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港山・西港山、三津漁港宮前川河口から 忽那山、垣生山山頂から
 春の大丸山  梅津寺海水浴場から
港山(みなとやま)、西港山(にしみなとやま)
愛媛県松山市港山
標高42m、52m
▲山頂の三角点
地形図名 松山-三津浜
種 別 四等三角点
点 名 港山
緯 度 33°52′6″.5083
経 度 132°42′55″.1221
標 高 42.03m
所在地 愛媛県松山市港山町湊山2049の1番地
大丸山(だいまるやま)
愛媛県松山市梅津寺
標高76m
別名・リフト山・見晴山
※三角点はありません。
忽那山(くつなさん)
愛媛県松山市北吉田
標高49m
※三角点はありません。
海辺にならんだいずれも50m前後の小さな山たち。
子供たちの格好の探検場所になっている、かわいい山山です。

港山は、その名の通り、三津の港を見渡せる場所にある、ふたつ仲良く並んでいるお山です。
現在の地図では、港山の山名は東側のお山に付けられていますが、それは東側のお山の山頂に三角点がある影響です。
本来は、城址がある西側のお山が港山と呼ばれていました。
※東側は東港山と呼ばれていましたが、当サイトでは現代の表記に合わせ、東側を港山、西側を西港山とします。
西港山の山頂には、建武年間(1334〜37)に河野通盛が海からの侵入者に備えて築いた湊山城城址があります。
「予陽河野家譜」によると、伊予の支配者・河野家が予州家と宗家に分裂、抗争を繰り広げていた当時、予州家の河野通春が湊山城に居城していましたが、文明14年(1482)、宗家の河野教通と争い、港山の北辺りで戦死しました。
その後、湊山城は秀吉の四国攻めの後、廃城となりました。
登山道がないため、城址に訪れる人もなく、本丸、二ノ丸跡はひっそりとヤブに包まれています。
また、西の海端には江戸時代、松山藩によって築かれた出丸がありましたが、港の開発によって消滅してしまいました。
一方、東にある港山は遊歩道が整備され、山頂に設けられた「観月公園」まで簡単に登ることができます。
南麓の、造船所との間にある不動堂は「洗心庵」という、寛政7年(1795)2月に小林一茶が松山に来た時、俳人たちと俳諧を行った庵跡です。

見晴山とも呼ばれる大丸山は、、梅津寺の海水浴場の真横にある、こんもりと森をはおったお山です。
昭和40年代、観光用リフトがあったため、当時はリフト山とも呼ばれていました。
リフト跡地の登山道を登った山頂には展望台や出土した箱式石棺があります。
登山口は、県道に分断された西麓(海側)にあります。
登山口すぐの小さな丘の上には秋山好古の銅像があります。
県道の上にかかる橋を渡り、坂道の遊歩道を登ると、秋山真之の銅像に出会えます。
秋山兄弟の銅像がある辺りは春になると桜に包まれる、お花見の名所です。
真之の銅像から上は遊歩道も狭く、急坂になり、登山道らしくなります。

ちなみに、梅津寺という地名は、現在もこの地にある梅津寺というお寺の名前に由来しています。
梅津寺は、宝永年間(1704~11)、御幸寺山の麓の千秋寺にいた中国僧・雪广(せつけん)が、中国の梅津という場所に似ていたと云う理由からこの地に建立されました。
昭和13年(1938)、海水浴場が拡張されることになり、現在の場所に移転しました。

北吉田の工場地帯の隅っこ、海岸端にあるのが忽那山です。
忽那氏の居城・忽那山城がありました。
戦前には軍の施設が築かれていたそうです。
登山道が無いため、山頂に行くにはヤブをかき分けて登るしかありません。
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梅津寺
800m
大丸山 600m
港山駅 100m 300m 600m
西港山 港山
600m 4.4km 消防署前
1.8km 朝日橋 2km
忽那山 800m 吉田
1.4km 1km
新空港通り 4.5km
港山、西港山へ
松山市駅
港山
梅津寺
伊予鉄バス
高浜線
松山市駅 辰巳町 港山 梅津寺

港山

西港山

大丸山
忽那山へ
伊予鉄バス
三津・吉田線
松山市駅 磯崎
伊予鉄バス
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