楠窪余野林道・鞍瀬へ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭ ①②③④ |
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①登山口からの帰りは林道楠窪余野線を来た方と反対へ。
余野地区に向かって下りました。
左に大きく曲がると-
長~い下り坂、こっちも当分、砂利道です。
右下へ下ってる尾根の方へと向かって行きますが、
奥でカーブしてる白いガードレールのところまで行ったら-
②土手が崩れたのか、道が狭く、路面が盛り上がってました。
ある種、峠や境界みたいな感じの場所がありました。
越えると、また長~い下り。
400mくらい進んだら大きくS字に下って高度を減らし-
またまた長~い下り。
途中にあった水飲み場。
黒いホースから直接飲んでしまいましたが、
したたり落ちる清水、美味しかったです。
③西尾根を越える左カーブ。
林道がまだ楠窪側の林道と繋がっていなかった頃、
ほんの10年ぐらい前までは、
鞍瀬側から三ヶ森に登る人はこの辺りで西尾根に取り付いていました。
写真中央に見えているのは西日を背にした面木山のシルエット、
その右のうっすら写っているのは明神ヶ森などの山並み。
道は西尾根を大きく回り下り-
南斜面へ出ると今度は堂ヶ森が現れました。
更に下ると右にくぃっと曲がる急カーブがあります。
④その急カーブ(標高720mほどのところ)。
カーブの外側は空き地になっていて、見晴らし抜群。
思わず停車して、写真を撮りました。
三ヶ森の南尾根から別れた西尾根の向こうに、
鞍瀬ノ頭以西の山並みが拡がっていました。
山頂で散散見た景色だけど-
保井野から堂ヶ森の右肩や相名峠への登山ルートは、
あんなとこを登るのかぁ。
ヘアピンカーブを抜けたところに車が一台駐まっていました。
下山中に擦れ違った人が乗ってきた車かも知れません。
登山口に車がなかったので。
写真を撮った空き地の奥にある小径から登ってったのかも。
⑤標高600mから500mへ。
ヘアピンカーブを連ねて一気に100m下降します。
この辺りからカーブや急坂が多く、
路面保護のための簡易舗装が目立つようになりました。
5つも6つもヘアピンカーブを曲がり下ると、
少しずつですが、里に近付いてる気配がすごくしてきます。
竹林もその気配のひとつ。
写真のカーブの外側(背中側)には-
開拓の跡が残っていました。
石を積んで作った畑かなにかの跡にスギが植えてありました。
先人がひとつひとつ石を積んで苦労して作った跡が、
自然に還ろうとしています。
連続した急カーブが一段落。
しばらく真っ直ぐ下っていたら、ついに耕された畑、出現。
生活感を感じながら下ると-
⑥アスファルトの道と合流しました。
アスファルトの道路は道幅が右に向かって大きく膨らんでいました。
丸太を満載したトラックが山から降りてきても、
安全に右折できるよう、道を拡げてあるのでしょう。
左にも狭いながら車道があります。
そちらには-
かやぶき屋根を守るトタン屋根の農家や奥の木立にも数軒。
棚田か段段畑がうねっていました。
標高450mにある余野地区です。
午後の日差しの下、お元気そうに農作業されてる姿が散見されました。
新緑に包まれた集落の光景はまるで小さな楽園のようでした。
そして林道もここ、余野まで。
県道までは余野地区の生活道です。
まだまだ標高が高いので、くねくね下ります。
⑦1.5車線の山道はブラインドカーブも多い。
対向車に気を付けながら下ります。
この急カーブには開通を祝った記念碑が立っていました。
「昭和41年12月 余野農道改修記念碑」
見下ろすと、鞍瀬の県道が見えました。
谷の奥は国道11号線・桜三里方面です。
道は下るにつれ南へ転じ、余野の集落からどんどん離れ-
⑧県道153号落合久万線と合流しました(標高260m)。
やっと着いた、というか、着いちゃった、というか…。
山道から大きな道に出る時はいつも、
安堵と淋しさがまぜこぜの複雑な気持ちになります。
角の小屋の後に「←三ヶ森 登山口」の道標があります。
そのほかにも、県道端に-
「告(入山禁止)
自然保護と環境保全のため、許可無く自然野性を問わず、
草木の採取を禁じます。
…地主同行なき場合は…盗採と見なし…処分します。」
こちらの大看板はパネルがそっくりありませんでした。
鞍瀬渓谷周辺の案内図かなにかあったのかな?
桜三里側から見た合流場所の様子です。
奥に堂ヶ森、青滝山がそびえています。
県道を更に溯れば保井野、堂ヶ森登山口へと至ります。
県道の名は「落合久万線」。
だけど、久万まで車道は通じていません。
堂ヶ森の西肩か、相名峠を歩いて越えないと久万には行けません。
鞍瀬川に下りたったついでに、保井野まで足を伸ばしてみました。
おまけなので、ざっと載せておきます。
①写真左側は成地区、鞍瀬川を挟んだ右側は下影地区。
西にだいぶ傾いた太陽は黒森の山頂の上に。
成地区を抜けたところにある丁字路。
右に通行止めになってる橋があります。
橋を渡って山道を行けば、大野霊神社や赤滝城などへ行けます。
でも、この辺りにはもののけが棲んでいて、
廃道などで道に迷ったりすることがよくあるそう。
気を付けましょう。
この橋は渡れませんが、下影地区から林道御所線で来られます。
赤滝城・蜂ヶ森城・立烏帽子城など、この周辺には数々の城砦があり、
戦にまつわる話がたくさん残されています。
ちなみに御祓川の名も、亡くなった侍たちの怨念か、
川の水が赤く染まっていたのでお祓いしたら元の清流に戻った…、
そんな由来があったりします。
赤滝城跡 |
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赤滝城跡は御祓川(おはらいがわ)の源流青滝山(1303m)の山腹あたりがそうである。 |
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平成6年3月吉日 丹原町文化協会建立 |
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沢の奥にあった滝。
②成地区から3kmちょっと溯ったところにある保井之地区です。
とっても谷の奧にあるのに、想像以上に民家があって驚きます。
周桑バスの終点、「保井野集会所前」バス停付近から見える三ヶ森。
こちらは楠窪より2便多い、1日5便。
上り側(丹原行き)のバス停はまだ集落の奥にもあります。
青いトタンの小屋-
その入口の柱に-
バス停の時刻表が貼ってあります。
終点に来たバスはこの広い場所で待機しています。
堂ヶ森の帰り、バスに乗る時は気を付けてください。
そのバス停の先、また道が狭くなるところに-
夫婦滝・貝之口滝の登山口があります。
鞍瀬渓谷沿いを歩いて…なんと、約3時間かかります!
集落を上から。
③集落からさらに2km進んだら、堂ヶ森登山口です。
駐車スペースがあります。
元元はキャンプ・BBQ場のために整備されました。
左は新しい公衆トイレ、右は廃屋、その廃屋の向こうに-
堂ヶ森の登山口があります。
④車道の終点は、観光農園でしたが、いまは営業していません。
おじさんも番犬も牛たちもどこかへ行ってしまったのか、
けもの除けの電流柵の中には梅林だけが残っています。
看板。
梅園から堂ヶ森を見上げて。
以上、長~い寄り道、終了。
⑨というわけで、余野分岐まで戻り、鞍瀬川に沿って県道を下って行きます。
鞍瀬川は堂ヶ森を源に、夫婦滝など絶景の鞍瀬渓谷を形成。
その後、中山川に合流する、とても清らかな川です。
GW中だったので、河原からBBQの煙があちこちで立ち昇ってました。
焼き肉の匂いにお腹がぐーぐー鳴りっぱなし。
太陽がもっと傾いて、深い鞍瀬の谷は日陰に。
ロンTじゃ、ちと肌寒いくらいになりました。
⑩山の上にある峯地区の入口に看板が並んでいました。
ひとつは「林道峰下影線」のもの。
こちらは、峯地区にある蜂ヶ森城城址についての解説です。
蜂ヶ森城 |
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元弘3年(1333)、北条氏の鎌倉幕府は滅亡したが、その残党は各地にあって、建武の新政に対して反乱を起こした。 |
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昭和57年7月 丹原町文化協会 |
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⑪高座・長面地区を通ったら、
5月なので、こいのぼりが泳いでました。
それも鞍瀬川の上を一斉に。
風がなかったので、泳ぐと云うより、
干物みたいにぶらぶらしてましたが-
川面に映る姿は確かに泳いで見えました。
⑫旧桜樹村当時の中心部。
郵便局や公民館(元役場)、「馬木」バス停があります。
公民館の壁にある「桜木地区ふるさと案内板」。
旧桜樹村村内の名所がたくさん書いてあります。
鞍瀬川沿いのほか、楠窪や千原(千羽ヶ岳)の方も旧桜樹村に含まれていました。
⑬県道が分岐合流する丁字路へ。
右に曲がった方が県道で-
鞍瀬橋を渡り、対岸を国道へ下りますが、
こっちに行かなくても国道に出られます。
丁字路に古い石の道標。
「松山道→」「←くらせ道」手のレリーフ付き。
橋の方へ行かず、直進すると、また看板。
左上に「新田塚(通称 梅之木さん)」というお堂がありました。
新田塚(通称 梅之木さん) |
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興国元年(1340)、新田義貞の弟・脇屋刑部卿義助、今張(今治)に上陸、国分城に入り5月4日急死す。 |
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注 興国は南朝の年号である。 |
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昭和59年7月 丹原町文化協会 |
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⑭国道11号線に出ると車の騒音で一気に騒々しくなりました。
⑬の橋を渡って県道を進むと、写真右の点滅信号のある交差点へ出ます。
ふたつの出口を結ぶように国道にはふたつの橋がかけられています。
鞍瀬川もここで中山川と合流します。
松山側から見た鞍瀬の入口。
「落合」バス停と案内図。
色褪せた鞍瀬の案内図。
ひとりごと | ||
同じ道を帰るのはつまらないし、少し遠回りになるので、余野方面へ下ることにしました。 余野地区はあんな山の上にあるのに何軒も家があります。 ちなみに、余野のバス停は県道との合流場所より下流にあります。 「桜樹村の足跡」に三ヶ森がらみの一文があったので。 120 - 小倉の塚 三ヶ森中腹 こんな話も。 175 - 石鎚の投石(黒滝の投石) さて、県道に着いて、まだ明るかったので、保井野まで足を伸ばしました。 この辺りは中世城址が点在しています。 保井野は遠いですねぇ。 保井野から相名峠を越える道は昭和の初期まで重要な峠路だったそう。 131 - 相名峠、お吉親子の墓 いまはだいぶ寂れてしまったそうですが、まだオオカミがいた頃の哀しいお話を。 相名峠の哀歌 保井野 相名峠にも登って青滝山まで行ってみたくなりました。 引き返し、国道11号線へ。 以上で、三ヶ森のお山歩終了です。 |
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