へ行こう!
腰折山 山頂へ | |||||||||||||||||||||||||
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨ | |||||||||||||||||||||||||
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①腰折山の南麓に建つ番外霊場「鎌大師」からスタート。
お寺の前のすぐ北の-
分かれ道から登山道が始まります。
左は車道沿いに、右は墓地を抜けて、どちらからでもお山に登ることができます。
イヨスミレ |
市指定史跡 |
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所在地北条市下難波腰折山 |
指定 昭和57年8月11日 |
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松山市の梅村甚太郎氏が明治31年4月17日発見、牧野富太郎氏がイヨスミレと命名し発表したものである。 |
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北条教育委員会 |
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エヒメアヤメ自生南限地 |
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所在地 北条市下難波腰折山 |
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こかきつばたの名でこのように歌われた腰折山のかれんな花は「こかきつばた」とは別種の牧野博士が命名したエヒメアヤメである。 エヒメアヤメは、アヤメ科の植物であって、根茎はやや偏平で細くやせ形、葉は線形で薄く、葉長は10cm~15cmが普通である。 |
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一茶の道 |
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俳人小林一茶がこの風早の地を訪れたのは、寛政7年(1795)旧1月13日のことでした。 |
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十三日 槌□(樋口)村などいへる所を過て七里となん、風早難波村、茶来を尋ね訪ひ侍りけるに、巳に十五年迹に死き(と)や。 |
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一茶の来遊170周年を記念して、昭和39年1月、ゆかりの地に句碑を建立し、また鴻の坂から門田邸にいたる一茶がたどったであろう道を、「一茶の道」として、道標などの設置をしました。 |
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風早一茶の会 |
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②浅海へ抜ける、国道196号線の裏道的な車道に沿って、
坂道を登ると登山口があります。
角に「エヒメスミレ→」の案内がある小径を登ると-
③終点にテントが一張りありました。
エヒメアヤメの監視員さんが詰めてらっしゃいます。
エヒメアヤメやイヨスミレの保護活動をされてる方々です。
テントで名前と住所を記入したら-
テントの脇の踏み跡から入山します。
細い踏み跡をたどり登ると、やがて林が途切れて-
④ぱっと視界が開けます。
「天然記念物エヒメアヤメ自生南限地」です。
辺りはきれいに笹が刈り払われて視界も良好です。
振り返るとこんな斜面を
えっちらおっちら登っていると、
点在する-
エヒメアヤメに出会えます。
普通のアヤメに比べてとても小さく、
紫の可憐な花を咲かせていました。
丸太のベンチで一休みすると、こんな眺めが拡がっていました。
高縄山から鹿島が浮かぶ海までの間に、
緑の絨毯と家並みが混ざる箱庭のような風景を楽しめました。
⑤自生地から再び林の中へ。
背の高いササが生い茂ってます。
樹肌に黄色いキノコ。
⑥林の中で、目印の紐が結ばれた枝がありました。
よく見ると右に道が分かれていました。
岩場への分岐のようです。
ちょっと、寄り道してみました。
少し下り気味に道をたどると-
⑦間もなく、崖下の様な場所に着きました。
岩屋のようにオーバーハングした岩壁を
よーく見ると-
ロッククライミング用のホールドやボルトが残されていました。
岩壁の横には直登するルートもあるようです。
イヨスミレ保護の方が教えてくれたルートはこちらでした。
でも、ちょっと荒れ気味で、危なっかしそうなので、
さっきの分岐へ戻り、主登山道を登りました。
⑧山頂に近づくにつれ、
元気になるササをかき分けて進めば-
⑨腰折山山頂に到着です!
でも、ここもササとカヤが元気すぎてました。
三角点も埋もれてました。
東の端っこに行ってみると-
お隣の恵良山がますます尖ってみえました。
ひとりごと | ||
帰り道、自生地の一角で、イヨスミレの手入れをしていらっしゃるおじいさんと少しお話をしました。 スミレから上は、ちょっと荒れてる感じでした。 |
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