砥部の岩谷山
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衝上断層と霊岩寺
国道・県道
一般道
徒歩
下記写真の場所
  

砥部町千足、砥部焼観光センターとコンビニがある、
国道33号線が三坂峠へと上ってく入口の丁字路。
近年、拡幅工事が行われ、信号も設置された丁字路を右折して、
国道379号線へと入ります。

  

左折して間もなく、砥部・広田を代表する、
(写真右)障子山から遠ヶ森の山並みが拡がります。
この近くにパン工場があり、焼きたての薫りがいつも鼻をくすぐります。



千足の丁字路から1kmちょっと。
道路右に砥部衝上断層があります。
ちょっと寄り道。

衝上断層周辺は親水公園になっています。
トイレやベンチ、遊具、遊歩道や東屋などが整備されています。
また、春になると-

公園いっぱいに桜が咲き誇る、お花見ポイントです。

再訪時はさくらんぼになっていました。

  

「断層位置案内図」

駐車場の北端から遊歩道を下り、砥部川に架かる橋を渡ります。

木製の吊り橋の真ん中から見られる-

上流(南)方向-

下流(北)、断層方向の眺めです。

対岸に渡って「衝上断層→」の方へ進むと、
木陰に解説板とスタンプ台があります。

砥部の里めぐり 陶街道五十三次」

二十二 砥部衝上断層

 1200万年~4000万年前の地殻変動によってできた断層。
古い地層が新しい地層の上に重なった珍しい逆断層で、砥部川によって洗い出され、露出している。
大正10年に発見され、昭和13年に国の天然記念物に指定。
地質学上貴重なため、日本全国から多くの人が見学に訪れている。

天然記念物『砥部衝上断層』

 砥部町内には、様々な地層や岩石が分布しています。
また、これらの中に、過去に起こった地殻変動を示すしゅう曲や断層なども見ることができ、さながら地質の標本室のようです。
 これらのうち最も有名なのは、砥部川の河床“かがす淵”付近にみられる中央構造線の露頭で、1938年(昭利13)5月30日に『砥部衝上断層』として国の天然記念物に指定されています。
ここでは、南から北に流れる砥部川を直角に横切る衝上断層を観察することができます。
この露頭は、西南日本を南北に二分する大断層、中央構造線の活動した時期について貴重な情報を提供しています。
 ふつう、天然記念物は一つの“物”を指すのですが、この『砥部衝上断層』の場合は、断層面が露出している“かがす淵”一帯が天然記念物に指定されています。



解説板からもう少し下ると、
堰のような小さな滝のすぐそばまで降りられます。

  

〈国指定1938(昭和13)年5月30日〉

天然記念物砥部衝上断層説明図

 古い岩石(砂岩、頁岩は中生代白亜紀)は6000万年前、新しい岩石(礫岩は新生代古代三紀)は4000万年前で、断層はそれより後に生じて新しい岩石の上に古い岩石が重なっている逆断層である。
その後1200万年前に断層面A-Bにそってマグマが貫入して新しい火成岩ができた。
砥部町内では新しい火成岩と同時期に噴出した火成岩が断層線を覆って分布している。このことから断層の生じたのは1200万年前から4000万年前の間であると推定される。
この貴重な証明をする断層が天然記念物として指定された。

図で示された、対岸にある断層が露頭した辺り。

でも、気になるのは滝の上の大きな甌穴。
真夏にゆっくり浸かってみたい気も…。

下の淵には大きな鯉が悠々と泳いでました。

こちらは渦巻き状に群れる小魚。

滝を下から。

滝の上にもうひとつ、橋が架かっています。
渡った先に石柱が立ってて-

「天然記念物砥部衝上断層」
古い字体で彫られてます。

公園を出て岩屋地区へ向かいます。
公園のすぐ先にY字路があって-



  

国道は右へ、目指す岩谷山は左の道へ入ります。

道沿いの民家の庭先や塀には風車がずらっと並んでいます。
ペットボトルで作ったカラフルな風車が、
春の風に勢いよく回っていました。



  

「岩屋」バス停のある丁字路を左折します。
「←霊巌寺」の看板も目印。

左の角には古い石柱。
「左 古岩谷山エ五丁 右廣田村総津エ四里」

畑と農家の間を奥へ、1km弱進めば-



  

再びY字路。
左折しますけど、正面には-

陶街道五十三次の幟と案内板。
「← 23 岩屋霊岩寺の厨子と須弥壇」

  

曲がればすぐ正面に霊岩寺の山門と、
その後ろに岩谷山が見えます。



霊岩寺に到着です。
岩谷山へは左の小径を更に進みます。
霊岩寺の門前の右側は駐車場。
お墓参りされる方のためにトイレも設置されています。
砥部の里めぐりのスタンプは門の前。

砥部の里めぐり 陶街道五十三次」

二十三 岩谷霊岩寺の厨子と須弥壇

 霊岩寺にある厨子と須弥壇は、県の指定文化財。
厨子内の薬師如来は、開帳法要以来、秘仏として扉を開けられることがなく、その損傷は激しかった。
昭和になり、東京からきた人物が夢に見た「薬師如来を修復すべし」という地蔵菩薩の夢告によって、大修復が実現した。

  

内へ入ってみました。
境内中央に「茶碗桜」という古桜があります。

木造阿弥陀三尊像

砥部町指定文化財

 霊岩寺は、正保二年(1645)に、浄土宗総本山・京都知恩院の末寺として開山され、地元では「岩谷さん」の愛称で親しまれている。
 砥部村郷土誌には、享保元年(1716)に本堂が建立されたとあり、また、御替地古今集には、もとは真言宗であったが、後に浄土宗に変わったとある。
 この寺に安置されている像は、桧一本造で、内刳り、さし首、玉眼であり、像高94センチメートル、像幅25センチメートルで、脇侍の観音菩薩立像と勢至菩薩立像と合わせ、阿弥陀三尊像と呼ばれ、江戸時代初期の作といわれている。
 薬師堂内には、室町期に創建された入母屋造の厨子及び須弥壇があり、県指定文化財となっている。

平成12年3月
砥部町教育委員会

霊岩寺の薬師堂内厨子及び須弥壇

愛媛県指定文化財
有形文化財(建造物)
昭和39年3月27日指定

 香石山霊岩寺は、正保2年(1645)に京都知恩院の末寺として開かれ、本尊は阿弥陀如来である。
 薬師堂内にある厨子は、白木唐様入母屋造りで、荘重感がある。
放射状に作られた垂木は誠に美しく技術の高さを思わせる。
また柱にはヤリガンナの跡が当時のまま残されている。
 昭和36年の解体修理の際、慶安四年(1651)の墨書が発見され、時代考証の貴重な資料となっている。
 また須弥壇は、江戸初期のもので、数条の溝が彫られ、鼓の形をなし、厨子と見事な調和をみせている。

昭和62年8月
砥部町教育委員会

正面の薬師堂の中にあるのが-

厨子と須弥壇です。

ひとりごと

岩谷山に登る前に寄り道したい、衝上断層と霊岩寺です。

衝上断層は公園になっていて駐車場にはいつも車が止まっています。
砥部の住宅街のすぐそばにある公園なので、朝に夕に、近所の人たちの格好の散歩コースになってます。
桜の咲く頃が一番賑やかできれいな公園です。
でも、いつも素通り、というか、駐車場から見下ろして終わりって感じだったんですけど、今回初めて断層まで行ってみました。
川の水が少なかったので、滝のすぐ側まで歩いて降りられました。
正直、素人目にはどこが断層で、どの層が古いのか新しいのか、さっぱりでした、あはは。
でも、滝のそばは川と一緒に下りてきたヒンヤリと潤った空気が流れていて、とっても心地よく、お弁当タイムには最適でした。

細かいことですけど、衝上断層の“衝上”は“しょうじょう”、公園の方は“つきあげ”と読みます。

霊岩寺は岩谷山の入口にある古刹です。
真新しい山門に比べ、少しこじんまりとした境内の正面には「茶碗桜」があります。
実は有名なサクラなんだそうですけど、初めて知りました。
薬師堂の中にある厨子は脇にある扉から覗かせてもらいました。
木造の厨子はお堂の中にあるせいか、小さく思えました。
阿弥陀三尊像ももうちょっと近くで拝見したかったなぁ。

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