古三津山・久万ノ台
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東山・北山へ
距離 約250m
標高差 約40m
距離 約150m
標高差 約30m
国道・県道
一般道
林道
徒歩
下記写真の場所
送電鉄塔・アンテナ施設
みかん畑
行き止まり

東山の麓。
お山の手前で少し広い道の方は右へ曲がります。
東山山頂への道は一直線の登り坂。
まるで競輪学校の心臓破りの坂みたい。



写真の見た目より実際は急坂で、まるで壁のように立ち塞がります。

右上にそびえるアンテナ施設。

坂の途中、左のみかん畑の中を差す-

四電巡視路の案内杭。

  

坂の上から振り返るとこんな景色が眼前に拡がります。
高縄山・大月山をバックに、
堀江から松山城市街地にかけての山並みと町並み。



東山山頂部分に到着!
山頂には先に見たアンテナ施設のほか-

送電鉄塔がそびえています。
吉田浜北線No.39 吉田浜南線No.33

山頂を占めるのは松山市上水道三津配水池。
一番高いだろう場所は青いフェンスに囲まれ、
入ることができません。

「松山市上水道三津配水池」

青いフェンスの右に踏み跡があります。
フェンスをなぞるように奥へ進むと-



道は山頂から北へ遠ざかり、下り始めます。
北山へ通じる小径です。
さほど遠く離れてはいないので、
足を伸ばすのもおすすめです。

でも、今回はパス。
下山し、北山は下から登ります。

  

坂の下まで戻ったら、車道に沿って左へ。



  

突き当たりの丁字路は左へ。
道は次第次第に上り坂。



下池と泉池の境から、急に道幅が狭くなり、
みかん畑の農道に変わります。

正面の尾根は東山からの踏み跡がある尾根。

  

下池の上にある分岐は直進。

尾根に向かって上ると、
三角点の脇に立つ送電鉄塔が右奥に見えてきます。



  

尾根に着いたら、
西日を燦燦と受け止めるみかん畑が、
下に上に拡がっています。
写真右端にある分岐、直進の道を送電鉄塔に向かって登ります。

少し登ったところで、左上に、
北山山頂の茂みが見えてきます。



  

すぐに簡易舗装された農道の終点です。
左へ行くと山頂、右のみかん畑の中に送電鉄塔と三角点があります。

山頂へ行く前に、三角点を確認しに行ってみます。
送電鉄塔との間に三角点があります。

「北山」四等三角点、
標高は、57.36mです。

三角点のすぐ隣、古墳だろう跡がありました。
石棺状に石が長方形に並べられていました。

山頂は農道終点の目の前。
畑の縁、みかんの木の間を通って-



北山山頂に到着!
山頂には一本の木がそびえていました。

  

南東方面に開けてる、山頂からの眺めです。
すぐ前のお山がさっき登った東山です。
御幸寺山姫原丘陵から高縄山地へ連なる松山東北部の山並み。
東山の右に見切れているのは衣山・大峰ヶ台丘陵。

  

少し下って、北側の眺めを。
古三津山はすぐ隣です。
こちら側にも農道が山頂の真裏まで通じていますけど、
農園入口にゲートがあるので、利用しづらいです。

次は古三津山。
ひとまず、下に見える稲荷池のほとりまで下り、
県道40号松山東部環状線へ出ました。


  

の分岐まで戻り、右の農道へ。

狭い農道です。
地元車・軽トラ専用みたいな道ですので、ご注意を。



  

送電鉄塔の手前にある丁字路。

北へぎゅんと下る坂道を降ります。



稲荷池のほとりを通って-

  

県道40号松山東部環状線へ出ました。

古三津山は、桜ヶ丘側からと船ヶ谷町側からの二方向から登れます。
今回は桜ヶ丘側からアクセスするので、
左へ、三津・高浜方面へ進みます。



JR予讃線の踏切を渡ります。

JR三津浜駅は左折して1km弱。

ひとりごと

東山・北山はみかん畑です。
お山と云うより、丘のような姿。
ご近所さんが朝晩の散歩コースにするようなささやかなお山です。

東山の山名は明治期の資料にも登場します。
北山は三角点の『点の記』にも用いられています。

東山は、数年前の夏の朝、散歩の途中、偶然、登ったのが最初でした。
やっぱりその時も自転車で散歩してました。
山頂まで続く一直線の坂道を、手前から勢い付けて駆け上がろうとしましたけど、3分の1も登れずにダウン。
そこから山頂まで自転車を押して上がるのも一苦労でした。
その時は山の名前もなにも知らず、でも、標高低い割には眺めがいいお山だなぁと、好印象のまま、下りました。
数年ぶりに登って見えた景色はそれほど変わっていませんでした。
マンションが林立してどんどんと空が小さくなっていった街のなか。
それと比べたら、久枝地区は水田もまだまだ残ってるし、ほのぼのしています。

北山は途中までは登りましたけど、三角点とか山頂は今回が初めてでした。
前に登った時はスクーターでした。
山道とか抜け道が好きな質で、知らない道があるとどこに通じてるのか知りたくなってしまう性分。
山を越えて三津方面へ行ける道があるんじゃないかと半ば信じて農道を上りました。
でも、お山の西側へ下れる道はありませんから、来た道を引き返し(Uターン大嫌い)、下道から三津方面へ向かいました。
お山なんかに興味が全然無かった頃のことでした。

久万ノ台に続き、この東山、北山界隈にもたくさんの古墳が眠っています。
発掘時の痕跡はほとんど残ってないんですけど、北山の三角点の隣には石棺があったらしい跡が残されていました。
北側にシキミが供えられていました。
松山市内の丘陵地には大抵、古墳があります。
道路工事でも、住宅団地開発の造成工事でも、地面を掘り返すと何かしら見つかります。

それらの遺跡は“埋蔵文化財”と呼ばれます。
土器なんかが出てきた場合、文化財保護法の規定に基づき、県教育委員会への届出が義務づけられています。
更に、「原因者負担」というルールがあって、調査の費用は開発側が負担する決まりになっています。
工事・開発してたのが民間業者や個人だったら、その民間業者や個人が費用を負担しなければなりません。
おまけに、調査が完了するまで工事はストップ。
だから、土器が出てきても知らん顔しちゃう人や会社もあるみたいです。
ホントのところ、何が何でも全額、調査費を負担しなければならないというわけではありません。
自治体が費用を負担して調査を実施することもあるみたいです。
でも、古墳なんて、特に松山みたいな昔っから住みいい場所は、どこ掘ったって勝手に出てきます。
勝手に出てきちゃうのに「原因者」って表現もなんか変ですよね。
原因者負担なんてルールを続けてたら、歴史上の大発見さえ抹殺されてしまう恐れもありそう。
埋蔵文化財は国の宝。
国が全額負担したっておかしくない気がします。
天下りした老人たちに何千万も退職金を支払うのに比べたら、よっぽど国益になると思うんですけど。

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