へ行こう!
大森山へ | |||||||||||||||||||||||||
①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪ | |||||||||||||||||||||||||
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①林道だらり線の起点に戻り、
県道56号線を再び、上ります。
②左カーブで泉谷の棚田まで下れる道、発見。
帰りはここを下った方が近道だったりします。
③泉ヶ峠に到着。
右の砂利道は、耳取・石上峠や大迫山、
京の森へ尾根伝いに向かう林道です。
カーブを曲がれば-
「大洲市」の標識があって、右の土手には-
宿間へ向かう「坂本竜馬脱藩の道」の階段があり-
旧泉ヶ峠から下ってきた脱藩の道が県道と合流する場所です。
ちなみに、この脱藩の道をここから東へ歩いても大森山へ行けます。
登山口まで1kmもかからず、高低差もさほど無いので、
ハイキングのつもりで歩くのも楽しいかも。
脱藩の道についての解説があります。
坂本龍馬脱藩の道 |
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泉ヶ峠 |
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文久2年(1862年)春、土佐の郷士坂本龍馬は、風雲急を告げる時局を洞察し、自らの使命を自覚するや、決然として土佐を脱藩した。 |
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平成19年3月 |
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河辺坂本龍馬脱藩の道保存会 |
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④峠からずっと下り。
河辺町の山鳥坂へ下る分かれ道がある場所からは、
これから登る大森山のほか、町木山、高森山など、
河辺町の山山が見えました。
⑤大森山へ行く林道入口です。
地図上の接点より、さらに下ったカーブにあります。
左折するその角に-
また「脱藩の道」の案内。
⑥道なりに進めば石城峠、日除地区へと至る三叉路。
左折します。
丸い案内には、「行き止まり(国営パイロットファーム)」とあります。
その行き止まりがすなわち、大森山の登山口です。
なだらかな道を行くと-
⑦農場に到着します。
車道はもう少し奥まで続いていますけど、
後から写真のように車が来ちゃうと出られなくなるので、
農作業の迷惑や邪魔にならないところに駐車しましょう。
脱藩の道は、写真右から来て右折し、左奥の道へ、消えて行きます。
訪問時、ラジオが大音量で農場中に響き渡っていました。
ハウスを左に見ながら砂利道を登ります。
ハウスを覗いたら、トマトがいっぱい実っていました。
⑧農場から一段高い場所は雑草生い茂る広い空き地でした。
砂利道は空き地に沿って右へカーブして行き、
また脱藩の道の案内が現れました。
V字分岐の脱藩の道を登り、
森の中へ入って行きます。
V字分岐の右の階段で登っても-
V字分岐の左の坂を歩いて-
実はすぐに合流。
お好きな方で。
脱藩の道はよく踏み固められ、雑草に覆われてもいず、
明瞭で歩きやすいです。
尾根に沿って歩いていると-
?な小屋があったり-
白いキノコがむにゅむにゅいっぱい生えてた。
⑨脱藩の道は尾根から左にそれて行きます。
脱藩の道と別れ、尾根を直進します。
脱藩の道から離れた後は踏み跡程度です。
枝に刺さった空き缶が目印のようにあったり-
とても古い墓石があったり。
明治以前、この辺りは土佐往還で賑わっていたので、
その頃の建てられたお墓でしょうか。
⑩段々と踏み跡が不明瞭に。
そしてとうとう、踏み跡も消えてしまいます。
踏み跡の終わりには、アンテナがありました。
山頂を目前にしてヤブに塞がれます。
歩きやすい、ヤブの薄い場所を選んで突破して下さい。
左(北。内子側)から回り込むのが楽かも。
道はないものの、ピンクリボンが-
ふたつほど、ヤブの中に見つかりました。
ヤブは一見、濃いようでもすぐ終わります。
⑪ヤブを抜けたら、境界の石柱がありました。
「河辺」の文字がありました
ふと、目を上げたら数m先に-
三角点発見!
大森山山頂に到着です!
「三久保」三等三角点。
標高は、729.11mです。
山頂の様子です。
山頂部はこのようになだらかに広いので、
季節によっては三角点探しに苦労するかも。
人工林が混んでて展望はありません。
一部、北東方向に-
窓のような空間があって-
アップにすると、久万方面の山並みが霞んで見えました。
桂ヶ森、石墨山、そして堂ヶ森まではかすかに見えました。
石鎚山は輪郭がぼんやりですけど、
肉眼では見えました(カメラでは撮れませんでした)。
ひとりごと | ||
だらり権現を降り、泉ヶ峠へ向かった時はすでに午後2時半。 龍馬脱藩の道として有名な泉ヶ峠。 泉ヶ峠から大森山まで、脱藩の道を歩いても行けます。 僕は昔、龍馬ファンでした。 大森山の登り口にあった、ビニルハウスがいっぱい並んだ農場にはちょっとびっくりしました。 大森山の登山道は地図にも載っておらず、ヤブこぎ必死!?かと覚悟してました。 大森山も登り終えた後、予定ではさらに東進し、鎧掛山も登り、小田へ抜けて帰るつもりでした。 だらりへは下らず、途中から泉谷へ下りました。 |
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