古三津山・久万ノ台
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古三津山へ
距離 約230m
標高差 約70m
国道・県道
一般道
林道
徒歩
下記写真の場所
みかん畑

JR予讃線の踏切を渡り、100mほど進むと-

  

斜め右に別れる車道へ。



  

約50m入った丁字路を右折。

北へ上る坂道をえっちらおっちら。
住宅街は入口だけ、すぐに里山風景。



大池の土手を巡り-



  

住宅街から500m弱にある丁字路を左折します。



太山寺丘陵の東側は昔から水に乏しい地域。
灌漑用のため池が大小、あちこちに場所に点在しています。

分岐は広い方へ。

坂道が次第に急坂へ。
たまらず自転車を降り、押して上がりました。

左右を擁壁に囲まれたカーブを抜けたら-



山間から松山城が見下ろせる峠です。

こんな風に。



  

古三津山山頂はみかん畑のすぐ上(写真左)。
峠から東に少し下り始めたところにある、
写真のみかん畑から今回、登らせていただきました。

小屋の脇を通り-

  

左のモノラックのレールに沿って歩きます。

決してみかんの木を痛めないように。



  

東尾根へ。
北側斜面も一面、みかん畑で、
尾根ぎりぎりまで植わっています。
そちら側からも登ることができます。
山頂はすぐ左の森の中。
登ってきたみかん畑を振り返ると-

  

松山市街地方向のパノラマを目にすることができます。
残念ながら、皿ヶ嶺連峰などは、
靄のベールにさえぎられて見えませんでした

  

アップにしてみました。
写真左から、松山城、手前に北山・東山があって、衣山、唐山、大峰ヶ台、岩子山、弁天山の丘陵が島影のように並んでいました。

尾根を歩き、狭い植生境へ入り-

北側のモノラックのレールに出会ったり-

一番高い所のスプリンクラーの辺りから、
雑木林の中へ分け入ると-



古三津山山頂に到着です!

「国見峠」三等三角点。
標高は、126.83mです。

山頂は雑木林が濃いので、北尾根へ出れば-

  

古三津山が属する太山寺丘陵の頂点・経ヶ森が奥にそびえ、
北奥には堀江の海も見通せました。

帰りは船ヶ谷町側へ下りました。



平山池のほとりへ出たら、もう山道は終わり。

池の奥では水鳥たちが羽を休めていました。

「…不法投棄者はへ(屁)する」(^_^;)
“警察”、“通報”、赤ペンキの文字が消えて変な看板。

ひとりごと

古三津山という名前は地元でももう使われてないかも知れません。
明治に作られた地図や地誌だけに見られる古い名前だからです。

山頂直下の斜面はみかん畑に覆われています。
登山道がないため、一番登りやすいみかん畑を利用させていただきました。
みかん畑を通行する時は、農家の方がいらしたら必ず登山願いを申し出てから登るようにしています。
お山自体も他人様の土地ですけど、畑はもっとシビア。
不景気な昨今、出没してるみかん泥棒に間違われるのもイヤですし。

とはいえ、最初は上記で紹介してるのとは違うルートで登ろうとしました。
地図上では山頂のすぐ南まで小径が描かれていて、みかん畑を歩かなくても登れそうな気がしていました。
でも、そこはとうの昔に耕作放棄されたみかん畑跡地。
モノラックのレール沿いに登ってみようとしましたけど、雑木が混んで、苦労の割にほとんど高度を稼げませんでした。
そこで、一旦撤退し、みかん畑を登らせてもらいました。
さすが、手入れの行き届いたみかん畑。
雑木林に散散苦労してたどり着けた高度を数分で突破し、あっという間に尾根に立てました。

山頂はまた、雑木林の中。
地図に名前の載っていないお山は大抵、どこもそう。
でも、みかん畑まで下がれば見晴らし良好でした。

さて、明治頃、古三津山の東側は久枝村と呼ばれていました。
その頃は、柴山、本山、丸山、野津子山、大谷山などと呼ばれたお山もあったそうです。
山と云っても標高はいずれも25間~10間(45m~18m)。
詳細な記述がまったくされていないため、場所の特定はできていません。
そのほかにも、太山寺丘陵周辺には“失われた山名”がたくさん存在します。

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