へ行こう!
龍石山、船越、鷲ヶ巣へ | ||||||||||||||||||||||
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨ | ||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||
①泊港から県道を走り、北上します。
次の龍石山は岬の姿で港からもう見えています(写真右)。
港から80mばかりで、二軒の雑貨屋さんがあります。
さらに進むと酒屋さん。
ゆるやかに右カーブする堤防沿いに進むと-
②やがて、上り坂気味に左カーブに転じた場所が、
龍石山の切り通しです。
お山にお城(明沢城)があった頃はここは繋がっていました。
写真右、テトラポッドの海岸線沿いに建つのが弘正寺。
明沢城城主が創建したお寺です。
③切り通しを越えた方に登り口の階段があります。
島四国の案内が入口に立ってます。
階段を登ると-
泊の港を見下ろす小さな広場で、左の林の中に-
登りの石段があります。
4月20、21には島四国のへんろ道になるこの道。
④階段を登り切ると道はフラットに。
左右のカヤやササが旺盛だけど、
道そのものは明瞭です。
普段から釣り人などが歩いてるせいかも。
やがて大きな岩がゴロっゴロと道端に現れ-
⑤ぱぁっと開けたところが龍石山の山頂となります。
道はこのまま岬の先まで続いています。
夏草が元気すぎて城址っぽいものは平坦な地形以外、
見つけられませんでした。
左側の草むらに-
島四国の石仏が祀られています。
合掌。
下山し、県道を再び北上。
海岸線が大きな弧を描いてる由良湾を、
右に見ながらの快適ツーリングです。
⑥小さな岬を抜けると子持山の姿(写真中央)。
海には砂浜が次第に見えてきました。
右に向かって細く延びる海岸線の上に、
高戸山や泰の山(犬吠山はその陰になって見えません)が、
緑の丘のようにあります。
⑦船越の集落が間近になって海まで迫る、
子持山(中央のピ-ク)の連山が正面に。
お山の向こう側、興居島中学校の裏からモノラックの軌道沿いに、
右の鞍部へ登り、山頂へ向かえる小径があります。
一応、こちら側からも上部のみかん畑までは農道があります。
今回は夏草に負けて登れませんでしたけど、
いつか登りたいと思います。
山の陰を抜けると興居島中学校。
赤い桟橋が目立つ、船越地区へ入ってきました。
⑧島の東西を最短で結ぶ道路の船越側の丁字路。
右の海側にはフェリー発着場と船越緑地公園があります。
左には-
興居島を代表する神社、船越和気比賣神社があります。
狛犬さんも立派。
壺から出てきたお姫さま |
||
昔、興居島に和気五郎太夫という漁師がいました。 |
||
「松山のむかし話」 |
||
船越和気比賣神社と船踊り |
||
ここ船越に、伊予の豪族小千御子の母和気比賣命を葬ったので、はじめこの島を母居島と呼び、のちに興居島と改めたといい伝えられる。 |
||
松山市 松山市教育委員会 |
||
拝殿。
奉納されたふたつの額の中央に「船越八幡宮」。
参拝後、丁字路を曲がり、島の西側へ。
道の左にあるのは中学校の校舎。
坂を越えたら-
⑨すぐに島の反対側、鷲ヶ巣の海が拡がります。
沖に浮かぶのは釣島(つるしま)。
鷲ヶ巣には海水浴場があります。
釣島の手前に浮かぶ小島は-
泳いで行けそうな、微妙な距離に浮かぶカモセ島。
昔、ここいらは干潟だったそうです。
ひとりごと | ||
龍石山はお山っぽくないんですけど、城址でもあるので登っておきました。 そんな龍石山を後にし、一路、子持山を目指しました。 和気比賣神社にお参りし、鷲ヶ巣へ向かいました。 鷲ヶ巣の海水浴場は子どもの頃、泳ぎに来た場所です。 そんな鷲ヶ巣の海に郷愁を感じつつ、次の高戸山へとハンドルを切りました。 |
||