古三津山・久万ノ台
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久万ノ台
国道・県道
一般道
林道
徒歩
下記写真の場所
見晴らしあり

久万ノ台交差点から。
国道437号線、と云うより、本町から三津の方へ行く大きな道の、
久万ノ台に上がる手前、伊予がすり会館がある交差点。
お! 先日行った姫原で見つけた“なぞのようちえん”、
花園幼稚園のピカチュウ号だ。

  

聖陵高校前の信号を渡り、
久万ノ台の住宅街へ。



へんろ道にもなってる裏道。

四角いため池、その名も桝池にあるお地蔵様。
少し先にあるのが-



成願寺。
右へ参道の坂を登った先に山門があります。

「 名称 萬景山 成願寺」
「伊予十二景 愛媛八勝十二景 景勝之地」

春、桜に染まる参道です。

車道までお花見客の車があふれてます。

  

「伊予十三仏霊場」案内図。
願成寺は伊予十三仏霊場の第13番です。



久万ノ台の丘の上に鎮座する願成寺の山門です。

真言宗・豊山派・萬景山・成就院・成願寺

本尊虚空蔵菩薩
一畑薬師如来ご勧請地霊場
伊予十三仏霊場第13番霊場
ご真言 おんばざらあらたんのう、おんたらくそわか

由 緒

当寺はその創立年代不祥であるが、伝説には奈良時代、行基菩薩この地に来錫の砌り、虚空蔵菩薩をここに安置されて庶民に教化を致し、成願寺と称したことにはじまる。
その後、源平等の戦いによる兵火にも罹り、宝永年間建立の本堂も腐朽し、新たに昭和59年、高祖弘法大師千百五十年御遠忌を記念し、新築建立されたものである。
又、平成11年3月には客殿庫裡を新築。
本尊虚空蔵菩薩さまは福徳最勝の尊主にて末世能救の薩たであります。
知恵と幸福を授ける十三詣り法要、また薬師堂には出雲国からご勧請の一畑薬師如来が安置され、眼病平癒の仏として霊験あらたか。
利益を授けられた人々は数多く、今も参詣者が絶えない。
又、人形供養のお寺でもある。
おつとめを終えた人形さん達に感謝をごめてご供養している。
その昔、松山城主加藤嘉明公は、当寺本尊に帰依を厚うし、築城の際、この寺を乾方面の守護仏と崇めて参詣四方の景観を讃美して、その節に萬景山の山号を賜った。
あとあと藩主松平(久松家)歴代の帰依は厚く、毎年正月4日の大勝院御禮式には松山城三の丸大玄関より登城して国土安穏尊体健康の守を献じる式法が継がれた由である。
しずかに群立する付近一体の孟宗竹は当地の名産で知られ、公園に点在する桜、つばき、つつじの数々は、見事に咲きほころび、展望台からは伊予小富士興居島、北条の鹿島、霊峰石鎚山が眺め、最近、松山市風致公園として整備され、市民のあこがれの散策地として親まれている。

伊予十二景・愛媛八勝十二景選定の地
松山市文化財指定天然記念物オオムラサキ(ツツジ)


境内の様子です。
本堂の左奥にある納経所・寺務所方面に抜ければ、
展望台のある久万ノ台公園に出られます。

オオムラサキと虚子の句碑。
「盛りなる花曼陀羅の躑躅かな 高浜虚子」

オオムラサキ 一本

松山市指定天然記念物
昭和49年6月14日指定

 この木の樹高は4.1メートルあり、円形傘状に張り出した枝の周囲は24メートル、樹盛旺盛で県内最大のものといわれている。
 葉は狭長楕円形で長さ6~9センチメートル、幅10~15ミリメートル、枝の先に集まって着き毛がある。
花は5月上旬、枝先に紅紫色の漏斗状のものを2~3個つける。
花冠は大きく径10センチメートルで五裂しており、雄しべは10本、雌しべは1本である。
 奄美大島、沖永良部島、琉球列島に自生しているリュウキュウツツジとケラマツツジが交配したものであるという説もあります。
 大輪で紅紫色の花が愛好家の目を惹き全回に伝わったといわれる。

松山市 松山市教育委員会


次は久万ノ台公園へ。
境内からも行けるけど-

  

一旦外に出て、お寺の壁沿いに回り込んでみます。
裏道みたいな小径が-

森の中に入ると遊歩道に変わります。



西高のグラウンドを左に見ながら北へ進み-

右のスロープ階段を上がると公園へ。
数m先にある左にある下り階段は西高の敷地に繋がっています。

スロープ状の階段をとことこ登ると-



久万ノ台山頂です。
山頂は公園になっています。
展望台やベンチ、トイレ、東屋などが整備されています。
写真右奥(南)に願成寺の裏口があります。
正面(東)にある木立の向こう側は墓地になっています。
普段は静かな公園ですが、お花見のシーズンになると-

途端にこの賑わいです!
酔っ払いさんも多数出現、焼き肉の匂いが春の風にたなびきます。

「久万ノ台遺跡」と書かれた柱。

「6世紀中頃の横穴式石室を
主体部とする3基の円墳があった。」

「ちくわ、一切れ、ちょうだいにゃ」

公園の北端にあるのが-

「久万ノ台公園展望台」

  

展望台からの眺めです。
久万ノ台は標高20mちょっとしかありません。
でも、周囲に高い建物がないので、結構、いい眺めです。
南側は公園の木が邪魔してるけど、北半分はよく見えます。
写真左端にある西校の校舎の右側に見えてるお山が、
これから向かう東山や北山です。

ということで、次、東山へ向かいます。

スロープ階段を下り戻って、北へ。



  

大きな道に出たら、左。



  

西校の駐輪所を左下に見ながら、
登った坂の上にある三叉路を右へ曲がります。
三叉路は坂を登り切ったところにあり、
この地点を地図で見ると山っぽく等高線が描かれています。
明治期の地図には“植松山”という山名が載っています。

  

曲がると急に住宅地。
真ん中の道を入って行きます。



急に広々とした所に出ます。
松山大学の久万ノ台グラウンドです。

  

野球部が一番利用してたりして。

最近舗装された並木道を進みます。



グラウンドの北端にあるのが馬場。

厩舎は近所の子供たちにも人気スポット。
道沿いにいる馬は今日は御機嫌斜めで顔を見せてくれません。

お墓側の馬はご機嫌さんでした。
呼んだら顔を出してくれました。

ひひーん。



車道に出たら右へ。



  

次の交差点を左折したら-

道が一直線に東山山頂まで続いています。

ひとりごと

本町方面から三津の方へ行く途中で出会う坂道が久万ノ台。
久万ノ台の“台”はお山地形の例えの一つです。

久万ノ台周辺は明治まで久万村と呼ばれていました。
当時の戸数は185戸。
田畑の合間に民家が点在する田園風景もいまでは宅地開発が随分進み、住宅街に変わりました。

見晴らし良好な久万ノ台の高台に建つ願成寺は景勝の地として古くから知られていました。
金亀の城と呼ばれた松山城や、城北の山並み、和気の海まで、見晴らせました。
いまは久万ノ台公園の展望台に登っても、海は見えず、足元に拡がるのは甍の波。
でも、街中のようにマンションが林立していない分、空は茫洋と拡がっています。

僕にとってこの辺りはあまり馴染みがなく、大きな道から一歩入るとどこもかしこも未知の場所でした。
裏道代わりに西高の側を通ったことがあるくらい。
後は、徹夜した夏の夜明け頃とか、自転車でデタラメに散歩してる時にたまたま迷い込んじゃったりとか。
久万ノ台グラウンドの厩舎も、適当に走ってた時に偶然見つけました。
こんなところにグラウンドなんかあったんだぁって、軽く驚きながら、気持ちのいい並木道を走り抜けたら、牧場っぽい柵。
小屋の窓から馬が顔を出してて、外をじぃーっと眺めてました。
まさか馬までいると思わなかったので、めっちゃ、うれしくて、10分くらい、立ち止まって見てたような気がします。
(見てただけじゃなく、多分、ぶつぶつ、話しかけてたかも)
夜明け間もない時間にもかかわらず、馬術部の部員さんが早朝からお世話してました。
手前勝手にサボるわけにはいきませんもんね。
特に動物相手では。

最近は、近所に気を遣って、鳴き声や臭いの関係で牛を飼う農家もすっかりなくなりました。
養鶏・牧畜関係は、みんな山の中。
馬なんて、乗馬クラブにいるのがせいぜい。
子供の頃は、“ロバのパン屋”って路上販売のパン屋さんがいて、屋台を黙々とひくお利口さんな白馬に逢えたけど。

あの夏にあった馬はいつまで経っても顔を出してくれませんでした。
先に来てた親子連れの、3才くらいの子供が一生懸命呼ぶんだけど、ダメ。
で、お墓の方にも窓があったので声をかけたら、そっちにいた馬は素直に顔を見せてくれました。
「こっち、顔出してるよ」って、親子連れに教えてあげたら、すぐに子供が飛んで来ました。
でも、いざ、間近で見ると馬って大きくて、ちょっとびびってました。

街と自然が同居してる久万ノ台。
いいところです。

住宅街は袋小路や迷路っぽいブロックもあるので、散歩はちょっと注意が必要です。

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