恵良山・腰折山
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腰折山 山頂へ
距離 約0.5km
標高差 約150m
一般道
林道
徒歩
下記写真の場所
注意など

腰折山の南麓に建つ番外霊場「鎌大師」からスタート。
お寺の前のすぐ北の-

分かれ道から登山道が始まります。
左は車道沿いに、右は墓地を抜けて、どちらからでもお山に登ることができます。

イヨスミレ

市指定史跡

所在地北条市下難波腰折山

指定 昭和57年8月11日

松山市の梅村甚太郎氏が明治31年4月17日発見、牧野富太郎氏がイヨスミレと命名し発表したものである。
ところが、山の樹木繁茂とともにその姿を消し、幻の花と言われてきた。
しかし、昭和56年山火事にあい、焼け跡から翌年再びこのイヨスミレを湯山勇氏夫婦が再発見されたのである。
イヨスミレは中国東北地区から朝鮮半島にわたる北方大陸産のフィリゲンジスミレに最も近遠の植物である。
前川先生の言をかりれば、日本のゲンジスミレは二つの系統がある。一つは長野県に産する満洲など大陸系のものと、もう一つは朝鮮半島系のものがあり、イヨスミレは朝鮮半島系と言われる。
満洲、朝鮮を南下して氷河時代に日本に分布していたゲンジスミレのうち腰折山に生き残ったイヨスミレ、同じくエヒメアヤメと人家近いこの山に二つも残留植物の存在していることは興味深いことである。

北条教育委員会

エヒメアヤメ自生南限地

所在地 北条市下難波腰折山
指定 大正14年10月8日(国指定天然記念物)

こかきつばたの名でこのように歌われた腰折山のかれんな花は「こかきつばた」とは別種の牧野博士が命名したエヒメアヤメである。  エヒメアヤメは、アヤメ科の植物であって、根茎はやや偏平で細くやせ形、葉は線形で薄く、葉長は10cm~15cmが普通である。
陽春4月上旬を開花期とし、数cmの高さの花軸に普通1花を、時に2~3花を咲かせる。
花色はうすい紫色で外花蓋には黄白色のはん点を持っている。
元来大陸北部に分布する植物で、我国では中国、九州、四国の瀬戸内海に沿う各地に生育し、古書に「たれゆえそう」と名づけられたと記録されている。
腰折山はその南限地として世に知られ、古くからこの花こまつわる哀れを民話とともに、「こかきつばた」の名で親しまれてきたのである。

一茶の道

俳人小林一茶がこの風早の地を訪れたのは、寛政7年(1795)旧1月13日のことでした。
「寛政七年紀行」により、その様子を知ることが出来ます。寛政7年、観音寺の専念寺(五梅法師)で新年を迎え正月8日に寺を出て松山へと向ったのです。
「松山の十六日桜を見るために」と記されていますが、本来の目的は師茶来(俳号。月下庵茶来又は竹宛とも称した。文淇禅師という高僧)や、当時既に全国的に知られていた竹阿の遺弟である松山の俳人栗田樗堂に会うことであったと言われます。
その茶来が住職をつとめていたのが風早上難波村の西明寺(現最明寺)です。
そのときのことを、次のように記しています。

十三日 槌□(樋口)村などいへる所を過て七里となん、風早難波村、茶来を尋ね訪ひ侍りけるに、巳に十五年迹に死き(と)や。
後住西明寺に宿り乞に不許。
前路三百里、只かれをちからに来つるなれば、たよるべきよすがもなく、野もせ庭もせをたどりて朧くふめば水也まよひ道、百歩ほどにして五井を尋当て、やすやすと宿りて
 月朧よき門探り当たるぞ
十四日 十丁程、八反地村、兎文に泊る
 門前や何万石の遠がすミ
哥仙満巻して
十五日、松山、二畳庵に到る

一茶の来遊170周年を記念して、昭和39年1月、ゆかりの地に句碑を建立し、また鴻の坂から門田邸にいたる一茶がたどったであろう道を、「一茶の道」として、道標などの設置をしました。

風早一茶の会



浅海へ抜ける、国道196号線の裏道的な車道に沿って、
坂道を登ると登山口があります。

角に「エヒメスミレ→」の案内がある小径を登ると-



終点にテントが一張りありました。
エヒメアヤメの監視員さんが詰めてらっしゃいます。
エヒメアヤメやイヨスミレの保護活動をされてる方々です。
テントで名前と住所を記入したら-

テントの脇の踏み跡から入山します。

細い踏み跡をたどり登ると、やがて林が途切れて-



ぱっと視界が開けます。
「天然記念物エヒメアヤメ自生南限地」です。
辺りはきれいに笹が刈り払われて視界も良好です。

振り返るとこんな斜面を
えっちらおっちら登っていると、
点在する-

エヒメアヤメに出会えます。
普通のアヤメに比べてとても小さく、
紫の可憐な花を咲かせていました。

丸太のベンチで一休みすると、こんな眺めが拡がっていました。
高縄山から鹿島が浮かぶ海までの間に、
緑の絨毯と家並みが混ざる箱庭のような風景を楽しめました。



自生地から再び林の中へ。
背の高いササが生い茂ってます。

樹肌に黄色いキノコ。



林の中で、目印の紐が結ばれた枝がありました。
よく見ると右に道が分かれていました。
岩場への分岐のようです。
ちょっと、寄り道してみました。

少し下り気味に道をたどると-



間もなく、崖下の様な場所に着きました。

岩屋のようにオーバーハングした岩壁を
よーく見ると-

ロッククライミング用のホールドやボルトが残されていました。

岩壁の横には直登するルートもあるようです。
イヨスミレ保護の方が教えてくれたルートはこちらでした。
でも、ちょっと荒れ気味で、危なっかしそうなので、
さっきの分岐へ戻り、主登山道を登りました。



山頂に近づくにつれ、
元気になるササをかき分けて進めば-



腰折山山頂に到着です!

でも、ここもササとカヤが元気すぎてました。
三角点も埋もれてました。
東の端っこに行ってみると-

お隣の恵良山がますます尖ってみえました。

ひとりごと

帰り道、自生地の一角で、イヨスミレの手入れをしていらっしゃるおじいさんと少しお話をしました。
ベンチに腰掛け、温暖化の影響か、エヒメアヤメの株数もどんどん減ってること。
エヒメアヤメやイヨスミレを食べる害虫がいるお話など。
ここから見えるお山のお話なども聞かせていただきました。
登山口に監視小屋(テント)があるのも、心ない花盗人が出没するからだそうです。
高山植物を盗掘してるような連中も盗みに来るみたい。
道端に咲いてるタンポポやスミレをむしり採るのと同じ感覚で採ろうとする普通のおばさんたち方がいるんだそう。
おじさん曰く、罪悪感がない分、質が悪いとも。
スミレ自体がとっても小さな花なので、どこ?どこ?と、探し回るうちに実はどんどん踏み荒らしてたり。
だから、入口で記帳・説明しないとダメなんだっておっしゃってました。
ササを刈ったり、柵で囲ったり、丸太のベンチを置いてくれたり、ボランティアで大変ご苦労されてます。
スミレ、アヤメの観察や登山時には、自生地ではなるべく踏み跡を外さないようにしましょうね。

スミレから上は、ちょっと荒れてる感じでした。
あまり、登山者がいないみたいです。
子供の頃から見てた腰折山に、ついに登ることができました。

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