雨包山・三滝山・甲が森
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甲が森へ
距離 約3km
標高差 約230m
スクーター
徒歩
下記写真の場所
送電鉄塔・アンテナ施設

旅の起点は道の駅から。
城川の道の駅は「きなはい屋」といいます。
城川牧場のソーセージ、ハムもおすすめ。

  

駐車場の案内看板で大まかにチェック。
城川は見所がけっこうたくさんあります。

道の駅のある辺りは町役場があった町の中心だった所です。
元の町役場は西予市役場支所に変わっています。

写真は、歴史民俗資料館。
国道からすぐです。
その近くに、かまぼこの板アートで有名なギャラリー城川があります。
山の行き帰りに、寄り道最適です。



  

道の駅からすぐに県道2号線の入口。
「←三滝渓谷自然公園」や、
「←城川自然ロッジ 6km」などの道標も目印。



祓川トンネル入口。
目指す甲が森の山頂がトンネルの上奥にちょうど見えています。



  

トンネル抜けてすぐの交差点を左折します。
左の角は散髪屋さんで、その隣にあるのが-

どろんこ祭り保存館。

  

向かいの駐車場にある三滝渓谷案内板。
そのほかに田を耕す牛の象もあります。



  

左折して間もなく、「三滝自然公園→」の案内がある丁字路があります。
甲が森へは(実は三滝自然公園も)直進してください。
曲がると橋を渡って三滝川の向こう岸へ出てしまい、しばし、戻れません。

ちなみに、渡ると-

甲が森の全景を見渡せます。
写真左の、2本の鉄塔が細く映っているのが山頂です。



  

丁字路から約1kmで県道312号線入り口。
道標に従って左折します。

県道312号線は狭いです。
最初は田んぼの脇をまるで農道のように上り-

次いで山の中へ。



標高300m付近のカーブから見える三滝川沿いの谷。

牛舎のタンクを左に見つつ、更に-

どんどん上ると-



  

県道と分れる分岐。
正面に-

道標があります。

道標に従って左折すると、コンクリート舗装。

稜線に出て空が近くなってきました。
でも、グリーン・シーズンなので展望はありません。



右に階段がありました。

登ってみると四国セルラーの地上局でした。
振り返ると-

西方向に展望が得られました。
写真奥の峰の左のピークが高研山。
日吉と梼原の県境の山で、国道197号線の高研トンネルが抜けているところです。

RNBの中継局があり-

次にEBCがあって-



甲が森山頂に到着です!
降雨計があったり、NHKの中継局があったり、電波塔だらけです。

三角点は駐車スペースとNHKの中継局の間の草むらにあります。

NHKの中継局のフェンスにある看板です。

甲ヶ森城跡案内

甲ヶ森城主は、紀貫之の末裔12代実之の子従三位実定にはじまる。
実定は北朝の後、小松院に仕えていたが、南北合併の後、当地に来て城主となり、七城の大守として22邑3000貫を領するようになった。
その子実平も三滝の要害に本城を移そうと計画したが、果たさずして病死し、天文年間その子実次の代になり、三滝に城を構えて本城とし、これに移したため甲ヶ森はその支城となった。
天正11年正月、土佐の長曽(宗)我部元親は、大軍をもって攻め来たった。
時の城代永山伯耆守豊岡(信在)は万戦練磨の勇将であり、城を守ってよく防ぎ戦ったが衆寡敵せず力つきて遂に落城する。
時に天正11年正月14日(三滝落城の翌日)今を去る396年前である。


もう少し奥へ進むとEATの中継局があります。

ひとりごと

梅雨の晴れ間を狙って遠路はるばる?城川へ。
梅雨雲はしぶとく、旅の最後までどいてくれませんでした。
その分、暑くなかったからよし、でした。

城川町内の歴史館やギャラリー城川の場所を確認してから、いよいよと山へ向かいました。
の分岐に登場した手書きの看板が、三滝山でも、雨包山でも立っていました。
おかげで、遠い出先にて迷うこともなく、余計な時間もロスすることなく、ありがたかったです。
でも、マジックの字は色褪せて消えちゃうので、ペンキならもっと安心ですね。

先日の台風で小石や枝が転がる道を慎重に走れば、思ったよりすぐに山頂へ着きました。
甲が森は山頂までスクーターで行けます。
TVの中継アンテナがいくつも林立する位だから見晴しもいいのかと期待してきました。
でも、人間様の身長はやっぱり木にはかないませんでした。
よく観察すると、パラボラアンテナにも木の枝が被さってたりします。

甲が森城跡の案内板とか写真を撮ったらすぐ、次の山へと出発、山頂を後にしました。

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