へ行こう!
日浦~銅山越
登山口~小足谷集落跡~ダイヤモンド水 | |||||||||||||||||||
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫ | |||||||||||||||||||
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①県道47号新居浜別子山線沿いにある日浦登山口です。
道路の拡幅に合わせ、綺麗に整備された登山口です。
ちなみに、別子山方面から見るとこんな感じ。
坂の途中にあるのがよく分かります。
9台分の駐車スペースがあります。
その奥が階段で始まる登山道の入り口。
道路際に立つ公衆トイレ。
「旧別子銅山案内図(別子山)」
「赤石山系県自然環境保全地域」
ちなみに、2005年頃は谷側に駐車スペースや
公衆トイレがありました。
山側はまだ工事中でした。
ストレッチを(トイレも)済ませたら、
さあ、登山スタート!
大規模植林で甦った森と近代遺跡が待ってます。
旧別子登山口 |
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旧別子とは過去に反映した別子銅山の跡と言った意味である。 |
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②階段を登り切って道が水平になった頃、
小さな橋を渡ります。
この後もいくつか小さな橋を渡ります。
③序章のようにそっと、近代遺跡が姿を現しました。
別子銅山の墓所、「円通寺跡」です。
円通寺跡 |
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別子銅山専用の墓所である。 |
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④木漏れ日の中の快適な山歩き。
登山道というより、遊歩道の方がぴったりな、とてもキレイに整備された道です。
橋もいいものが架かっています。
⑤城砦跡のような見事な石積みが出現しました。
「小足谷集落跡」です。
近代遺跡の始まり始まり、ですが、まだまだ小規模なので、
遺跡と云うより、廃村風景に近い石積みです。
昔はどんな家並みが拡がっていたんでしょう。
石積みのひとつひとつに歴史が隠れています。
小足谷集落跡と醸造所跡 |
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この辺りは別子銅山で最も新しく開かれた集落跡である。 |
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⑥十字に穴の開いてるレンガ壁がありました。
「小足谷接待館」です。
レンガ壁が綺麗に残っているのはここだけです。
十字の穴から壁の内側を覗いてみましたが、木しか見えません。
屋根もなにも建物らしいものはこの壁以外残っていませんでした。
壁の内側に入ってみました。
壁だけ残してまんべんなく植林されていました。
小足谷接待館と傭人社宅 |
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明治期に入って急速に鉱業の近代化が進むなかで、それに伴う各界の要人が頻繁に来山するようになった。 |
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⑦左下に下る道があり、足谷川まで降りられるようです。
小足谷疏水道と収銅所 |
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この道を下ると足谷川に出る。 |
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小学校と測候所跡 |
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政府は明治5年に学制発布、これによって子女の初等教育が義務付けられるようになった。 |
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⑨小学校跡の次に現れたのは、
石の山のようにひときわ巨大な「小足谷劇場跡」と「大階段」です。
登り坂に作られたため、
手前はこのように高い石積みとなっています。
大勢が出入りしても耐えられる幅を有する大階段。
コケむした石段が時の流れを感じさせます。
劇場跡と小学校跡 |
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道ばたに残る長い石垣は、上段が山林課と土木課の事務所兼小足谷劇場の跡で、下段が住友別子小学校跡である。 |
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劇場跡もまんべんなく植林されていて、往時の面影は平らかな地形だけです。
登ったついでに劇場跡の林を抜けて行きました。
人の手で改変された人工的な自然だけれど、
あっという間に四季の営みを取り戻していました。
振り返って。
劇場跡の上部は坂の上なので、
石積みもそんなに高くありません。
⑩少し狭くなった小足谷川を渡り、対岸へ。
清流を見ただけで心まで潤うのはなぜでしょう。
光る水面、透明度も抜群です。
しばし、左岸を歩きます。
川沿いの、山道らしい山道です。
⑪対岸に遺構を発見。
でも、下の案内看板がなかったら、正直、見落としてたかも。
石積みのアーチも目にすることができました。
高橋製錬所と沈澱工場 |
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対岸の高い石垣は高橋製錬所跡である。 |
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小沢に架かる橋から見下ろした小足谷川。
エメラルドグリーンの流れをたどり登ると-
⑫標高が1000mを越えた頃、右の沢に滝が現れました。
大きな水音に惹かれ、レンズを向けると、碧色の滝壺が見えました。
滝を過ぎれば、いよいよ「ダイヤモンド水」広場です。