明神丘へ | ||||||||||||||||||
①②③④⑤⑥⑦⑧ | ||||||||||||||||||
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①新田高校東側の踏切が変形交差点。
コンビニの角を東に曲がり-
路地の突き当たり、交差点からも見える距離に-
②常福寺があります。
左の車道を上った広い霊園に山頂(三角点)がありますけど、
取りあえず、お参りを。
山門をくぐって、また石段を登ったら-
屋根にブルーシートかぶせてる本堂。
合掌。
境内からの眺め。
興居島の小富士が町並みの奥に顔を覗かせてます。
本堂の左側から裏山へ。
境内の裏一面、墓地になってます。
③左の方へ進むと、山門前を左へ上る車道と出会います。
車道を更に登り-
④丘の上へ。
南北に横長な丘はずらーっと並んだ墓石に覆われています。
衣山や唐山のある、東の方の眺めです。
⑤明神丘の山頂に到着です。
さて、この写真のどこかに三角点が“隠れています”。
正解は-
この水汲み場の-
なんと、屋根の上!
「明神丘」四等三角点。
標高は、26.70mです。
三角点からのパノラマです。
(写真左から)大峰ヶ台・岩子山、垣生山・弁天山、
三津の町並み、興居島、太山寺丘陵。
三角点から更に北へ、車が入れない道幅に変わって-
⑥丘の北の外れに-
「藤原純友館跡」の碑があります。
近くに、下へ降りられる歩道があります。
狭い階段が-
民家の真横を巻くように下ってて-
すぐに車道に出ます。
振り返るとこんな感じ。
危険傾斜地扱いになってます。
すぐ目の前に久枝神社があります。
藤原純友館跡への案内図。
⑦久枝神社。
まるで道路に削られてしまったかのような三角形の境内。
入口にあるのが「藤原純友駒立岩」。
宮前文化遺跡を守る会 |
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藤原純友公 |
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貴族政治の腐敗と庶民生活への圧迫に抗して政治の改革を目指し立ち上った時代の先駆者であった。 |
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純友館跡 |
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久枝神社の南「大明神ヶ丘」にあったが、今はその跡をとどめない。 |
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駒立岩 |
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純友が駒を立て沖を見たと伝へられている駒立岩は現在地より西北30米の田の中にあったが土地造成中に埋没されていたのを有志の努力で堀り出され昭和51年3月にこの地へ移し復元されたものである。 |
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井戸跡 |
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久枝神社境内にあり純友が使用されたと伝へられる石枠は今もその名残りをとどめている。 |
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当所より東北約400米孀塚山々頂にあった。 |
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鬼塚 |
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東仙台西麓畑の中に在り、純友重臣の墓と伝へらる。 |
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藤原純友が使っていたという井戸。
護国神社にもある
その奥にぽつんと-
「藤原純友駒つなぎの松跡」
合掌。
社の右奥に-
もうひとつのお社、岡田十五郎神社。
地元縁の神社です。
神社の表の通りは、新田高の交差点からの延長で-
⑧出れば、国道437号線、久万ノ台から三津方面へ下ったすぐの大明神交差点。
ひとりごと | ||
久万ノ台の丘陵地は宅地に造成されて、山らしさはまるっきり失われてしまいました。 丘の北端には藤原純友の史跡が点在しています。 海音寺潮五郎の小説『海と風と虹と』は、藤原純友と平将門が主人公です。 そういえば、住友財閥の住友家は、純友の子孫だという話もあります。 久枝神社の史跡案内にある「 明神丘の三角点はとても変わった場所に設定されています。 |
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