は干害にあっていた。
これを解決するために庄屋・門屋一郎次が大規模な「溜め池」の築造を考え、村人や松山藩にはたらきかけた。
松山藩は、工事費の補助と人夫が食べる米をあたえた。
村人は一丸となって作業に励み、3年の歳月をかけて1835年(江戸時代後期)、ついに藩内最大の溜め池が完成した。
 めずらしい光景となっている池の中ほどの土手(中土手)は池があまり大きいため、大風の時にできる波立ちによって堤防が壊されるのを防ぐためのもで、先人のすばらしい知恵をみることができる。

松山市堀江公民館



花見山から少し離れて、
三浦工業がオーナーの美術館、
「ミウラート・ヴィレッジ」のそばから。
新池の周りを巡れるように遊歩道が整備されています。
ただ、自転車で入っちゃいけないのが残念。

ミウラート・ヴィレッジの桜並木の下を歩き、
向こうの広場にある東屋へ。



ミウラート・ヴィレッジの敷地には桜がたくさん。

敷地から見た桜。



池の真ん中に飛び出てる堤防、
「中土手」へ行ってみました。



中土手から見たミウラート・ヴィレッジの桜。

花見山。

池のすぐ西側をJR予讃線が通っています。
昼間の普通車はたった一両。

ひとりごと

ささやかなお山でした。
周りは住宅街で、頭ひとつ飛び出てる花見山。
見つけるのは簡単でした。
以前から気にはなっていましたが、「花見山」の名前を知ったのはつい最近でした。

当日は上写真の車に乗ってこられた方が草刈りをしておられました。
山は放っておくとあっという間にヤブまみれ。
登山道でヤブこぎしないで済むのも、山頂でゆっくりお弁当を広げられるのも、こういった苦労のおかげ、賜物です。
感謝です。

この頃、街の中にあるお山がどんどん削られてます。
一見昔のままでも、裏側は山半分がばっさり削り取られ、宅地やマンションが建ってたりすることがあります。
山頂より高いマンションって、まるで山が踏み台にされてるみたいで、ちょっと可哀想。

でも、山はなにも語らず、どこ吹く風。

お山は、地球規模で見たら、人が手を加えなくても、雨風や地震で浸食され、いつかは平らになる運命。
人間の行いなんて地球時間からすれば一瞬のこと。
人間が滅び、次の生物が覇権を握った頃には、地殻変動で隆起して、まるっきり別の山に生まれ変わってるかも。
だから、削りたければ、お好きにどうぞ、って感じだったりして。

刹那な時間に生きてる僕らには、昔の面影もなく削られ、崩された姿はやっぱり、可哀想。
というか、故郷の景色が変わってしまうことが切ない。

けれど、人にはそれぞれ事情があります。

たまに登りに来るよそ者が口を出すのは、大きなお世話ですよね。

ネットの山行記録をあちこち見てると、
「久しぶりに山に入ったら、驚くほどの変わりようで…」
と、林道やダムなどにすごく拒絶反応を示すサイトに出会います。
お山が荒らされたようなその気持ち、理解できないこともないけど、どーなんでしょう。
その土地、そのお山で暮らす人のことを考えると、やっぱり、簡単には同意できないなぁ。
自然保護を口実に、お山に暮らす人たちに、舗装もない林道を毎日ガタガタ通わせて木を運び出させたりとか。
雨が降る度、地滑りや土石流に怯える生活を強要してもいいのか?って。

高圧電線の鉄塔や電線も、写真撮影の邪魔になる時もあります。
でも、おかげで夜も昼間のように明るく暮せてます。
送電鉄塔への巡視路はいつも草刈りされて歩きやすく、お山に登る時は大助かり。
ダムも水道や発電、洪水対策の効果がある。
ゼネコンが儲けるとしても、そのお金は労働者、社員らが衣食住で消費する。
結果的に遠回しだけど還元される。

ダムのあのコンクリート色は、背景からは浮いて見えるところがよくないのかも。

必要な物は作らなきゃね。

できあがった物の美的センスが有る無しは置いておいて。

エコロジーなことを云っとけば取りあえず評価されるような現代の風潮って、なんだか怪しく感じてます。

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