勝岡丘陵へ行こう!
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白石ノ鼻
距離 約2.5km
国道・県道
一般道
林道・農道・私道
徒歩
下記写真の場所
送電鉄塔・アンテナ施設

下山口から白石ノ鼻は歩いて2、3分です。
県道が開通するまではまるで絶海の孤島みたいな、
なかなか行けない場所でした。

カーブを抜けると高浜方面。
このカーブは見通しがとても悪く、人身事故も発生しています。
道路を横断する際は、細心の注意を。

「白石ノ鼻」の入口。
遊歩道は潮が満ちればすぐ高波に洗われるような、
海っぱたです。

ここからお天気のいい日に撮った写真でご紹介します。
遊歩道の先にあるのが-

白石龍神社です。

祠が祀ってあります、合掌。

左隣にある一回り小さい祠。
隣の石柱には「明治23年」。

白石龍神社由来

神像 岩に腰掛け水玉を持ち頭頂に龍を配す
祭神 黒玉姫命、彦火火出見命、豊玉彦命

 由緒及び創建は明らかではないが、文書によると、古くから五穀漁業の神として尊崇厚く諸普請は郡方が行い、祭祀は和気郡代官が出張して奉行したとある。
 寛政7年(1795)社殿を修理した。
 文化9年(1812)暴風のため社殿が大破し、官の許可を得て新築した。
 明治4年大政官布告により無格社に定められた。
 明治23年本殿を現在地に移転し鳥居を建立した。
以後、前の社殿跡を元社という。
 昭和7年、拝殿を建立した。
 昭和26年宗教法人として登録された。
 平成3年9月19号台風により本殿及び鳥居が倒壊し、境内にも被害を受けた。
 平成4年7月、本殿及び鳥居の再建並に境内の修復を完了した。

平成4年7月吉日

潮が引くと磯が現れます。
真っ白い大きな岩が積み木のように載ってたりして、
不思議な光景です。
なぜ、岩盤の上に丸っこい石がゴロゴロ転がっているのかというと-

神社の左側に回り込むとよく分かります。
丸い岩はなんと崖から産まれてくるのです。
いままさに産み出されようとしている部分をアップにしてみると-

丸い岩が崖から飛び出しています。
その下の◎いシワはこれから岩が出る予兆。
砂岩の中を沈んでく途中の岩が出てくる現象です。

岩の卵の元は石灰岩。
周囲の砂岩が付着して成長していくのです。

いつ、何の目的で刻まれたのか、なぞの点線。
石を割ろうとしたのは確か。

磯と云えば潮だまり。
カメラを構えて5分くらい動かずにガマンしていると-

ヤドカリなど小さな生き物から動き始め、
安全だと思ったら、小、中、大と出て来ます。

カニは敏感、5分以上、じっとしてないと、
すぐ逃げられちゃいます。

カメノテの脇で隠れたつもりのイソガニ。



さて、勝岡八幡神社へ向かって戻ります。
いつ来ても釣り人の姿がちらほら。

サザエ、アワ、ウニ、ナマコ、海藻類…。
勝手に採っちゃいけません。
海には漁業権があるので、密漁になっちゃいます。

お天気な日に波打ち際に降りて撮ったものです。
もっと上天気な日だと-

  

高縄山、大月山を頂点とする北条地域の山並みを網羅することができます。
青少年スポーツセンターがある波妻の鼻の城山から鹿島、新城山、腰折山、
恵良山、高萩山、高穴山、雄甲山・雌甲山、宅並山、要害山、横山。
旧松山域は、明神ヶ森、福見山、国見山、杉立山、関ヶ森、観音山。
遠くに白銀をまとった二ノ森も。



県道に沿って歩いていると消防学校訓練場のグラウンド。
グラウンドの端っこの並木はヤマモモの木で-

梅雨頃に訪ねると実がわんさか実ってます!
歩道と木の間には深い用水路があって、
ほとんど、用水路に落ちて、もったいないくらい。
でも、手を伸ばしても簡単には採れません。
慣れた人は虫取り網と棒を持ってきて、
棒で叩いて網で下から受けて採ってました。

グラウンドも漁港も関係者以外立ち入り禁止。

漁港の隣は愛媛県運転免許センター。
敷地に沿って歩くと-



  

道路の右側に、山沿い入る農道があります。

小屋の横の道を入ると-



  

集落の舗装路の丁字路があって、
右折して5,60m先-



山裾に忽然と現れたような大岩の下に-

四国八十八カ所霊場53番札所円明寺の奥の院があります。
円明寺は和気町にあります。
もともとはこの辺りにあったそうです。
なので、円明寺の山号が“海岸山”なのです。

「四国第53番海岸山圓明寺奥の院
 御詠歌
 われ住めば四海静謐波静か
 種々の願いをかなへ得させむ」

春はご近所さんの憩いの場。

大昔、円明寺があったとされる場所へ寄り道してみました。
お堂の脇の坂を真っ直ぐ登ります。



みかん畑の向こうに海が見える坂の上。
すぐ右の小ピークが円明寺があった場所。

  

小屋の脇を登ります。

登ってすぐのみかんの木に包まれた頂上がその場所です。

コンクリートブロックで祀ってありました。
高さは1mくらい。

小さな石塔もあります。


  

奥の院から勝岡神社へ戻りますが、
丁字路に戻って今度は右折。



  

集落の路地を抜け、
丁字路を右折すると勝岡神社方面なんですけど-

  

左に曲がって20m-

馬頭観音が祀ってありました。

馬の病気を治してくれる観音様だけど、
人間には煩悩をたち切ってくれるんだそう。
合掌。

さて、神社向いて歩き出すと-

この辺は古い農家がたくさん残っています。
立派な白壁も(少々傷んでるけど)。
あ、またちょっと寄り道します。



  

奥の院周辺も紅葉が見事だったので、
路地の奥へ入って撮ってきました。
やっぱ、秋は大好きだなぁ。


寄り道終了、ホントに今度こそまっすぐ帰ります。
この道はいまじゃ生活道って感じですが、
昔はこっちが県道39号線でした。



その道沿いに地蔵尊が祀られています。
これは「七人地蔵尊」と云って-

海賊と間違われて村人に殴り殺された7人のお遍路さんの、
お墓があった場所に祀られたお地蔵様です。
群集心理って恐ろしいわぁ。

以来、村人が7人で旅に出たりすると、
よくないことが起きたんだそうです。
横溝正史の小説のネタになりそうなお話です。



アスファルトの道はしんどいなぁ、とか思いながら、疲れた足を進めていたら、
勝岡集会所の横の広場に-

「神輿蔵」と札のかかった倉庫がありました。
文字通り、お神輿専用の倉庫?



  

疲れた、疲れた。
奥の院から1キロ足らず。
やっと勝岡八幡神社の馬場まで戻ってきました。

右に曲がればゴールイン!
ふぅ、お疲れ様でした。



  

おまけ。
久万川沿いから見えた勝岡の山並み(西山は手前の尾根で見えません)。

ひとりごと

お山歩すんでも、いつものように寄り道です。

白石ノ鼻は晴れた日がベスト。
海がキラキラして、柔らかい潮風は頬を撫でて、なんにも考えたくない時には最適の場所です。
土日は人がよく来るのであれだけど。
あの白い石は沖のを行く船からもよく見えます。
フェリーで帰郷した時とか、白い石が見えたら下船の支度を始めます。

崖から岩が産み落とされるような光景について。
静岡県牧之原の大興寺というところでも“子生まれ石”と呼ばれる似た現象が見られるそうです。
丸い石は、柔らかい砂岩に混じった硬い石灰岩が元で、その表面に砂岩が付着して丸く成長したものだそうです。
成長するごとに重くなり、砂岩の中を沈んでゆきます。
岩の中を岩が沈んでくなんて不思議で、ちょっと想像つかないけど。
何万年という雄大な地球時間で考えればあり得る話。
沈んでく途中の岩が後ろから押し出されるようにぽろっと出てきたのが白石ノ鼻の丸い石の正体。
中国にも似たような現象を起こすガケが有ります。

さて、数日後、この山行記を仕上げるためにもう一度、和気に出かけました。
円明寺奥の院裏のお山も後日に撮ったものです。
近くのみかん畑にいた老夫婦に場所を教えてもらって撮影できました。
また、この一帯は“坂浪古墳群”に属しています。
山頂の祠は旧円明寺を示すものであると同時に、古墳に対する鎮魂の意味もあるのかも知れません。
少し北の谷からも古墳が発見され、そちらは“赤子谷古墳”と呼ばれています。

帰り道、久万川の土手をのんびり自転車で帰りました。
砂利道が結構残る土手の周りは田んぼや昔ながらの低い家屋ばかりで空が広々としていました。
路地に目を遣ると子供たちが大きい子小さい子一緒になって遊んでる。
懐かしさがこみあげてくるような良い道でした。
この地区では、お神輿を洗い清める「川狩り」という伝統行事が行われています。
今回、その場所を初めて見ることができました。
周囲は新しい家がどんどん建って、宅地化が急速に進んでいます。
個人的なわがままですが、空の広い町がいつまでも続くといいなって、心から思っています。

最後に、明治時代の地図で描かれた勝岡を載せておきます。

この地図上では勝岡は“北山”と書かれています。
太山寺の経ヶ森に対して北にあるから、なのかも知れません。
西山はこの地図から拾いました。
この地図では白石ノ鼻は島のように描かれていますし、龍神社も離れた位置にありました。
また、現在、運転免許センターがある辺りは海になっています。
事実、あの一帯は埋め立てによってできた平地です。
以前は飛び込めるくらいの深さがある磯だったり、浜だったりしたそうです。
元々、ここいらにあったとされる円明寺の山号が“海岸寺”なのも分かる気がします。
以下は、明治22年に陸軍によって製作された地図です。

勝岡は“森谷峠”、西山は“石炭”と記載されています。

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