へ行こう!
山の辺のみち2 | |||||||||||||||||||||||||
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬ | |||||||||||||||||||||||||
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①左が降りてきた農道、
右が後で通る“伊予の山の辺のみち”。
まず、三島神社へお参りです。
注連石に刻まれた達筆は、三輪田米山のものです。
秋祭りには獅子舞が奉納され、
大人御輿が往来する境内。
平日は静かです。
②拝殿です、合掌。
右にあるのは“左近の桜”の薄紅寒桜。
3月になれば見事な花を咲かせます。
左にあるのが“右近の橘”の日本たちばな。
社の裏に行ってみたら、谷へ入る小径。
ほかにはなにもなかったけど、
裏もちゃんと掃除されてました。
さて、参拝も終わったので、次へ。
境内を出たら、左-
①路地を入り-
突き当たりの丁字路は右へ(左は閉鎖)進み、
みかん畑へ。
③未舗装の道をたどり、
みかん畑小屋の脇を抜けて-
さっき歩いてきたばかりの尾根から西へ延びる支尾根が、
丘のようになって、みかんの木に覆われてる所を、
えっちらおっちら、登ります。
④尾根の上に出たら、反対側には舗装された農道がありました。
ひとまず、右へ曲がり-
丘の先端を目指します。
坂道を登り切ると-
⑤一気に視界が広がりました。
左には松山市街方面、姫山小の青屋根も見え、
右は吉藤、鴨川の家並み。
道は西へ、中継アンテナ施設へ。
終点。
施設の右側を通り抜け-
見晴らし良さそうなみかん畑の上部へ。
南向きのパノラマです。
さっきまで歩いてた姫原丘陵の稜線や、
登り始めた姫原小の建物、
次に向かう姫池もちらり、
写真右にあるアンテナが載ってるビルはNTT山越。
西から北にかけてのパノラマです。
正面は久万ノ台や東山・北山・船ヶ谷山、
小富士、経ヶ森。
眼下は家がびっしりです。
振り返って、今日のおさらいのような山並みを。
④丁字路へ戻り-
直ぐ下にある丁字路を右折し、急坂を下り-
⑥次の丁字路を左折。
日差しを前から受けながら南下。
⑦姫池のほとりに出ます。
右へ曲がると-
堤防沿いの小径があるので、
池の反対側まで歩いてゆきます。
小径から。
姫池はすっごい緑色。
左にある大きな建物は特別養護老人ホーム。
右に見える-
⑧軽之神社へお参りです。
戦捷記念の碑の横に-
一草庵の前にもあった“伊予山の辺のみち”案内図。
軽之神社・軽太子の塚 |
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允恭天皇の皇太子 |
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松山市教育委員会 |
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拝殿、合掌。
日本最古の心中事件ともいわれる、
姫原の“姫”は、軽大郎皇女が由来です。
「軽之神社」の額。
次は、比翼塚へ。
神社の左を抜け、まっすぐ進みます。
水面で一羽のカモがお休み中。
…あれ!?
ええっ!? く、クビがない!?
-と、思ったら、羽の間からぴょこっと出てきました。
あー、びっくりした。
⑨辻を右折します。
角にちゃんと道標があります。
「←行き止り 比翼塚→」
道なりに行けばすぐに-
⑩比翼塚に着きます。
木梨軽皇子と軽大郎皇女のお墓は、
いま時のお墓と比べ、とっても小さいです。
アップで。
更にアップすると、激しい風化具合…。
歌碑は、祀られてる兄妹のもの。
「天飛ぶ鳥も使ぞ鶴が音の聞えむ時は我が名問はさね」木梨軽皇子
「君が行きけ長くなりぬ山釿の迎へ尓行かむ待つには待たじ」 軽大郎皇女
敷地には句碑がもうひとつ。
「天さかるひな乃伊予路に永久乃愛に生きたまふ二柱の神」八木米蔵
2010年春に撮った満開の桜もどうぞ。
塚の横にため池。
左の農道を登り詰めたら軽ノ山まで行けるかなぁ?
さて、後は登山口まで帰るだけ、姫池まで戻り-
⑪住宅街を南へ。
昼寝中だにゃ。
ぽかぽかだにゃ。
小径に咲く-
ツバキ。
⑫姫山小のグラウンド横へ。
⑬そして正門。
やっぱり、小学校に見えない…。
坂を下り、登山口へ戻りました。
ひとりごと | ||
“伊予山の辺のみち”続きを反対にたどる散歩になりました。 三島神社を覗いてみたら、鷹ノ子でたくさん見かけた三輪田米山の書の注連石がありました。 丘から見えた山越、吉藤、安城寺の町並。 軽之神社や比翼塚は今回、初めて訪れました。
姫山小の正門辺りも初めて通りました。 この頃の小学校はみんなきれい。 というわけで、今回は明るいうちに帰ることができました。 姫原の山並みに、皿ヶ嶺連峰のような縦走路が整備されたら、格好のお散歩コースになると思う。 |
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