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幸門山へ
距離 約320m
標高差 約60m
一般道
徒歩
下記写真の場所
アンテナ施設

玉川ダムの湖畔にある玉川湖畔の里の前から。
国道317号線には不思議と道の駅がありません。
農産物の直販などを行っている、この湖畔の里も申請したそうなんです。
でも、24時間トイレとか施設面でいろいろクリアしないといけないらしく、見送ったそうです。
空の蒼が湖面に映り込むダム湖。
ブラックバスを狙うボートが静かに浮かんでいたり、高校・大学のボート部が練習していたり。
ドラマ「がんばっていきまっしょい」のロケも行われました。
国道を更に進み-


湖畔の里から1km弱。
明神前地区の数軒の家並みを通り越したカーブにある丁字路です。
ここを左折します。


奥へ進むとある写真の分岐は右へ。
後は道なりに、山の中へどんどん進んで行きます。

上り切った峠のような場所が登山口です。
目印は、四国セルラーの電波塔と-
登り口入口に立つ大きな案内板です。
豪快な一枚板です。
「幸門城趾 400m →」
鷹ヶ森城趾や重茂城趾にも似た案内板がありますね。


しばらくは車も上れそうな道幅です。
日当たりが良いせいか、ちょっと雑草が元気な道です。
林が切れた所から、南東方向を。
天道ヶ頭や城址のある鷹ヶ森が見えました。

北東方向には、しまなみ海道の来島海峡大橋が遠望できました。
今治市内もチラリ。


車で入ってこられそうな所はここまで。
ここから道は急坂に変わります。
急なので、積もった落ち葉で滑ったりします。
登りより下りの方が滑ります。

登りきると、陽光が燦々と降り注ぐ平らかな場所に出ます。
幸門城の城址に到着です!
思いの外早く着いた城址は、幸門城城主・正岡氏の子孫らの手によって保護されています。
当時の石積みでしょうか? 枯れた立木にキノコがびっしり。
看板はばったりと倒れていました。
根元が腐っていたのでしょうか。
「幸門城趾」

来た道を戻る途中、三角点に寄り道してみました。
溝のような小径がちゃんとあります。 登るのはほんの少しです。


尾根に出るところで石積みが現れました。
城址の一部っぽいような岩塊の横を登り切ったら、左へと進みます。
でも、そこは矢竹がざわざわと密集しています。
イノシシが踏み分けてくれたようなけもの道があるので、目をケガしないように奥へ進みます。
竹は細く、陽の光が適度に差し込んでいました。

三角点、発見。
礎石の周囲は矢竹が刈り払われていますので、見つけやすいかも。

「妙見前」三等三角点。
標高は、276.37mです。

登山口からの帰りは今治寄りに下ってみました。

国道317号線と合流する場所には、「クラブ前」って変な名前のせとうちバス・バス停があります。
その他に「大師堂入口」と書かれた看板もあります。
今治方面からアクセスする時は、これらの目印を探して下さい。

正岡ワールドという、不思議なサイトにたどり着いて、初めて幸門山を知りました。
正岡ワールドは、正岡会という、全国?の正岡さんが集まるサイトです。
幸門城の城主は代々、正岡氏が居城していました。
正岡ワールドには幸門城の情報も詳しく載っていますし、なんたって、四国の正岡氏についての考察がとても充実しています。
全国の正岡さんが集まり、「正岡祭」なる集いが開かれてる事実も初めて知りました。
2004年には発祥の地、高縄神社に集まり、「正岡870年祭」を催されたんだとか。
なぜ、870年かというと、正岡氏の起源を保延2年(1136)に求めることができるそうで、大三島大明神別宮の地頭神主になった北条経孝が、風早郡正岡郷に移り、正岡丹後守経孝とあらため、越智郡中通城主となったのが、870年前なんだそうです。
正岡ワールド。
面白いです。

名字といえば、明治時代以前の平民は名字を持っていなかった、という俗説があります。
確かに江戸時代などは武士や公家、一部の許された者だけしか名字を名乗ることができませんでした。
明治になって平民苗字許可令や平民苗字必称義務令という、名字に関する公布がされ、名字を持っていない人々は庄屋や村一番の頭の良い人に頼んで名字を付けてもらった、なんて話がまことしやかに語られています。
でも、実はこれ、間違ってます。
江戸時代、幕府は平民が名字を名乗ることを禁止してはいましたが、それは大ぴらな場所での話。
過去帳などを見れば、農民でも大抵、名字が書いてあります。
名乗れなかっただけで、人々はちゃんと名字を持っていました。
名字は血筋や血縁を表す大切な装置ですから。
同じ名字が異常に偏った町や村が全国中にありますけど、もし、村の誰も名字を持っていなかったとして、さて、みんな揃って同じ名字を付けるでしょうか?
付けませんよね。

さて。
幸門城趾に登る道ですけど、正岡会がその建設費の20%を負担して、玉川町と共に造ったんだそうです。
凄いなぁ、正岡会。



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