へ行こう!
金毘羅山公園へ | ||||||||||||||||||
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩ | ||||||||||||||||||
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①国道33号線、三角交差点。
最近、立体交差化された拾町交差点から700mほど久万方面へ進んだ、
押しボタン式信号の交差点です。
角にファミレスのジョイフル。
田ノ浦方面へ左折します。
曲がってすぐの角にはいろんな道標。
「新四国曼荼羅霊場第47番 理正院 伊予十三佛霊場第12番 →」
「水満田古墳公園 あと500m →」
「田ノ浦町民広場 →」
目前にあるのが-
②東向山理正院です。
古墳公園や、歩いて金毘羅山公園に登るなら、
写真左の道をもう少し奥に進みます。
お寺を参拝、合掌。
今回は、山頂まで農道を上がります。
お寺の前を右へ曲がり、民家の横を抜け-
③次の小さな丁字路を左に曲がり-
観音堂の建つ霊園の入口へと上がります。
④観音堂の前を通り、墓地を抜けて行きます。
左は金毘羅神社への参道で、
観音堂の前に大きな一対のイヌマキの木があります-
イヌマキ |
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イヌマキは、山林によく生えるマキ科の常緑高木で庭木や生垣によく使用されています。
なお、この木の傍にある観音堂は、山号竜池山、本尊は木造の観音像で、郡中西国26番法華寺播磨国と誌されています。 |
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平成3年3月 砥部町・砥部町教育委員会 |
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⑤霊園を上がり詰めた所で右折。
「金毘羅山公園 水満田古墳公園 →」の道標あり。
⑥道沿いはみかん畑で、視界を遮る高木もないので、
ちょっと上っただけでこんなに視界が広がります。
道が狭いので、見惚れて脱輪したり、
対向車にクラクションを鳴らされたりしないよーに。
⑦送電鉄塔のある、またまた見晴らしの良い左カーブ。
道端に「標高100m海岸より」の杭が隠れています。
⑧山の上に出るとまず、
上水道施設、麻生配水池の大きな貯水タンクに出会います。
山頂部はもう先に見えています。
みかん畑の中を通ってくと、すぐ-
⑨金毘羅山の山頂付近です。
三角点とか丁度いい目印はありません。
丁字路になっています。
右に曲がれば水満田古墳公園、左に曲がれば公園(広場)と駐車場です。
案内図があります。
この丁字路を境にふたつの公園に分かれています。
ここからは-
こんな具合にパノラマが拡がります。
拡大すると-
北の方を見渡せば、松山市街地の向こうに少し海も見えて、
東の方へ視線を移動すれば高縄山系の山並みがずらりと一望。
東から南にかけては、雪を頂いて白く輝く石鎚山系から東温アルプス、
三坂峠を挟んで黒森山、旧広田町の山山へと連なる山塊が見渡せます。
視線を下げれば道後平野南部の田園風景や、急速に宅地化が進む砥部の町。
丁字路を左へ、駐車場を兼ねた公園の方へ下ってみます。
⑩公衆トイレや東屋などがあります。
この公園周辺は春になると多種の桜がそれはもう咲き誇りまくります。
右には石碑と句碑があります。
大森彦七由来之碑 |
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大森彦七は南北朝における伊豫の豪族である。 |
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昭和58年春 砥部町 |
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山峡に |
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桜がいっぱい植えられてる南斜面から望める風景です。
訪問当日は冬だったので、花はなかったけど、
視界を遮る葉もない分、遠く近くがよく見えました。
ひとりごと | ||
松山のすぐお隣、砥部町の入口にあるお山です。 砥部にはちょこっと登るだけで景色の良い場所がたくさんあります。 車で上ってしまうと楽です。 次は、その古墳公園へ行ってみましょう。 |
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