権現町のお山
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像観山と佐古田山
距離 約330m
標高差 約50m
林道・農道・私道
徒歩
下記写真の場所
みかん畑
距離 約470m
標高差 約50m

国道196号線から東へ約300m、参道を東へ進みます。
秋のお祭りの時は、お神輿が行き交うのかな?

像観山の麓にある正八幡神社の登り口です。
神社の前は変形丁字路になっていて、左に曲がると権現温泉方面です。

小さな門をくぐった左に社務所があります。

注連石を抜けて石段を登りますが-

石段も神社の大切な装置。
少ししんどいくらいが無心になれますね。

お年寄りにはキツい階段ですが、
賽銭箱が登り口にありました。
登らなくてもいいけど、お忘れなく?

正八幡神社の杜、すなわち、像観山の森は、
松山市の景観樹林保護地区指定され、保護されてます。

尾根の西側・神社がある側が福角で、向こうは権現町。

あ、何段あるか、数えそびれちゃった…。
途中の踊り場では狛犬さんがお出迎え。

狛犬コレクション、吽うんと- 


玉遊びのしすぎ? 化粧がハゲてます。



正八幡神社の境内に到着です。
中央に本殿、右側の小宮は周敷しゅうしき神社、
左側にある小宮は冠山大明神社です。
このなだらかな場所に「鏡山城」という中世城址があったそうです。
境内に再利用され、城跡の名残は見受けられません。
正八幡神社は松山にある24社の八幡系神社の中でも、
松山城周辺の「八社八幡」に属しています。

境内北側に車道がついています。
下ると東林寺や、権現温泉側の車道に出られます。

扁額。

拝殿の中に大きな額がたくさん奉納されてます。
2礼2拍手1拝、たくさん良いことがありますように。



お参りも済ませ、さて山頂へと登り口探し。
まず、本殿の右側から調査。

右にある周敷しゅうしき神社は周宮しゅうのみやとも云います。
天御中主神と産霊神、
花見山城主の西山通倫・通周も合祀されてます。

後ろのブロック塀の切れ目から裏山へ。

登れそうな気配は最初だけ。

ササがびっしり生えてて登れませんでした。

本殿だけ撮って、境内に戻り-



今度は左側から入ってみます。



小宮の手前に瓦の祠や土人形がたくさん。

招き猫もいました。
古札みたいに、供養されるのを待ってるのかな?

  

小宮は田心姫命・市杵島姫命・湍津姫命が御祭神の冠山大明神社。
権現温泉裏の冠山から遷されてきました。

神様に断ってから、小宮の左側から奥に入ります。
枝をかき分けると-

落ち葉に深く埋もれてるけど、確かな踏み跡がありました。
登り道ではなく、平らかに奥へと続いています。
伐採跡があったりして放置された雑木林ってわけでもないようでした

  

10mほどで右上に分かれ登る道がありました。
真っ直ぐ行っても行き止まったので、素直に右の道を登りました。
けもの道ではなく、古道のようで、
最近も誰かが入った雰囲気があって-



尾根に出たら凹地の前に御幣ごへいが祀ってありました。

天照大神をお祀りした“霊の森”がここなのかも?
合掌、ご挨拶、「入らせて頂きます」。

古道はササヤブのスクリーンに遮られてしまい、
進めなくなってしまいました。
山頂に登った後、探索してて分かったんですが、
ササヤブが茂っていたのは10mほどで、古道は-

  

尾根を右に反れて続いていました。
小栗からの古い参道だったのか、
権現山荘のあるピークと繋がっていたのか、
誰も通わなくなったいまとなっては判然としません。

  

ササヤブは抜けられそうもなかったので、
一旦、バックして、ササヤブを迂回するため、
左に道を外れ回り込みます。
元元、山頂への道は無いので、
ここから歩きやすいところを選んで登ります。



ササヤブを迂回したら、尾根をたどり登ります。
太い木に混じって細い木が生えた自然の森。
木と木の隙間もあり、足元は腐葉土でふかふかで歩きやすいです。
像観山には“霊の森”と、“月の森(月読之命山稜)”、
“御串の森”の三つの森があるそうです。
神域なのでゴミを捨てたり、無闇に草木を折ったり、
盗ったりしたらバチが当たります。

最後は急坂、覗き見える山頂の稜線を目指します。
山頂部分は潅木が混んでて、かき分けるようにして登ります。



像観山山頂に到着しました! 
尖った山頂は人一人がやっとの狭さ。
混んだ潅木をかき分けてやっと立てます。

ササヤブの先に見晴らしがありそうです。
でも、足を踏み出す前に、よーく足元を注意して下さい!

  

山頂の東半分、すっぱりと数十m切り立ったガケになってます!
落ちたら住宅街裏の畑までノンストップです。

足元に気を付けながら見渡すと、権現温泉手前の町並。

東側に権現山荘があるピークがあるので、
権現温泉は直接見えません。

下山は元来たルートを忠実に戻ります。
次は尾根が繋がってる佐古田山へ向かいます。



  

神社前の丁字路を左(南)に曲がります。

佐古田山は像観山と尾根が繋がってるけど、
ヤブで分断され歩きづらいので麓から登り直します。



  

岡池と云う名のため池の畔に出ました。
写真には撮っていませんが、
写真右の家の裏にはさっき登った新田山があります。
カモがのんびり泳いでる池に縁に沿って進み、奥にある-



  

赤い屋根のお宅の脇の辻を曲がり、
写真にもS字に撮っている-

簡易舗装の農道を登ります。
この先にはもう離合できる場所はないので、
車は不可、歩いて登ります。

路面のコンクリートに小さな足跡がいっぱい。
タヌキかイタチ? (・(ェ)・)
コンクリートが固まる前に歩き回ったな(・∀・)

周囲はみかん畑。
農作業の邪魔にならないように。

みかん泥棒に間違われないよう、
農家さんを見かけたら笑顔であいさつ、
お山に登らせて下さいとお願いしましょう。



  

小さなため池に着いたら左折。

舗装の終りから奥に見える小屋の前を-

ささっと通り抜けて土の農道を登ります。
小屋の奥を道なりに左にカーブし-

たくましいみかんの木が豊かに茂るみかん畑の合間を、
ひょこひょこ登ると- 



  

開けた場所に出ました。
写真の中央、黄色いカゴのある所から道を右に反れて登りますが-

人幅の狭い道です。
周りのみかんの木を傷めないようにすいっと抜けて-

道なりに登って行きます。
決してみかんの木の中に入らないで下さい。



  

山頂から少し南の尾根に出ます。
お山の裏もみかん畑、というか、
この辺りのお山はほとんどみかん畑です。

裏に見える大きな施設は、北松山変電所。
この界隈に送電鉄塔が多いのはこのためです。

南東の谷に見える大きな道は伊台・白水台からの道。
堀江から道後方面へ、抜け道に最適です。

山頂は尾根を左(北)にたどります。
写真のピークは山頂ではなく、ひとつ手前にある小ピークです。
みかんの木が低いおかげで-

  

海まで見通せる良い眺めです。 

小ピークから軽く下って登って-



佐古田山に到着です!

佐古田山の頂上も表と裏のみかん畑が出会う場所。
みかんの堆肥のおかげか、冬でも青青としてる草の合間に- 

「権現」四等三角点、
標高は、77.16mです。

  

山頂からの眺め、写真左端は南東方向、
北松山発電所方面から右(南)へ振り返って行きます。
いま歩いてきた尾根のずっと先に、谷町の八里ヶ峠、鳥越山、
谷田山、太山寺丘陵、海上に興居島、中島、睦月島。
海を挟んで、海岸に要害山、
手前に像観山、ろうそく山、日吉山、古城山、牛倒山、
奥に高縄山もちらり。

  

手前から新田山、松尾片山、花見山。

像観山も南側はみかん畑。

  

ふたコブ山に見える古城山と牛倒山

  

麓を見下ろすとこんな感じで、海岸線まで家並みが続いています。

朝は晴れてたのにすっかり曇ってしまいました。
お山歩の続きはまた今度にして、
近くまで来たので権現温泉まで行ってみました。

  

また正八幡神社の前に戻り、
今度は神社の前を左折し-



大きな道に出たら右折。

この道は堀江と伊台・白水台を結ぶ市道。
結構、車が通っています。

正八幡神社の裏道がありました、鳥居もあります。



道端から、像観山の半分崩れてる山頂を見上げて。

山頂部分のガケは土砂崩れでできたよう。

権現川に沿って行くと、対岸に権現温泉の建物が見えます。
手前の権現橋を渡ってもいいけど、今回は少し先で-



左折して-

吉谷橋を渡ったらまた左折して温泉の駐車場の入口。



権現温泉です。
大正時代に源泉が見つかった権現温泉の共同浴場は、
新しく建て直されてスーパー銭湯っぽくきれいになってます。
お山歩帰りに一風呂もおすすめです。
数年前、堀江の海水浴場で泳いだ帰りに入ったことがありますが、
大浴場は広くて清潔でした。

裏通りを歩くと、温泉街が賑わった頃の旅館や商店の錆びた看板、
モルタルの壁に昭和の欠片を見ることができます。

ひとりごと

像観山にある正八幡神社は凄く古い神社です。
由来はなんと西暦859年まで遡ることができます。
貞観元年(859)、 大和(奈良)の大安寺の僧・行教和尚が九州豊前の宇佐八幡宮で八幡神を勧請、その帰途、あちこちに立ち寄りました。
この正八幡神社をはじめ、多くの八幡宮がこのとき、建立されました。
正八幡神社は最初、花見山に建立されました。
承平6年(936)の藤原純友の乱、保元元年(1156)の保元の乱など、戦乱の度に社領没収や、新たな支配者に寄進されたりを繰り返しました。
正平23年(1368)9月、葛籠屑城城主の村上大蔵太夫吉高・右衛門尉安輝が花見山に築城を計画。
当時、盛能山と呼ばれていたこのお山に奉遷されました。
それをきっかけに、盛能山から像観山に改められました。。
上記で「月の森」と呼ばれる森があると書きましたが、その月の森から「八尺鏡やたのかがみ」が掘り出されたなんていう伝説もあります。
八尺鏡は皇室の三種神器のひとつ。
ちょっと怪しすぎる話ですが…。

像観山を登ろうとする人はほとんどいないので道はありません。
登りやすいところを選んで登るだけです。
ヤブ蚊やクモの巣が邪魔してくれる夏はあんまり行きたくない場所。
やっぱり郊外のお山は虫も植物も眠ってる冬がおすすめです。

佐古田山はみかん畑なので登りやすいです。
農家さんに出会ったらあいさつをいたしませう。
どこでもそうですが、山頂まで行きたいんです、と正直に話すことが大切です。
山頂に立てば新田山のように遮るもののない、みかん畑ならではのパノラマを楽しめます。

最後に、知ってるようで知らない権現温泉について。
権現温泉は、いまの共同温泉の150mほど南、権現川の畔で自然に湧いていました。
それを大正の初め、高橋浅蔵、高橋義一のふたりが発見。
大正13年9月30日に共同浴場を立てたのが初まりでした。
その後、新たに源泉が発見され、当時は地名の友国を取って「友国温泉」と呼ばれていました。
昭和6年、放浪歌人・吉井勇が訪れ、和歌を詠みました。
“大伊予の友国の湯にひたりつつつ ほのぼのとしてものをこそ思ヘ”
歌碑も建てられました。
旅館も2、3軒できるくらい、入浴客が絶えませんでした。
戦後は、皮膚病に良く効くことから、一升瓶にお湯を詰めて持ち帰る人もいたそうです。
昭和30年頃、地元の人たちが当時の黒田松山市長に陳情を繰り返しました。
その結果、昭和33年3月に第1源泉、10月に同第2源泉の泉源開発に成功します。
昭和34年のデータでは、第1源泉は泉温27.1℃、湧出量は1分間約250リットル。
第2源泉は泉温27.1℃、湧出量は1分間120リットル。
第3源泉も発見されましたが、自噴しなかったので利用はされていません。
昭和33年、『権現温泉観光株式会社』が設立。
権現温泉の成功がきっかけとなり、松山に温泉開発ブームが到来します。
奥道後も久米・鷹ノ子の東道後、潮見温泉、伊台の鉱泉も昭和30年代にボーリングが行われました。
松山のあっちこっちの温泉はこの時期に誕生しました。

僕は権現温泉は家から遠いせいで、大人になるまで入ったことがありませんでした。
権現町自体にも入ったことがなかったので、長いこと、僕にとっては未開の地でした (^_^;)
なので、昭和の権現温泉の姿を見たことがありません。

さて、権現温泉の共同浴場が改築・完成したのは平成6年12月10日。
僕が知ってるのは新しい権現温泉です。

堀江の海水浴場で泳いだ後によく、訪ねました。
温泉は昼間から結構、賑わってました。
みんな、地元の人っぽい感じでした。
道後温泉と同じ「アルカリ性単純湯泉」は、お肌がぬるぬるするお湯で、ラドンもちょっと入ってるみたい。
湯船の脇に大理石の観音様がいらっしゃいます。
今回のお山歩では自転車で来ていたため、帰りにきっと湯冷めすると思い、お風呂の支度はして来ませんでした。
暖かくなったら温泉行きたいなぁ~、ハービバノンノっ!

というわけで、古城山にも登るつもりだったけど、やめました。
天気も悪くなったし、GPSにデータ入れ忘れてたしで、いさぎよく帰りました。

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