風早平野の北側にそびえる恵良山、腰折山は旧北条市民に親しまれているお山です。
恵良山は烏帽子型、腰折山は文字通り腰が曲がったような姿でとてもかわいいお山です。
恵良山山頂の恵良山神社には、白山権現が祀られ、古くから信仰対象のお山でもありました。
山頂には河野氏が築いた恵良城跡があります。
恵良城は、平安時代末期に伊予を支配した豪族河野氏が築いた城です。
1181年、源平合戦にまつわる争い辺りから記録に登場します。
しばらく河野氏諸将の居城となっていましたが、豊臣秀吉の四国平定後、来島氏の居城となりました。
程なく、来島氏は関ヶ原の戦いで西軍についたため移封され、恵良城は廃城となりました。
鹿島がその昔、鹿島山という名前で、恵良山、腰折山と並んでいました。
ある日、海寄りにある新城山が、誰が一番強いかと言い出しました。
恵良山を行事に、鹿島山と腰折山は相撲を取りました。
なかなか勝負がつかなかったけれど、えいっ!と腰折山は鹿島山を海に投げとばしました。
そうして、海に落ちた鹿島山は鹿島になりました。
負けて怒った鹿島山は、腰折山に岩を投げつけました。
痛っ!
腰折山は腰が折れてしまい、ずっと、腰を曲げたような形になったのでした。
(別の説では、負けそうになった鹿島山が最後に蹴りを入れ、そのせいで腰が折れてしまったそうです ^ ^)
お山が相撲を取る話はよくあります。
八ヶ岳は、負けて逆ギレした富士山が投げた岩で砕けて八つになったそう…。
お山同士の相撲って、過激です。
恵良山には松山市の天然記念物イブキビャクシンがあります。
腰折山はイヨスミレや国の天然記念物エヒメアヤメの自生南限地となっています。
特にイヨスミレやエヒメアヤメは地元有志が監視・保護活動を行い、手厚く守られています。
正岡子規が
「小包にこかきつばたのしほれたる」
と詠んだエヒメアヤメは、4月上旬に小さな紫色の花を付けます。
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