垣生山山頂の様子です。
なだらかな山頂は公園に整備されています。

展望台です。

  

展望台からの眺めです。
道後平野南部が一望できます。

工場地帯の端っこにぽつんとある忽那山。

興居島の小富士。

  

手前から大峰ヶ台、松山城、杉立山、明神ヶ森。

目指す弁天山の山頂もちらり。

山頂に小さな祠があります。

埴生山城の由来

築城年代は不明
城主は、河野家代々の重鎮 埴生氏であった。
 最後の城主は、埴生加賀守盛周。
 天正13年9月、豊臣秀吉の四国征伐のさい、道後湯月城主、河野通直が降伏し、よって埴生氏も城を明け渡した。
治めていた地域は、高岡、富久、久保田、吉田、今出の周辺。
現在の垣生の地名は、埴生氏からつけられたもの。
その後の、垣生山やその周辺(大阪ソーダと帝人のあいだ)は、お鷹場とされていた。

東屋でひと息。

西尾根に立つ送電鉄塔で作業が行われていました。
た、高っ!

北側のベンチセットの辺りに、
津田山・弁天山へ繋がる尾根道の入口があります。

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