行基山・明神山・潮見山
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潮見山・葉佐池北の谷から
距離 約600m
標高差 約90m
国道・県道
林道・農道・私道
徒歩
下記写真の場所
見晴らしあり
  

明神山、行基山、潮見山に登った翌日、もう一度、潮見山に登るため、北梅本に帰ってきました。
明神ヶ鼻の先にある新明神橋を渡り、県道196号河中平井停車場線を左折。

  

曲がってすぐ、右前に潮見山。
でも、潮見山の右にシートで覆われた不思議な小山があります。

銀色のシートで覆われた、車より家より大きな小山は、
葉佐池の畔で見つかった葉佐池古墳なのでした。
※下山後、訪ねてみましたので、後ほど紹介します。



  

新明神橋から500mほど進むと山ノ神地区。
民家が集まったところで-

  

右へ曲がり、すぐを左折します。

潮見山の麓へ続く狭い農道を進み-

みかん畑と用水路沿いに山裾を行けば-



  

右斜めに登る小径があります。
ここが登山口になります。

谷が狭いので外から中の様子は見えませんが-



入ってみると狭い谷が奥までずっと続いています。
コンクリートの簡易舗装の小径は小屋の前まで。

右の竹林はタケノコを採ったりしてるしてるようですが、荒れ気味です。
その上、谷に向かって結構倒れかかってるものもあって、歩きづらくさせています。



あまり陽が差さない谷底には山肌からしみ出した水が小さな流れを作っていて、ぬかるんでいます。
潮見山は200mちょっとのお山ですが、水が湧いてくるなんて、森はやっぱりたいしたもんです。

谷底もやっぱりシダが多いです。

水たまりは動物たちの泥浴び場・ヌタ場になってるようです。
横の立木には体をこすりつけた後の泥がこびりついていました。

なにげに、ライフルの薬莢が落ちていました。



  

倒木やシダで歩きづらい谷底を登り詰め、谷の奧まで。
谷の奥は左右に分かれていますが、向かって右の方へ登り詰めてください。
壁のような急坂が立ち塞がりますが、右から左へ斜めに登れるけもの道があります。

  

動物たちが谷と尾根を登り下りするために踏み固めた文字通りのけもの道が、
斜めに付いていて、人間も歩きやすいです。
ここ以外でも直登はできますが、シダがあったり、急すぎたりして辛いです。

急坂を斜めに登って-



  

西尾根・主稜線へ。
ここは小ピークの間の鞍部で-

木立から顔を出すと尾根に沿って踏み跡があります。
山頂方向は尾根に出て左です。

小ピークに向かって登りますが、すぐに踏み跡はあやふやになります。
仕方ないので登りやすそうな木々の隙間を選んで真っ直ぐ登ります。



坂の途中、木が伐られて小さく開けたところがありました。

  

森まみれの潮見山から唯一、パノラマが拝める場所です。
北梅本に点在するため池と水を張った水田が繋がって、とっても瑞瑞しい風景が拡がっていました。
昨日より晴れた空の下、石鎚山も薄ぼんやり見えていました。

そこから更に雑木林を登っていくと-



シダに覆われた198mピーク。

最近伐採されたらしい枯れたマツが倒れてました。

次のピーク目指し、下りますが-

シダの海です。



細尾根の鞍部に着いたらまたすぐ-

シダの中を登ります。



日陰にはシダは少ないのですが-

日当たりが良い斜面はシダだらけ。



206mピークもシダが元気。
真っ直ぐ突っ切り、下ります。

すぐに鞍部に下り着いて、また登り。
けもの道を覆うシダと景色を遮る木立のせいで方向感覚が無くなりそう。
尾根とけもの道をちゃんと見極めて歩きます。



  

西半分が植林帯になってる尾根に着きました。
傾斜も一段落です。
植生境をたどって真っ直ぐ進めばやがて山頂です。
※問題は帰りです。
この尾根は三つ又になっていて、植林側の尾根は写真左へ弧を描いて続いています。
植生境を頼りにたどりながら戻ってくると、ついつい、分岐を通り過ぎて、写真左の方へ行きすぎてします。
目印もないところなので、気を付けてください。

けもの道は植林帯寄りにあります。
動物だってシダの中よりスギ林の方が歩きやすいようです。

植林当時に捨て置かれたっぽい古く朽ちた一斗缶。
真新しいゴミが無いのは人が滅多に来ないせいかな。



潮見山山頂に到着しました。
相変わらず、ジャングルです (^^ゞ


下山は来た道を戻るだけですが、は要注意です。
ピークから下る踏み跡がまったく無いので、とっても迷走しやすいです。
登攀中、ピークに登り着いた場所などに赤テープなど目印を遺しておけば下山の目安になって安心です。



さて、下山後、葉佐池古墳を訪ねてみました。
山ノ神地区を南へ進み、潮見山の南の山裾に接してる葉佐池の土手にもっこりあるのですぐ分かります。

道沿いの空き地に古墳の解説と児童が書いた小野マップ。

  
  

「小野MAP」

「葉佐池古墳」

葉佐池古墳(はざいけこふん)

 正面のこんもりした小山の頂上部分は、およそ1,460年前に造られた古墳(お墓)で、葉佐池古墳と呼んでいます。
 葉佐池古墳は、平成4(1992)年、開墾中に偶然発見されました。
発見された横穴式石室(石造りの部屋)の中には、木製の棺やたくさんの遺物が残されていることがわかりました。
この石室は古墳時代以降、一度も人が立ち入ったことのない、未盗掘の状態であったのです。
 当時、横穴式石室の中に原形をとどめたままの木棺が腐らずに残っていることは全国的にも例がなく、大変注目される中、平成5年(1993)から平成9(1997)年まで発掘調査が行われました。
 発掘調査の結果、最初に見つかった石室(1号石室)のほかに、4つの石室が確認されました。
1号石室からは、須恵器をはじめ、鉄製の矢じりや斧、刀子(ナイフ)が出土したほか、木棺や人骨、紐、貝殻、稲ワラなど普通では腐ってなくなってしまうものまで出土しました。
これらを分析した結果、1号石室には6世紀半ばからのおよそ50年間に3人の人物が埋葬されたことがわかりました。
3人は別々の時期に亡くなり、埋葬のたびに石室の入口を開けて埋めていたことも明らかになっています。
また、最後に埋葬された人物は、亡くなってから10日間ほど殯(もがり)という儀式を行い、その後石室の中に埋葬されたこともわかりました。
 その後、平成17(2005)年から平成20(2008)年には、古墳の形を明らかにするために調査を行いました。
その結果、葉佐池古墳は南北に長い楕円形で、現在の大きさは長さ41m、幅23m、高さ6m程度であることや、どのような手順で築かれたかが明らかになりました。
 古墳時代の葬送(お葬式や埋葬)が実際にどのように行われたのか詳わしく明らかにできたのは全国で葉佐池古墳だけです。
このような当時の葬送や死者と生者とのつながりを知ることは、現在の人間のあり方を考える上で非常に重要であり、他に類をみない貴重な成果といえます。
 葉佐池古墳は、日本人にとってかけがえのない遺産であり、市民の財産です。
大切に守り伝えましょう。

出土した遺物は松山市考古館(南斉院町)に展示しております。
ぜひ足をお運びください。

お間合せ 松山市教育委員会文化財課 電話=089(948)6891

1号石室

 墳丘の南寄りに位置し西向きの入口を持つ1号石室は全長4m、高さ最大1.8mの規模を持つ横穴式石室です。
 まず、6世紀中頃、成年男性が亡くなった後、写真の左寄りに置かれた木棺の中に埋葬されました。
埋葬後は、入口に石を積み上げ、土で埋めて閉じます。
 その後10年以内に、熟年の人物が亡くなりました。
以前埋めた土を掘削し入口を開け、木棺の中の遺体を取り出し、写真左奥に安置しました。
空になった木棺にこの人物を埋葬し、再び入口は閉じられました。
 その数年後の夏ごろ、熟年男性が亡くなり、再び石室が開けられました。
10日ほど石室の外で儀式(殯)を行ったのち、この人物は写真右側の壁沿いに板を敷きその上に安置されました。
 そして石室は閉じられ、平成4年まで開けられることはありませんでした。

2号石室

 墳丘の北寄りに位置し、西向きの入口を持つ2号石室は、全長7.1m高さ最大2.4mの規模を持つ横穴式石室です。
1号石室と同様に、古墳時代以降誰も侵入していないことが、出土した遺物や盛土の様子から明らかになっています。
 写真は石室の奥壁から入口に向けて撮影したものですが、床面には木片や須恵器が散乱していることがわかります。
なぜこのような状態になったかは不明ですが、残されていた人骨などから3人が埋葬されたと考えられ、最低3回は入口が開閉されたことがわかっています。
 2号石室からは、須恵器や馬具、装飾品などの副葬品がたくさん出土しました。
北側の丘陵部は須恵器生産が盛んな地域です。
葉佐池古墳に葬られたのは、須恵器生産に携わった人たちのリーダーの一族であったと考えられています。

葉佐池古墳ができるまで

 6世紀の中頃、小野地区の有力者は一族の墓を造りはじめました。
頂上を整えて上からみると楕円形になるようにしています。
北側には2号石室を中心に小型の3・5号石室をつくり、南側には4号石室がつくられました。

 北側では、2・3・5号石室を覆うように土を盛り、南側には4号石室のうえに土を盛りました。
上からみると楕円形、横から見るとフタコブラクダの背中のような墳丘が完成しました。

 南側の墳丘を削って、あらたに1号石室がつくられるとともに、4号石室は取り壊され、その跡もきれいに埋め戻されました。

 横から見た形がかまぼこ形に整えられました。
この後、約50年間1号石室と2号石室は墓室として利用され、それぞれ3人が埋葬されました。
その後、発見されるまで石室は閉じられたままでした。



葉佐池の土手に上がって古墳のそばまで行ってみました。
ホントは、先の「小野マップ」近くの墓地から土手を歩いて登った方が近道です。
今回はスクーターで行こうとしたので、池の東端まで、ぐるっと遠回りしなければいけませんでした。



いろんなシートで覆われてます。
古墳だって知らない人は粗大ゴミの山かと思っちゃうかも。

池の畔から見た潮見山。



潮見山の南麓をたどって東側にある枝朶下池へ。
枝朶下池はとにかく大きなため池で、見る角度によって、潮見山がまるで池の浮かぶ小島のよう。

ひとりごと

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前日、主稜線からの下山ルートを見つけるためにあっちの尾根、こっちの尾根、そっちの谷と登り下り、迷いまくった結果、ちゃんとした道がないことが分かりました。
登山道があればまた登り返して写真撮ったり、コースタイムを記録するつもりでしたが、道もないし、いい加減疲れてきたので、下山後、そのまま、帰宅してしまいました。
でも、登り返さなかったことがやっぱり心残りとなってしまいました。
というわけで、二日連続で潮見山に登ってしまいました。

谷をさかのぼり、急坂を這い上がると、昨日、散散歩き回った尾根。
今日は山頂までのルートが頭に入っているので余裕です。
尾根とけもの道をたどって山頂へ向かいました。
途中、シダの中から大きな音がして、なにかが逃げて行きました。
突然だったので驚きましたが、野ウサギかタヌキか分からないけど、向こうもビックリしたんだろうなぁ。
そんなことがあったくらいで、あっという間に山頂に着いてしまいました。

改めて山頂の周囲を見回すと、東に向かって下るけもの道を見つけました。
やっぱりシダに埋もれていましたが、枝朶下池の方へ続いていました。
昔、東斜面に果樹園があったので、その名残りのけもの道が生きているのかも知れません。

山頂からの帰りは一度、尾根を間違えそうになっただけで、やっぱり、あっという間に登山口に戻って来ました。

時間も体力も全然余っていたので、昨日回れなかった葉佐池古墳などを訪ねて帰りました。
潮見山山頂に三角点はありませんが、枝朶下池の堤防に「枝朶下池」四等三角点があります。



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