三ヶ森は、石鎚山系の北壁から、高縄山系の山並み、道前・道後平野、伊予灘、燧灘まで見晴らすことができます。
石鎚国定公園。
三ヶ森の“三”は、
・真南にある二ノ森に次ぐお山という意味
・明河・楠窪・石鎚(千足山)村の三か村の旧境が山頂で交差していた
・鞍瀬川、加茂川、志河川(しこがわ)の三つの源流を成す森
・山頂部分が見る角度によって三つのピーク(ピーク=盛り=森)に見えること
など、様様な由来があります。
石鎚山系・堂ヶ森から直線距離で5kmしか離れていないため、1377mもの標高を有しています。
そのおかげで松山からもよく見え、比肩する高い山が真近にないので、八の字に裾を拡げた姿は独立峰のようです。
南は鞍瀬ノ頭と尾根伝い、西は鞍瀬の谷を挟んで面木山・黒森。
東は天ヶ峠を経て四国霊場横峰寺や石鎚の表参道・虎杖へ。
北は次第次第に高度を下げ、道前平野の入口の湯谷口に至ります。
山肌は深い森に包まれていて、“森のダム”は東予地方の重要な水源となっています。
西麓には鞍瀬川、東麓は加茂川、南麓は志河川が流れています。
志河川の谷の出口には農業用水の確保が目的の志河川ダムが設けられています。
山裾の谷はいずれも深いV字谷で、鞍瀬渓谷(鞍瀬川)、高瀑渓(たかたるけい、加茂川)の渓谷美は見事です。
石鎚山を開山した役小角(役行者)は、石鎚権現をまずこの三ヶ森から遷座していったという話が残っています。
役小角は、現在、楠窪余野線の起点がある神部で“荒釜の行”を行いました。
心身が清らかな人を従者に選び、借宿集落にて宿を取り、三ヶ森に登りました。
役小角はその後、堂ヶ森、瓶ヶ森、石鎚山頂へと神様を移動して行ったという話が地元に残っています。
ちなみに、三ヶ森山頂の北にある935m峰の山頂の平地に石鎚遥拝所の跡があります。
庭園跡にはキリシマツツジ、鉄製の小鳥居などもあったそうです。
東麓には「旭の岩屋」と呼ばれる東予地域で唯一とも云われる鍾乳洞があります。
弘法大師縁の霊地とも云われていますが定かではありません。
三ヶ森が石鎚展望所として人気が高まったのはいまの登山ブームが始まって以降です。
ガイドブックなどでも平成の版から追加されたものもあります。
登山ルートはいくつかあり、多くの方が思い思いの方向から登攀されています。
地主さんから許されている登山口は、林道楠窪余野線の旧終点で最高地点、標高870mにある登山口です。
登山道には道標も揃っています。
林道楠窪余野線は志河川沿いに起点があり、以前は登山口が終点でした。
現在は、西麓の余野地区からも林道が延伸・接続、鞍瀬側の県道からもアクセスが可能です。
登山口までの距離や高度差は鞍瀬からでも楠窪からでも大差ありません。
砂利道区間は鞍瀬からの方が短めです。
登山道は明瞭です。
植林帯を抜けた後、胸突く急坂をがんばってクリアするとシャクナゲに覆われた尾根が出迎えてくれます。
三角点が中央に設置された山頂は大きく視線を遮る高い木立がないため、見事なパノラマが拡がっています。
特に、石鎚山・西ノ冠岳の荒々しい北壁、二ノ森~堂ヶ森の急峻だけれど豊かな緑に覆われた姿が見事です。
※「登山愛好者以外入山禁ズ」など、山菜・シキビ泥棒に対して書かれた立て札にドキリとします。
日本に誰のものでもない土地はありません、お山も同様、ワラビ1本、無断で持ち帰ってはいけません。
マナー違反が度重なると快適な登山道が通行・入山禁止になる恐れも充分あり得ます。
お土産は思い出だけ、とるのは写真だけにしましょう。
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