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小松地区

寺山地区
碁石ヶ森・鉢巻山、源氏ヶ駄場から

源氏ヶ駄場

源氏ヶ駄場の高知県側の姿、大規模林道から

姫草
碁石ヶ森(ごいしがもり)
愛媛県西予市野村町大野ヶ原
標高1185m
※三角点はありません。
鉢巻山(はちまきやま)
愛媛県西予市野村町大野ヶ原
標高1241m
▲山頂の三角点
点 名 鉢巻山
種別等級 四等三角点
地形図 梼原
緯 度 33°28′56.0268
経 度 132°52′30.7095
標 高 1241.06m
所在地 愛媛県西予市大字小屋82林班 俗称大野ケ原公山
源氏ヶ駄場(げんじがだば)
愛媛県西予市野村町大野ヶ原/高知県檮原町
標高1402m
▲山頂の三角点
点 名 薊野峰
種別等級 一等三角点
地形図 梼原
緯 度 33°28′19.8613
経 度 132°51′56.836
標 高 1402.77m
所在地 愛媛県西予市大字小田第二字小屋山小屋山国有林82林班ロ
姫草(ひめくさ)
愛媛県西予市野村町大野ヶ原/高知県檮原町
標高1276m
※三角点はありません。
大野ヶ原(おおのがはら)は、愛媛県と高知県の県境に拡がる四国カルストに位置するカルスト地形高原です。

四国カルスト県立自然公園。
四国カルスト県立自然公園は、大野ヶ原、五段高原、天狗高原、大川嶺・笠取山、小田深山、古岩屋までを含みます。

日本三大カルスト(四国カルスト、山口県の秋吉台、福岡県の平尾台)のひとつで、日本最高の高山カルストです。
四国カルストという名前は昭和31年から同地を調査した、愛媛大学教授故・山内浩氏が指導した愛媛大学山岳部・探検部によって命名されました。
大野ヶ原は、五段高原、天狗高原とともに、石灰岩の奇石が草原に乱立し、ポリエ、ドリーネ、洞窟など、カルスト地形独特の特徴を見せています。
総面積740ha、標高1100mの石灰岩台地です。
牛が草を食む草原が緑色の波のように台地を覆っています。
けれど、明治以前は原始の森に囲まれた秘境の地でした。
秘境の地らしく、一夜ヶ森に残る弘法大師伝説、源氏ヶ駄場の名の由来になった源平合戦後の平家の落人伝説など、怪奇な伝説・伝承が残っています。
小松地区と寺山地区の境にある笹ヶ峠を中心に中世、伊予久万の大野氏と土佐長宗我部氏が衝突、大野ヶ原の名は大野氏に由来するという説もあります。
大野ヶ原の名前が見られるのは江戸時代以降の文献からです。
明治時代は、日露戦争後から明治42年まで、善通寺第11師団の砲兵演習場になっていました。
久万落合から大野ヶ原まで“砲車道”と呼ばれた道路が延々30キロも築かれ、27棟の兵舎が設けられていました。
草原にぽっかり口を開く奈落のような洞穴に落ちて行方不明になる兵士などが続出などしたため、廃止されたとも云われています。
その後、営林署によって植林が進められ、カラマツに覆われていた時期もありました。
昭和12年に高知との県境線が源氏ヶ駄場稜線上に確定するまでは、大野ヶ原の森林の一部は愛媛と高知とが重複・混在していました。
その頃、碁石ヶ森の山頂には名の由来になった碁石のような円形の石があったそうですが、県境が源氏ヶ駄場に確定したことが悔しい人たちが叩き割ってしまったという話が伝わっています。
陸軍も去り、植林が進められた大野ヶ原はしばらくの間、竜王神社のお堂に山伏たちが住むくらいの秘境に戻っていました。
再び、人々が戻ってきたのは昭和の大戦後です。
食糧増産を図った政府が開拓増産隊15名を指導者として派遣、入植指導したのが始まりでした。
入植者らはなにもなかった大野ヶ原で竜王神社のお堂などに仮住まいしながら、住宅建設に必要な石も木材も麓から人力で運び上げ、家が完成したのは極寒の冬が訪れる直前だったそうです。
冷害、風害、食糧難、政府が勧めた入植事業にもかかわらず融資が受けられないなど、苦労に苦労を重ねるような開拓の日々が何年も続きました。
開拓地ではいまでもよく栽培されている美味しい大野ヶ原大根を栽培していましたが、連作障害をクリアできず、収入が安定しませんでした。
そこで、価格が暴落していた乳牛・仔牛に目を付けた人々が酪農へと転換を図ります。
県からも融資が受けられなかったため、全戸が購入資金を出し合い、乳牛40頭を購入、住民自らが買い付けに出向き、牛と一緒に貨車に乗って連れ戻りました。
当初はやせ細る牛もいたそうですが、更に買い増しし、2年後には冬でも牛乳が出荷できるまでに発展しました。
ついには昭和49年、国営農場「四国カルスト牧場」事業が開始され、牛たちも1000頭近くまで増えました。
賑わい始めた大野ヶ原、その証拠に宇和島バスの定期便も乗り入れていました。
源氏ヶ駄場の斜面にスキー場、小松ヶ池ではスケートが楽しめた時もありました。
現在、酪農経営は全国的にも厳しい状況で廃業する牧場・酪農家も多いですが、大野ヶ原の牛たちは何処吹く風といった感じで、広大な牧草地でのどかに草を食んでいます。
美味しいと評判の大野ヶ原ブランドの牛乳が今日もたっぷり安定生産されています。

大野ヶ原を覆う牧草の下は白色/灰色の石灰岩の台地は、約2億5千万年前に噴火が終結した海底火山の山頂に珊瑚礁が発達・堆積してできたものです。
約200万年前の四国山地の隆起によって地上に露出、雨による溶食を受け、カルスト地形独特のポリエ、カレンフェルト、ドリーネ、ウバーレ、鍾乳洞、縦穴などが形成されました。
日本第6位の深さを持つ竜王洞は160mもの深さがあり、寺山地区の草原にぽっかりと口を開いています。
兵士を呑み込んだこのような縦穴は近年になっても牧草地や畑の中で発見されることがあります。
真冬に雪上を散歩中、連れていた犬が突然行方不明になり、鳴き声を頼りに発見したのは夏は畑に利用されていた場所のすぐそばで、深さは30mほどもあったそうです。
(ちなみにその犬は飼い主が縄ばしごで穴に降りて救出されました。)
洞窟は中久保洞、石舟洞、日浦洞、丸野洞穴群、山神洞、おす谷洞などがあります。
ドリーネ、ウバーレ、ポリエなどの凹地形は隣の五段高原・天狗高原よりも大野ヶ原の方がもっともよく発達していて、およそ300近い凹地が分布しています。
地図で小松・寺山地区の等高線をよく見ると○の中心に向かって凹地を示す矢印が描かれた、小松、寺山、笹ヶ峠、姫草にポリエを見つけることができます。
姫草ポリエは最大で直径が120mに達します。
雨水はこれらの凹地にある穴=ポノールへと吸い込まれてゆきます。
ポノールを持たないドリーネの一部は学術的にドリーネポンドと呼ばれる池となり、それが、小松ヶ池です。
源氏ヶ駄場の山肌に多数露出する石灰岩の光景はカレンフェルトと呼ばれます。
無数の石灰岩は、平家の落人が白馬に跨った源氏方の追っ手と見間違え、大野ヶ原から逃げ落ちた伝説を生みました。
源氏ヶ駄場の東にある石灰岩台地が切断されたかのような断崖がありますが、地元では大師ヶ岳と呼ばれています。

大野ヶ原へは国道、県道を乗り継いで柳谷、野村の両面から容易にアクセスすることができます。
雪解けの春からブナの森が燃えるように紅葉する秋まで、四国らしからぬスケールの大きな景色を目的にたくさんの観光客が訪れています。
近年、柳谷経由の国道440号線が拡幅・バイパス工事が進み、狭路も大方解消され、松山方面からのアクセスが格段に向上しました。
ただ、拡幅・バイパス化された場所を過ぎると狭路でカーブが連続した道のままなので、気を付けて下さい。
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