雨包山・三滝山・甲が森
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雨包山山頂とウシオニ展望台
距離 約1.9km
標高差 約85m
スクーター
徒歩
下記写真の場所
展望良し

…続いて、きれいなトイレのある場所から。
右にある木段は展望台まで続いてる登山道です。
でも、今回は-

同じく展望台まで続いてる林道で上ります。
ずっと砂利道です。
踏みならされてタイヤに優しめです。



  

分岐です。
山頂は右折です。
それっぽく舗装してある方は実は違います。

手書きの看板がまたありました。
でも、赤マジックの文字は褪せて判読不明。
「←恵美須神社」だけ分ります。

その恵美須神社へ行ってみました。



分岐からすぐ、道の右側に恵美須神社さん。
この山が雨包山(=“海士”包山)と呼ばれた所以の神社です。
ささやかなお社でした。

合掌。

お参りが済んだら、先の分岐へ戻り-



砂利道を進みます。

右カーブの、空が広い場所には桜などが植樹されてました。
木の根元には名前入りの杭が打ち込まれてました。



広々としたウシオニ展望台へ到着です。
中央の建物は休憩所です。

休憩所横から眺めるとこんな感じです。
写真左が上ってきた道で、その右の木立の中に山頂への登山道があります。
また、キャタピラの作業車が森に車が入らないよう、
砂利道を塞ぐ格好で停車してました。
立派な休憩所の右側-

階段を登ればいよいよ展望台です。

展望台はフェンスで危なくないよう囲まれています。
岩の所にだけ、フェンスがありません。
岩の上に乗って写真を撮ったり、景色に夢中になったりして、
転落等しないよう、気をつけてください。

展望台からの眺めです。
西方向に開けています。
残念ながら雲がかかってしまいました。
見えるだろう海は目にすることはできませんでした。
日本晴れなら瀬戸町の風力発電風車が遠望できることもあるそう。
逆に向こうからも見える可能性もあります。
八幡浜の海で恵美須さまを拾った海士が、
高い山を求めて雨包山を目指してきたという伝説がありますが、
あながち嘘じゃないかもしれません。

西予市から大洲市にかけての山並みの中、写真右の方にある-

特徴的な山は五十崎と大洲にまたがる神南山です。

景色を堪能した後は、ひとまず休憩所で一休み。

  

運転疲れが癒えたら、山頂へ向かいましょう。

木立へ延びる道が山頂への登山道です。
ウッドチップが敷いてありました。



写ってる間だけ、階段な部分。
ウッドチップでふかふかです。

すぐまた緩やかになって-



登山道が行き止まるとそこが、雨包山山頂。
到着です!
左にミニミニ・ケルンのある山頂標。
右に三角点があります。

2塔のミニミニ・ケルン。

「雨包山 登頂記念 (1111.7m)
平成11年11月11日11時11分11秒」
“1111”と標高のゾロ目に合わせた登頂記念の山頂標があります。

三角点は歩道を挟んで-

登山記念の杭のそば。
夏草に覆われていました。
杭には子供らの名前がたくさん書いてありました。

山紫陽花は終わってたので、別の花を。

茎にヒグラシの抜け殻が付いてました。

ひとりごと

想像以上にトイレも道も(まだ砂利道だけど)休憩所もきれいに整備されてて驚きました。
手書きの道標の感じからしたら、もちっと手作りな所かと思ってました、すみません。
雨包山山頂は木木に覆われ、特にグリーンシーズンは眺望はないので、展望台で景色を楽しみましょう。
当日は残念ながら「海の見える」というわけにはいきませんでした。
なにせまだ梅雨明け前ですから…。
肱川から西の山はまだまだよく知らないなぁ。
まだまだ回る所だらけだなぁと、意欲も新たになりました。

下のトイレからずっと歩いて登るのも◎。
途中に小さな池があったり、可憐な草花も目にすることができるそうです。

さて、スクーターだと松山からはめっちゃ遠いですけど、車なら近い(?)もんでしょう。
麓の地質館を見て回ったら城川ロッジで食事でもしようか。
そして、ギャラリー城川でかまぼこ板の絵を見、道の駅で城川牧場のソーセージをお土産に買う…。
マイカー山歩なら余裕でしょうけど、生憎、スクーターじゃ時間切れ。
ロッジもギャラリーも訪ねられませんでした。
でも、時間切れと云いつつ、帰りは、国道に下らず、大規模林道へ。
四国カルストの入口の韮ヶ峠から坂本龍馬脱藩の道で山越えし、河辺村へと抜けました。
御幸の橋を見た後、用の谷渓谷から更に笹峠越えして小田へ。
(笹峠周辺の道がいつの間にか舗装されててびっくり。
峠から小田スキー場・獅子越峠方面に出られる林道は通行止めでしたけど)

久しぶりに肱川、城川へ。
遠いけど、やっぱり、こっちはいいなぁ、走っても登っても、と再認識した旅でした。

最後に雨包山にまつわる昔話を、惣川村誌から。

宝徳(1446~1451)年間の頃、西宇和郡川之石村の雨井浦に1人の海女が住んでいた。
或る夜、その海女にまくら神が立ち
「吾は事代主命であるが、久しく海に沈んて苦しんでいる。お前は私を引き上げて高い山へつれて行け。」
と、告げた。
海女は目がさめると浜へ出て小舟のともずなを解いた。
海はないでいた。
海女は海底を見つめながら沖へ向ってゆっくりと舟を漕いだ。
やがて海底に光るものを見つけた。
海女は早速もぐって3センチ位のえびす様の金像を得た。

海女はえびす様を風呂敷に包んでさげ、格好の山を探す為に家を出た。
惣川まで来た時右方にそびえる美しい山を見つけた。
海女は伊予之地を通ってこの山に登った。
登ってみると遠方から見たよりも更に美しい山なので、この山ならえびす様も満足されるだろうと思って、そばに立っている木にえびす様をつつみのままかけた。
海女はえびす様に名残を惜しみながら帰って行った。
やがてえびす様は包の中から出てそばの石の上に立ち
「海女恋しや」
と、叫んだ。
この話が雨包山にある「包かけの木」「海女恋しの岩」と言う名前の起りだと言う。

その後このえびす様は野井川の庄屋が見つけて持ち帰って祭っていたが、故あって惣川の庄屋の所有に帰した。
毎年天狗岳で行う亥の子祭はこのえびす様の気を晴らしてあげる為のものである。

現在のあまつつみ山のえびす様は野井川の庄屋が惣川の庄屋の手に渡ったものの代りを造って祭ったものである。

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