興居島のお山
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龍石山、船越、鷲ヶ巣へ
距離 約120m
標高差 約20m
国道・県道
一般道
徒歩
下記写真の場所

泊港から県道を走り、北上します。
次の龍石山は岬の姿で港からもう見えています(写真右)。

港から80mばかりで、二軒の雑貨屋さんがあります。

さらに進むと酒屋さん。
ゆるやかに右カーブする堤防沿いに進むと-



  

やがて、上り坂気味に左カーブに転じた場所が、
龍石山の切り通しです。
お山にお城(明沢城)があった頃はここは繋がっていました。
写真右、テトラポッドの海岸線沿いに建つのが弘正寺。
明沢城城主が創建したお寺です。



切り通しを越えた方に登り口の階段があります。
島四国の案内が入口に立ってます。

階段を登ると-

泊の港を見下ろす小さな広場で、左の林の中に-

登りの石段があります。

4月20、21には島四国のへんろ道になるこの道。



階段を登り切ると道はフラットに。
左右のカヤやササが旺盛だけど、
道そのものは明瞭です。
普段から釣り人などが歩いてるせいかも。
やがて大きな岩がゴロっゴロと道端に現れ-



ぱぁっと開けたところが龍石山の山頂となります。
道はこのまま岬の先まで続いています。
夏草が元気すぎて城址っぽいものは平坦な地形以外、
見つけられませんでした。

左側の草むらに-

島四国の石仏が祀られています。
合掌。

下山し、県道を再び北上。
海岸線が大きな弧を描いてる由良湾を、
右に見ながらの快適ツーリングです。



  

小さな岬を抜けると子持山の姿(写真中央)。
海には砂浜が次第に見えてきました。
右に向かって細く延びる海岸線の上に、
高戸山や泰の山(犬吠山はその陰になって見えません)が、
緑の丘のようにあります。



船越の集落が間近になって海まで迫る、
子持山(中央のピ-ク)の連山が正面に。
お山の向こう側、興居島中学校の裏からモノラックの軌道沿いに、
右の鞍部へ登り、山頂へ向かえる小径があります。
一応、こちら側からも上部のみかん畑までは農道があります。
今回は夏草に負けて登れませんでしたけど、
いつか登りたいと思います。

山の陰を抜けると興居島中学校。
赤い桟橋が目立つ、船越地区へ入ってきました。



  

島の東西を最短で結ぶ道路の船越側の丁字路。
右の海側にはフェリー発着場と船越緑地公園があります。
左には-

興居島を代表する神社、船越和気比賣神社があります。
狛犬さんも立派。

壺から出てきたお姫さま

昔、興居島に和気五郎太夫という漁師がいました。
ある日、沖に出て魚を釣っていると、丸いものが浮いてきました。
それは、大きな壺だったのです。
拾い上げて、磯の岩に打ち当てて砕いてみますと、中から12、3才ほどの、それはそれは美しい娘が出てきました。 
五郎太夫は、びっくりしました。
「おまえは、なんでこんなところにいるの。」と、尋ねました。
すると、その娘は、
「私は、唐の国の者でございますが、わけあって壺の中に入れられて、流されたのでございます。私の名は、和気姫と申します。」と、言いました。
子どものない五郎太夫は、大喜びで、自分の子どもとして育てることにしました。
和気姫は、大事に大事に育てられ、後に伊予皇子といわれる人の奥方となりました。
三人の男の子を生み、そのうち第三子の小千御子は、河野家の先祖と言われています。
小千御子の母が住んでいたというので、この島は、母子島と呼ばれていました。
母居島、興津島山、沖の島などと呼んでいた時もあり、元禄12年から、興居島と呼ばれるようになったともいわれています。
和気比売神社には、和気姫の御神体をまつってあります。

「松山のむかし話」

船越和気比賣神社と船踊り

ここ船越に、伊予の豪族小千御子の母和気比賣命を葬ったので、はじめこの島を母居島と呼び、のちに興居島と改めたといい伝えられる。
昔、当社は船越社と称し、天善2年(約800年前)に船越八幡宮と改め、明治3年船越和気比賣神社と改号した。
「船踊り」は、昔伊予水軍の武者たちがこの島に凱旋したとき、島民の歓迎にこたえて、船上で戦いの様子を示しながら舞ったことが起源といわれ、神社の秋祭りに催される。
昭和39年3月26日県無形民俗文化財に指定された。

松山市 松山市教育委員会

拝殿。

奉納されたふたつの額の中央に「船越八幡宮」。

参拝後、丁字路を曲がり、島の西側へ。
道の左にあるのは中学校の校舎。
坂を越えたら-



すぐに島の反対側、鷲ヶ巣の海が拡がります。
沖に浮かぶのは釣島(つるしま)。

鷲ヶ巣には海水浴場があります。
釣島の手前に浮かぶ小島は-

泳いで行けそうな、微妙な距離に浮かぶカモセ島。
昔、ここいらは干潟だったそうです。

ひとりごと

龍石山はお山っぽくないんですけど、城址でもあるので登っておきました。
なんてったって、道がちゃんとあったのが登ろうと思った最大の理由です。
毎年、4月20、21日の島四国が開催される時は白装束のお遍路さんで賑わうようです。
島四国と言えばしまなみの大島のも最近、有名になりましたね。
興居島の島四国は由良の観音寺がスタート。
興居島は意外と大きいので、歩きだとやっぱり二日はかかるみたいです。

龍石山にはその名の由来になった龍が跡を残した岩があるそうなんです。
実は龍以外に巨大伊勢エビが跡を残したって伝説もあります。
その巨大エビは人の頭ほどの目ん球を持ってて、漁師を驚かせていたそうです。
ちょうど同じ頃、近海に畳三畳もの大きさの巨大ガメが目撃されます。
そしてある日、遂に巨大エビと巨大ガメの決闘が始まったんだそうです。
まさに、ガメラ対エビラ、海獣大決戦です!
その際にエビラ、じゃない、巨大エビが岩に跡を残したんだそう。
結局、巨大エビは負け、去っていったそうです。
一方、噂によると、昭和の初め頃、巨大ガメを見たという人が出現。
いまでもこの辺りの海に潜んでいるのかも知れませんね。

そんな龍石山を後にし、一路、子持山を目指しました。
中学校裏の、モノラックの軌道沿いに小径は発見。
でも、雑草が生い茂り、しばらく人が入った形跡もありませんでした。
僕の脳裏には小富士でのクモの巣払いがまだありありと残ってたので、雑草だらけを目にした途端、もう心は挫けてました。
へなちょこですから…。
いま思うと登っておけばヨカッタと思うんですけどね。
寝不足にシャリバテ、容赦なく照りつける太陽光線に体力がどんどん奪われてました。
そんな時に想像するのは、登ってみたけど山頂までの道が途絶えてるとか、みかん畑の人にしかられるとか。
そんなネガティブなことばかり。
あー、へなちょこ、凹んでばかりです。
とはいえ、結果的に、フェリーの最終便までに地図に名前のあるお山だけは登ることはできました。
黒崎山と子持山を見送ったのは正解でした。

和気比賣神社にお参りし、鷲ヶ巣へ向かいました。

鷲ヶ巣の海水浴場は子どもの頃、泳ぎに来た場所です。
道路周りが綺麗に整備されてましたけど、砂浜から先の青い海は昔のまんまでした。
数えるほどしか、来たこと無いけど、浜辺の沖に浮かぶあのカモセ島はとっても記憶に残っています。
カモセ島は一見近そうで、潮が引くと楽に泳いでいけそうなんです。
でも、いざ、泳ぎ始めると全然、たどり着けない。
一生懸命泳ぐんだけど、近づいてる感じがしなかった。
学校のプールでしか泳いだことのない子どもには長距離すぎて、途中で引き返すはめに。
でも、結構泳いで来てるので、簡単には戻れなくて、浜に着いた頃にはヘロヘロ。
命の危険を感じるくらい充分泳いだので、後はもう、コーラでも買って浜辺でゴロゴロするだけでした。

そんな鷲ヶ巣の海に郷愁を感じつつ、次の高戸山へとハンドルを切りました。

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