三ヶ森へ行こう!
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楠窪余野林道・楠窪から
距離 約3.9km
標高差 約150m
距離 約8.9km
標高差 約660m
国道・県道
一般道
林道・農道・私道
徒歩
下記写真の場所
  

桜三里を越え、周桑平野に入ってすぐの西条市丹原町志川。
湯谷口の丁字路信号交差点を過ぎてすぐ右にある、
「じゃがいも家」という名のレストランと、
桜三里に最も近いコンビニのローソンとの間に、
志河川ダムと楠窪地区への入口があります。

  

志河川ダムまでは二車線です。
“志河川”は“しこがわ”と読みます。

旧金比羅(讃岐)街道を塞ぐ形で置かれてる、
「楠窪入口→」と「志河川ダム 1.2km→」

松山自動車道の高架をくぐり、上っていくと-



  

左に志河川ダム下流の広場へ降りられる分岐と-

志河川ダムの解説版のある展望所「東出合い広場」。

  

「志河川周辺案内」

  

「志河川ダム」

ダムの下流に設けられた「ふれあい広場」などなど。

志河川ダムを正面から。
車道や遊歩道が整備されてるので放流口のすぐそばまで行けます。
写真右にあるトンネル-

「志河川1号トンネル」をくぐると-

ダムの上部。
写真左の小屋はトイレ。
道はダムの上まで通じています。
楠窪へ行く道は写真右端。

トンネルはもう一つあります。
「志河川2号トンネル」です。



ダム湖に沿って走ってると、右の石碑に目が止まりました。
石碑には銅板がはめこまれ、隣には解説板も。

  

「志河川ドラゴン大橋」? ど、ドラゴン?

平成16年3月

中川小学校5年生

 2月20日に、志河川ダムの付け替え道路のエ事現場を見学させていただきありがとうございました。
あのときに工事していた橋の名前を私たちにつけさせてもらえるのは、とってもうれしいです。
みんなでいろいろ考えました。考えて決めたのは、

[志河川ドラゴン大橋]

という名前です。
どうしてこの名前にしたか説明します。
一つめは、志河川という名前をつけたいと思いました。
2つめは、自然をできるだけこわさないで工事しているので橋が竜のように曲がってくるので、ドラゴンをつけました。
3つめは、完成したら日本で一番になるかも知れない長い橋なので、大橋にしました。
私たちは、とっても気に入っています。
よろしくお願いします。


石碑から170mほどの区間が「ドラゴン大橋」です。
橋だと気づかない人にとっては普通のS字カーブ。
確かに右の路肩は斜面と接してません。
橋の下を覗き込むと、多数の柱で支えられていました。

橋の終わりに「横谷」バス停があって-



  

志河川を渡る楠窪橋。
渡った突き当たりを右折します。

突き当たりにある美味しそうな清水。
今日はマグカップを忘れたので飲めませんでした。

この先、道は1.5車線。
志河川を右に見ながらどんどんと上流へ。



道沿いには民家はないんだけど、
一見なんにもない場所に周桑バスのバス停があります。
山の上や対岸にある民家のために設けられています。

こちらは「とびのす橋」バス停。
対岸にある角立地区のためのバス停だけど-

とびのす橋はだいぶ昔から通行禁止みたい。

バスは朝昼夕の3便のみです。



  

次の「神部」バス停の先の丁字路が-

  

三ヶ森登山口へ行ける林道「楠窪余野線」の起点です。

角立橋を渡りますが、右にあるのが-

  

林道楠窪余野線の案内。

左に「三ヶ森 登山口 →」

橋の上から志河川を。
ちなみに、500mほど上流に「楠窪キャンプ場」があったりします。

川にさよならして、林道を上って行きます。
しばらくはちゃんと舗装され、快適です。
どんどん上り、高度をどんどん稼いで行きます。



標高300mを越えた所に綺麗な赤いカエデがある農地がありました。

農地が終わるところから見た志河川源流の谷。
奥に見える山の辺りが天ヶ峠になります。



この辺りから無舗装・砂利道が始まりますが-

急坂や急カーブなどは簡易舗装がされています。
訪問当日はちょうどゴールデンウィークだったので、
県外ナンバーのバイク集団にこの辺りで抜かれました。



標高400m地点で出会ったのは伐採作業風景でした。
右の森が大きく伐り取られてました。
写真の丸太とワイヤーは丸太を運び降ろす装置です。

左カーブにワイヤーを操作する機械が設置してありました。

丸太を組んだ櫓の上に載ってます。
機械は動いてなかったし、チェーンソーの音もしてなかったし、
GW中だから作業してないのかと思ったら-

のろのろ走る重機に道を塞がれてしまいました。
せかしちゃ悪いので、少し車間距離とって付いて行きました。
その後、重機は丸太を山と積んだトラックが、
停車してる広場へに入りました。

ムーブの先には、丸太の枝を払う装置が付いてました。



標高500m地点も簡易舗装。
登山口はまだまだ先、まだまだ上。
傾斜もそれなりにきついところもあります。
僕のスクーターは6万キロも乗ってるので、
フルスロットルでものろのろです。



標高600m地点はこんな場所でした。

カーブの先には送電鉄塔がそびえてました。

東へ東へ上って行くと、いつしか標高700mも越え、
ちょうどいい木立の切れ間からこれまでのルートを振り返ってみました。
谷の出口が見えないくらい奥まで来ました。
奥に霞んで見える山並みは東三方ヶ森を中心とした、
松山・今治・丹原境の山塊です。



  

道が不意に狭い谷へと入って行きました。
奥に三ヶ森山頂が見える北麓の谷です。

左下の沢は三ヶ森の清水です。

右曲がりのヘアピンカーブでちょっと休憩。
ガードレールを跨ぎ越し、1mほど土手を降りて-

綺麗な沢の水で、顔の土埃を洗い落としました。



  

標高800m地点、北に飛び出したカーブからの眺めです。
800m越えると北西尾根より高くなるので、
三ヶ森の西にある面木山も見えてきました。
しばらく北斜面を西へ向かって走ります。



標高850m辺りで北西尾根を左にカーブしながら越え、楠窪から明河へ。
見上げると、山頂がまたこっちを見下ろしていました。
写真左の崖が北西尾根ですが、道から50mくらい登ったところに、
その名も「峠」四等三角点があります(標高は918.78m)。

お?
立木になにか書いた板が縛り付けてあります。

「私有地に付き しきび・草木一切 盗採禁ズ!
しきびどろぼう、仏様喜ばぬ!」
その通り! 僕も山菜泥棒、大嫌いです!

左の崖に足場が組んでありました。
登ったら三角点まで行けるかなぁと思って近付いたら-

ハシゴの終わりがロープで規制してありました。
おまけに、足場にも-

「私有地に付き しきび・草木一切 盗採禁ズ!」
地主さん、相当怒ってますよ、みなさん!

登山口・登山道がある尾根が見えました。
写真右の霞んだ山並みは皿ヶ嶺連峰です。

  

石墨山、法師山、善神ヶ森が見える稜線をアップ。
手前は黒森。



写真のように駐車できるほど、
路肩に余裕がある場所に着いたら-

  

三ヶ森登山口に到着です!
林道の最高地点にある左カーブの内側が登山口になっています。
ちなみに、この写真は下山後に撮ったもので-

お昼に着いた時はこんな風に先客の車が2台、路肩に駐まっていました。
路駐しててもその横を車が通り抜けられるくらい、
道幅には余裕がありますが、
伐採した丸太を山と積んだトラックが通れるくらいは、
ちゃんと空けて駐めましょう。

  

「←三ヶ森(標高1377m)登山口」

ひとりごと

松山からも見える三ヶ森。
市内から見えるお山は全部登っとく、というのが当面の目標でした。
大型車が頻繁に通る国道のくせに路肩に余裕がない桜三里はスクーターで走るとホントに危なっかしい。
なので東予地方のお山は僕にとってある意味、鬼門でした。
でも、近隣のお山はあらかた登り尽くしてしまいました。
重い腰を上げ、ゴールデンウィークのど真ん中、丹原にあるお墓のお参りも兼ねて出かけてきました。

迫り来るトラックに道を譲りながら慎重に走って、久しぶりの丹原上陸。
お墓参りを済ませた後、湯谷口に戻り、楠窪へ向かいました。
連休中とあって、じゃがいも家の駐車場にも県外ナンバーの車がちらほら、丹原最前線のローソンも車がいっぱいでした。

初めて走る楠窪への道は、狭い谷間を縫うような道を想像していましたが、快適で一安心。
どんどん行くぞ!と、アクセルを全開しようとした途端、急に現れた志河川ダム。
早速、寄り道してしまいました。
平成19年に完成したダムはコンクリートもまだまだ白さを保っていて、放流口の下には広場まで作ってありました。
雨量の少ない四国じゃ、自然を破壊して造るダムはある意味、必要悪。
だけど、広場みたいな余計なもんを作って、県民市民に対して言い訳がましく媚びるのはいやらしいねぇ。
ちなみに、トンネルがある道は付け替えられた新道で、元の旧道は向こう岸にありました。
いまはダムの底です。

トンネルと云えば、志河川の上流の影無地区、天ヶ峠へ向かう道に手掘りの隧道「岩勝隧道」があります。
「桜樹村の足跡」という本にこんなことが載っています。

181 - 岩勝隧道 影無
 旧桜樹村と旧千足山村の村境近くに旧村内で只一つ車の通れるトンネルがあります。
 幅3米、高さ4米、延長22米、複雑な岩層を刳り抜き昭和6年完成しております。
 此の完成で道路の幅員は拡張せられ物資の運搬は荷馬から荷馬車へと変わって行き、生産物は川沿の道を大量に運び出す事が出来、生活必需の品も容易に搬入出来るようになりました。
 昭和30年代にはトラックも通行するようになり山間避地の人達も近代的文化生活へと近ずいて行きましたが便利が良くなると共に当地方の過疎化を助長する事となり神部40戸、影無30数戸、戸石20 余戸、岩勝3戸、祝谷5戸の大部落も、現在神部2戸、影無4戸、戸石1戸の山里となって終い山村発展を願って尽力した人々の夢は実らなかったのです。

隧道ができて馬から車へ移動手段が変わり、確かに便利にはなりました。
けれど、そのせいで過疎化も進んでしまったということが書かれていました。
この志河川沿いだけに限らず、山向こうの鞍瀬川沿いもそうです。
国道11号線から南へ入る谷間には、小学校や役場の廃屋、スギやヒノキが植林された石積みの段段畑跡など。
廃された集落が数多く存在しています。
田舎暮らしがいい、なんて云うのは健康で体が丈夫なうちの話です。
足腰が利かんようになったら、病院行くんも買い物行くんも車が無くては話にならん。
車は便利やけど、そのせいでバスが朝昼夕の3便しか来んなってしもーて、運転できる爺さんがおらんよーになったら、身動きとれんよーなる。
街に住んどる子供を頼って住み慣れた故郷を後にせんといかんのが現実じゃ…。
周囲になんにもない場所にぽつんと立ってる「横谷」や「下角立」の周桑バスのバス停は、にぎやかだった頃の名残なのでしょう。

さて、林道楠窪余野線も想像より路面状況がよくて一安心。
ただ、僕のスクーターはいい加減、馬力が無くなり、僕自身、体重がメタボってしまっています。
そのせいで、のろのろとしか走れなくて、余計に時間が掛かってしまいました。
起点の看板には延長8kmって書いてありますが、地図上で計ってみると登山口まで9km近い数値になりました。
8kmでも9kmでも結構、距離があります。
擦れ違うのは三ヶ森の登山者くらいのものです。
忘れた頃に、丸太積んだトラックが降りてくることもあるので、ブラインド・カーブは気を付けてください。
大きな分岐はないので、登山口まで一本道。
のろのろ走って登山口に着いたらお昼少し前。
時々駐まって写真撮ったりしながらだったけど、11号線から登山口まで、1時間半くらい、かかってしまいました。
車だったら40分くらい?
さすがGW+お天気、登山口には先客の車が4台も路駐してありました。
ここ数年のGWは下界に戻るまで誰にも会わない独り山歩ばかりしてました。
登山口に車があるだけでも、なんか、うれしくなってしまいました。

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