黒森へ行こう!
はじめに登山口・ルート登ってみよう!メールホームへ
アクセス
国道・県道
一般道
林道
徒歩
下記写真の場所
危険・注意ほか
  

国道11号線・落出。
短い隧道の手前を右折します。
「滑川渓谷→」の標識が目印です。

1.5車線くらいの道を山へ入って行きます。
電光掲示板の道路情報も一応、チェック。



清流滑川沿いに南へ。

季節はちょうど曼珠沙華でした。



  

上弥助成地区にある面木山・郷地区入口(左)をパス。
右の木に「←面木山」の道標がぶら下がってます。
更に奥へ進むと-



ひときわ人家のある下仲屋地区。
対岸には廃校になった-

滑川小学校。

ちょっとお邪魔しました。

モデルははにわ?

校舎は工房として活用されているようで、右にはきれいなトイレがありました。
グランドにある区切りはゲートボール用かな。



  

正面に坂道が見えたら-

梅薮地区にある、九騎・黒森登山口への左折ポイントです。
道標とかないので注意してください。
※県道の先には発電所がありますけど、もし、発電所が見えたら行き過ぎてます。
引き返しましょう。

  

鋭角に左折します。
林道の奥で伐採作業が行われてる場合、
運搬トラックが降りてきます。
道が狭いのでカーブなど気をつけてください。



花に迎えられて九騎地区入り。

古民家には薪が山と積んでありました。

狭い谷間に並ぶ民家を左に、奥へ進んでたら、道のはるか上を-

木が飛んで行きました。



集落の端に林道九騎線の起点。

「林道 九騎線 起点
この林道は 幅員3.0m
延長0.7kmで…」



カーブにて、さっき飛んでた丸太が加工されてました。

※帰り見たらもうすっかり林が消えてました。



標高570mくらいになって、見晴らしも良くなりました。
黄緑な山肌は伐採済みな部分ですね。



舗装はここまで。

雨に路面が洗われてちょっとガタガタ道。



  

S字カーブを上がると急に草ぼーぼー。
ちなみに、登山口はまだ先です。
左の小径へ入ると、
尾根上の登山道までショートカットできたりします。
でも-

  

ショートカットは無視して、主登山口へ。
登山者の車しか入らないのか、この辺りから雑草が元気です。



登山口のある九騎峠。
林道にはゲートがあり、これ以上進めなくなっています。
作業小屋の後ろに登山口があります。
小屋の前は広くなっているので何台か駐められると思います。

ひとりごと

1時間ほどで登れる山を、と思って出かけました。
スクーターなので登山口まで1時間半くらいはかかったでしょうか。
車ならもっと早く着けると思います。

滑川はいつ来ても透き通った水がきれいで、せせらぎが優しくてほっとします。
前来た時は面木山に登った時です。
途中までは道(県道)が一緒なので。
実は滑川渓谷には行ったことが一度もなかったりするので、面木山への入口から奥は今回が初でした。

県道を奥へ進むと結構、家や畑があって驚きました。
もっと寂しい山のような、勝手な思いこみをしていたので意外な心地でした。
旧・滑川小学校の木造校舎が良い感じで、ついつい、寄り道。
昔は九騎の奥とかに鉱山があったり、林業も盛んだった頃には、たくさん住んでらっしゃったんでしょうね。
2階建ての校舎にも子供達の声があふれ、運動会やお祭りでは、グランドいっぱいに里人が集まったことでしょうね。

の九騎地区へ入る左折場所は、面木山入口にあったような道標などはありません。
ハンディGPSのおかげで素直に曲がれました。

九騎地区は数件の農家が残る谷間の集落。
番犬ものんびりお昼寝タイム。
集落を抜けるとすぐ、こだまするエンジン音が聞こえてきました。
谷に渡されたワイヤで丸太がどんどん空を飛んでます。
山仕事の皆さん、ごくろうさまです。
道に落下することはまずないと思うけど、とりあえず、頭上注意でさっと通過しました。

やがて砂利道に変わり、雑草が元気な場所ではそろそろと走って九騎峠へ。
舗装から先はガタガタ道や背の高い雑草がネックに感じる、山向きじゃない普通車の方はここまで乗り入れられないかな?
から急に雑草が増えるので、あれ?っと、ちょこっと不安になったりしました。
林道にはゲートがあるので行き過ぎることはないと思います。
作業小屋も目印です。

今日も山に入ったのは僕ひとり。
クモの巣もはびこり、しばらく、誰も来てないかのようでした。

九騎集落、九騎峠について「桜樹村の足跡」という本に載っていましたので引用させていただきます。

129 - 九騎峠と幕掛の大杉

 九騎、海上部落は昔滑川庄屋が明河庄屋に粟5石余斗で売ったという口碑がありますが昔は九騎峠は道前と北番地方との交流に重大な役割を果して居たのです。
九騎の起源に諸説あり、赤滝城の敗将9騎が隠れ住んだ。
また敗将9騎が自害した。
更に源氏の9騎が此処に馬を留め、峠に登り大杉に陣幕を張り源氏の幟を建て並べ赤滝落城の原因を作った。
などなどです。
その陣幕を張って陣屋のように見せ掛けたのが幕掛の大杉だといい、数百年の齢を重ね朝日の昇る時はその影を3里も先に投げかけていたと伝えられます。
御所は明治末期頃迄人家が点在し、編者の祖母の弟も一時居住しておりました。
大門、陣屋、馬の背などの地名があり、白滝という穂の木もあります。
峠の近くに悲話を残す鼓ヶ嶽と呼ぶ絶壁もあります。

御所と云う集落は九騎峠を鞍瀬側に下りた谷間にありました。

九騎峠

 此の峠の傍に樹齢数百年、その影は数里に及んだという大杉があった。
幕掛けの杉と称し源平の戦の時、源氏は赤滝城攻略に苦しんでいた。
その時年若い武将が従兵8騎を連れ峠下に馬を留め此の杉に陣幕を張り源氏の幟を立並ベた。
早朝それを見た平氏は最早是迄と腹を切って亡びたといい、その地を九騎とよび杉を幕掛け杉と称した。
また、一説に平氏の残党9騎が此の峠を越え峠下に定住し平家再興を願ったといわれ、現在でも九騎部落には9通りの異った氏姓が残って繁栄しております。
他の一説には親王を逃す為に9騎の武将が追って来る源氏の者共を此の峠で防ぎ、最後の一騎になる迄戦い力尽きて全員此の地に討死したので九騎と称するという説もあり、諸説に確証はありません。
ブログパーツ
     
inserted by FC2 system