へ行こう!
日浦~銅山越
目出度町入口~歓喜坑~牛車道~銅山越 | ||||||||||||||||
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬ | ||||||||||||||||
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①目出度町ルートと木方ルートの合流分岐点の三叉路から。
石段を登り、牛車道、そして銅山越を目指します。
「←登山口 銅山越↑」
石段を登って行ると、間もなく-
②右斜め後ろに、山に向かって登る分岐があります。
これは「延喜の端」という展望の利く小高い丘へ行く道です。
紹介は後ほど、下山ルートの「木方」篇にて。
③道端に、口を開いた横穴を見つけました。
坑道の跡でしょうか。
しゃがんで入れるくらいの大きさなので、空気穴かな?
そんな発見もありつつ、
ゆるゆると登っていると-
石畳になりました。
またなにかあるぞ、と思ったらやっぱり-
④「歓喜坑」エリアへの入口がありました。
道標が案内する右の道へ、寄り道します。
「歓喜坑入口→」
⑤小径を抜けるとそこは小ぎれいな広場になっていました。
二つの坑口が並んで出迎えてくれます。
左が「歓喜坑」、右が「歓東坑」と云って、
江戸から明治にかけて200年間も採掘が行われた、
別子銅山の生命線でした。
広場にはベンチセットもあり、休憩に最適です。
歓喜坑。
歓喜坑共に、坑内立ち入り禁止です。
歓東坑。
坑口脇の甕に清水がなみなみ注がれています。
美味しくて再び、体力復活しました。
別子本鋪(標高1210m) |
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本鋪とは一山の主たる生産坑のことである。 |
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※現在も稼行許可の日に大山積神社(新居浜市角野新田町)にて、在浜住友連系各社による例大祭が斎行されている。 |
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石畳の登山道に戻り、
とぼとぼ、登ります。
⑥またまた分岐。
左が牛車道経由、まっすぐは銅山越への近道です。
今回は左の牛車道へ進みます。
「←牛車道経由銅山越 銅山越近道→」
等高線に沿って登るような小径は不意に、
木立が途絶えて見晴らしのいい道に変わりました。
日当たり良い小径に咲いてた白い花。
⑦やっと、登山口方面を見下ろせる高度まで来ました。
真下のピークのコの字の石積みはさっき寄り道した蘭塔場(蘭塔婆)です。
登ってきた目出度町ルートは谷の右側に、
左斜面に木方ルートがあります。
もやがかかっていなければ、
谷の遙か先に三ツ森山や大座礼山を目にすることができます。
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「牛車道」は文字通り、牛が車を引いて荷を運んだ道です。
なだらかな迂回路になっています。
⑧緩やかに開けた谷に入ったら、銅山越の尾根までもうひとふんばり。
明治7年、広瀬宰平はフランス人技師ラロックを雇います。
彼の近代化プランを元に牛車道は、東延斜坑、高橋製錬所と共に建設されました。
この道が開通するまでは仲持(なかもち)と呼ばれる人たちが、
担いだり、背負ったりして新居浜まで運んでいました。
開通後、運搬は、人から近江牛18頭に交代しました。
当時としては画期的な進歩でした。
牛車道 |
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正面に見える範囲を前山という。 |
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⑨森の中を歩いていた時は前ばかり見て歩いてたのに、
見晴らしが良くなったら-
振り返って見下ろす回数が増えました。
思えば遠くへ来たもんだ…。
⑩大きくジグザグと登っていたら、
左から来た道と合流しました。
今度の分岐は、外へ通じる分岐です。
「笹ヶ峰→」の道は、西山の裾を巻き、
大永山トンネル脇の登山口に通じるルートです。
笹ヶ峰、平家平への尾根縦走路に繋がっています。
三ツ森山や大座礼山の輪郭がなんとか見えました。
⑪標高1200mをとっくに越えて、心なしか木々の背が低くなってきたような。
道の脇に生えてたこの植物(?)。
一体何者?
⑫銅山越目前の丁字路です。
⑥で別れた近道と合流、銅山越は左です。
「←笹ヶ峰 日浦↓」
銅山越まで、ラスト数十m。
にしきぎ科のツリバナが実を付けていました。
にしきぎ科はマユミが好きです。
⑬そして、ついに到着です!