行基山・明神山・潮見山
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潮見山・北尾根から
距離 約300m
標高差 約90m
一般道
林道・農道・私道
徒歩
下記写真の場所
  

潮見山にははっきりとした登山道がありません。
当日は行基山から県道196号線に下り着いた場所に最も近い北尾根から登ることにしました。
潮見山の北にある枝朶谷下池へ向かう正面の車道を登り-



  

枝朶谷下池の手前にある新池の土手から北尾根に取りつきます。
ちなみに、写真左の土手からは「小野谷駄馬窯址」という7~8世紀に操業していた窯址が発見されています。

  

茂みの脇から入り-

石板の橋を渡り-



水がたんまり溜まった新池の土手を歩いて向う側へ。

土手から見える小野谷のほのぼの風景。

  

向こう岸に着いたら、踏み跡をたどり、
土手を登ります。
土手の上は木木が刈られた空き地になっていて-



  

空き地の右に林の中へ入り-

尾根の上をたどり登ります。
歩き始めは雑木もおとなしく、友好ムード。



段々急になってきました。
道は無くても木が空いていて全然登りやすく、楽勝、と思ったのも束の間…。



で、出た! シダの海! 胸を突くような急坂に、覆い被さってくるような背の高いシダ。
 (>_<)

シダはササに比べ、茎同士がもつれ合うので、
かき分けるのも楽ではありません。



  

山頂まで50mくらいしかないのですが、はびこるシダのせいで1m登るのも大変です。
なるべく薄いところを選んで登っていたら、尾根から少しずつ西斜面へずれてしまいました。
くじけず登っていればそのうち、頂上の丸いシルエットが見えてきます。



新池から20分もかかってやっと、潮見山山頂に到着しました!

山頂もシダの海、森のまっただ中です。
こちらも城址なのですが、これだけシダに包まれていると郭もよく分かりませんが、テーブル状の平地が西尾根に沿って段々になってるようにも見えました。

  

帰りは西尾根に沿って進み、葉佐池の方から下ることにしました。
シダの海を下るのはイヤだったのだけど-



稜線上のシダはそんなに濃くもなく、けもの道も一応あったのですが、降り口が全然見つかりませんでした。
枝分かれした尾根には迷い込むし、ヤブにぶつかって行き止まるばかりだし、とっても大変でした。

ひとりごと

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行基山から降りてきて、さて、どこから登ろうかと考えていたら、電動カーに乗ったおじいさんがちょうど来たので、潮見山に登山道がないか尋ねてみました。
潮見山はどの地図を見ても登山道が描かれていません。
頼りの住宅地図も葉佐池の北、山ノ神の集落近くの谷に道が描かれているだけです。
近所の人なら知ってるだろうと思ったのですが、おじいさん、全然、知りませんでした。
登ったことも無ければ、登った人の話も聞いたことがないようでした。
たまたま知らなかっただけかもしれないけど、近所の人も登ったことがない潮見山なんて…。
仕方なく、一番近くの北尾根に取り付いたのですが、シダの海に心がくじけそうになり、登った人がいないのも納得な感じがしました。
最短ルートだったけど、時間的には最短とはいきませんでした。
北尾根は急なのでけもの道もありません。
シダが胞子をまき散らす梅雨以降は胞子のホコリが大敵になるのでやめておいた方がいいと思います。

やっとこさたどり着いた山頂もまたシダだらけで、見晴らしもありませんでした。
「有田児山城」と呼ばれた城址があったそうですが、城址を頂いたお山の多くは山頂に祠があったりしますが、潮見山にはなにもありません。
祠でもあれば登る人もいるんでしょうけど、ないから誰も登らないって感じです。
ちなみに「有田児山」は別名「愛宕山(あたごやま)」とも書きます。

長居は無用とすぐに下山しようと思いましたが、北尾根のシダの海はイヤだったので、前前から登山ルートに選んでいた葉佐池の方から下ることにしました。
歩き始めると稜線に沿ってけもの道がありました。
なんだ、こっちがやっぱり、登山道だったのかぁ、と、北尾根から登ったことを後悔しながら下っていたら、あっさり、けもの道がシダに埋もれて消えてしまいました。
稜線をたどって行けばなんとかなると分かってはいても、主稜線は小ピークの度、微妙に方向を変えるし、木が濃くて次のピークも見づらく、戸惑いっぱなし。
小ピークから下ると、また、けもの道があったりするのですが、所詮、けもの道、適当に下ってっちゃうので、人間がたどるとすぐに行き止まります。
とっても小さな潮見山ですが、結局、50分もかかってしまいました。
それも、行ったり来たり、登ったり下ったりの50分だったので疲れてしまい、いつものように別ルートで登り返すこともできず、あっさり、帰宅しました。
でも、疲れが癒えるにつれ、心残りが大きくなってしまい、結局、翌日、下山したルートで登り返しました。



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