八幡山・作礼山・歓喜寺山
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八幡山から伊加奈志へ
距離 約200m
標高差 約40m
距離 約600m
一般道
林道・農道・私道
徒歩
下記写真の場所
送電鉄塔・アンテナ施設
見晴らしあり
  

国道317号線を右折し、蒼社川を渡り、向こう岸へ。
今回は玉川町法界寺地区にかかる新永代橋を渡りました。
目印はタオル美術館の案内看板や-

「仙遊寺 右折3km→」の案内。
八幡山にあるお寺は、仙遊寺の一つ前の札所、栄福寺。

新永代橋から下流、今治市内方面の眺め。
土手沿いの桜はまだ咲いてなかったけど、
ふくらんだつぼみでほのかにピンク色に色づいていました。

  

八幡山・栄福寺は信号交差点を左折します。

仙遊寺は直進、農免農道へ。



今治と玉川を結ぶ蒼社川東岸の道路は最近、
どんどん拡幅されてて国道並みにいい道になってます。
広くなった道を進むと正面に八幡山。
載せてる送電鉄塔が大きく見えるくらいの標高です。

谷山川に架かる別所橋は掛け替え中でした。
左折し-

蒼社川に比べれば小川のような谷山川沿いに。



  

左折してから430mほどの距離にある-

一本橋を渡ります。
そのまま、直進すれば-



  

栄福寺の参道口に着きます。
右の角にはお遍路グッズを売ってるお店-

参道は左に曲がります。
道しるべの石碑が路肩に並んでます。
坂道を100m足らず上ったら-



  

栄福寺の入口(右)です。
一段下には駐車場(有料)があります。
八幡山の登り口はまっすぐ、
軽トラが駐まっているところですけど-

まずは、栄福寺へお参り。



お遍路さんがひっきりなしに訪れる、
四国霊場第57番札所 府頭山無量寿院 栄福寺の境内です。
写真右から納経所、金毘羅大権現堂、薬師堂、
一段上がって大師堂、そして本堂、
参道をはさんで写真左端に鐘楼。

合掌。

遍路バスが到着する度にお遍路さんが団体でやってきました。

お参りも済ませたので、お山歩へ。


車道へ戻り、坂の奧へ。

石段が山の上へまっすぐ続いています。



鳥居をくぐり-

まだまだ続く石段をえっちらおっちら-

登り詰めれば-



石清水八幡神社の広々とした境内に出ます。
向い側にも石段があり、右(南)の方には、
鳥越峠からの車道が繋がっています。
その向かい側の柵に行って見ると-

  

今治市内やしまなみ海道も見通せて、
標高の割に見晴らし抜群です。

石清水八幡神社にお参り。

二礼二拍手一礼、合掌。

八幡山山頂はお社の真裏。
お社の左側、小社の脇から杜へ。

  

左下へ下る踏み跡はあるものの、
山頂へ登る道はありません。

雑木の少ないところを選んで適当に登ります。
杜に覆われた山頂部分は、
岩が露頭してごつごつした雰囲気。

※神社さん側の意見として、
山頂部分は立ち入って欲しくない場所のようです。
境内から数メートル高いだけで、
目新しいものは特になにもありません。
できる限り、ご遠慮下さい。



岩の合間に小さな祠がいくつも並んでいました。
その奧が-

お社の真後ろ、一番高いところが八幡山の山頂です。
ご覧の通り、雑木だらけです。


  

小社の裏の降り口へ戻り、
右下へジグザグと下ると-

  

広めな小径に降り立つことができました。
この道は送電鉄塔の巡視路で、
左に行けば神社の階段の途中に通じ、
右に進めば-



送電鉄塔が道端にそびえています。

「今治線No.62」

巡視路を北へ。



配水施設を囲むフェンスをなぞるように道が曲がります。

奧の角に分岐がありました。

八幡神社の東側に通じる道だけど、
荒れてて使われてないみたい。

角を左折し、フェンス沿いに行くと、
まっすぐな下り坂になります。

雑木林の中の下り道。
お山の周りは田畑だらけだし、国道からも遠いせいで、
森の中は深山のようにとっても静かです。
だから、鳥たちの思い思いのさえずりがとっても賑やかです。



  

八幡山の北端は飛び出しているので“五十嵐(いかなし)の鼻”と呼ばれています。
その付け根部分に当たる場所で巡視路と小径が左右に分かれます。

63番鉄塔への巡視路は左へ。
今回はパスして-

右の小径へ。

尾根を左上に見ながら木立を歩けば-



伊加奈志(いかなし)神社の裏に出ました。

伊加奈志神社は越智郡式内七社のひとつで由緒古いお社です。
でも、スケール的には石清水八幡神社に負けてる感じ。
三角点はお社の右奥にある小径を、五十嵐の鼻の先まで行くと出会えます。

正面の石段から、東麓へ一旦、下山しました。

急な石段は手すり完備。

見えてきた田畑がまるで草原みたい。



鳥居の前は田畑の合間に農家が点在する、のどかな農村風景。
鳥居に小石を載せて運試しや願い事をする風習が無い地方も多いようですね。

狛犬さん、吽(うん)と-

阿(あ)。
尻尾がトウモロコシみたい。

参道を正面から見るとこんな感じです。

前の道を右へ進み、石清水八幡神社の東側の参道まで戻ります。
空が広くて気持ちがいいです。

農家の脇で看板を見かけました。

「この土地 売らない 地主」
今治小松自動車道絡みの用地買収でしょうか。



桜が咲いた、石清水八幡神社の東側の参道に着きました。

ひとりごと

久しぶりの今治山歩です。
前回は確か、竜王山と、山火事後で真っ黒に煤けてた笠松山でした。
冬の水ヶ峠をスクーターで越すのが億劫で、暖かくなるまで様子見していました。
以来、半年ぶりの今治シリーズです。

八幡山は栄福寺をランドマークに目指せば迷う心配はありません。
栄福寺はお遍路の案内看板、シールも辻辻に多数あります。
“八幡山”は地元の人も知らなかったりするかもしれないけど、「栄福寺へ」って尋ねれば教えていただけると思います。

栄福寺は四国霊場だけど、近所にあるような素朴な構えで、商売商売していない感じのお寺でした。
参拝者が途切れたすきに境内のパノラマ写真をいそいで撮影。
直後に団体さんがわーっとやってきて、狭い境内は白装束でいっぱいになりました。
春はお遍路シーズン。
マイカー遍路に、バス遍路。
様々な想いが四国路を駆け巡ります。

石清水八幡神社から山頂登った後、巡視路を伊加奈志(いかなし)神社へ。
“伊加奈志”って珍しい名前ですよね。
“いかなし”って音をそのまま漢字に当てはめたような名前ですね。
神社がある五十嵐地区も“いがらし”ではなく、“いかなし”と読みます。
“伊加奈志”が最初にありきで、五十嵐は当て字のようです。

神社の祭神は、五柱命、五十日足彦命(いかたらしひこのみこと)、伊迦賀色許男命(いかがしこおのみこと)です。
五十日足彦命は、第11代垂仁天皇の第八皇子です。
伊迦賀色許男命は、物部氏の祖で、別名・伊香色雄(いかがしこお)、八百万の神様の一人です。
崇神天皇の命で天の八十平瓮(やそびらか)を作り、天神地祇の社を定め奉りました。
天の八十平瓮は、杯に似た平たい土器で重要な祭儀に度度、登場します。
天神地祇は、“天神”=天津神と“地祇”=国津神のことです。
天皇の命で天神を祀る天社と国神を祀る国社に土器を祀ったのが、伊迦賀色許男命です。

人名の“五十嵐”は、五十日足彦命の末裔が名乗り始めたという説があります。

昔、西にある天道ヶ頭山塊から水銀などを含む丹生土(にゅうど)や鉱石とともに銅が産出しました。
その銅を製錬すると云う意味の「いかり(鋳銅)」。
または、製錬の長、“いかり(鋳銅)の主”=“いかりのぬし”が変じたものと云う説もあります。

伊加奈志神社は幕末に焼失に見舞われました。
書物や宝物もその際に燃えて無くなったそうで、「いかなし」の由来も失われてしまったようです。

今回、地図をよく見てなかったせいで、五十嵐の鼻にある三角点を訪ね損ねました。
五十嵐の鼻って呼ばれてる尾根の先っちょの方には、五十嵐(いかなし)城、または御館(おやかた)という城砦があったそう。
知ってたら行ったなぁ。

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