地図、アクセスなど、お山に関する各種情報登山道・登山口登山ルートを多数の写真を使って詳細に解説ご感想はこちらのメールフォームからお願いします「お山へ行こう!」のトップページへ


御幸寺山から

道後湯築山から

淡路ヶ峠から

大峰ヶ台(松山総合公園)から
堀之内から
勝山(かつやま)
愛媛県松山市丸の内
標高131m
別名・城山。
▲山頂の三角点
点 名 松山城
種別等級 三等三角点
地形図 松山-松山北部
緯 度 33°50′41.4195 
経 度 132°45′58.0736 
標 高 131.30m
所在地 愛媛県松山市堀ノ内町松山1番地
愛媛県松山市のシンボル、松山城が天辺にどっしり腰を下ろしたお山が城山です。
年間を通じて観光客が大勢訪れる松山城。
観光客の姿が途絶える早朝、夕方は、健康維持のために散歩する近隣住民の憩いの場となっています。

松山市の中心部にあって道後平野のいろんな場所からも見える年中緑に覆われているお山です。
取り囲むビル群で働く人たちを癒し、時に渋滞する市中心部の空気を浄化し、ヒートアイランド化する街を冷やす巨大な装置にもなっています。
山上からは海に山に川に道後平野を広く一望できます。
北から東にかけては高縄山系の山並みが見え、南東奥には石鎚山が見通せます。
南面には平野を縁取る山並みが壁のように連なって見えます。
石鎚山から西へ連なる石鎚山系や、東温アルプスと呼ばれる皿ヶ嶺を中心とした峰峰があり、障子山、水梨山、秦皇山という砥部、伊予、中山の山山を経て、双海の海岸線に沿って聳える牛ノ峯や佐田岬に向かって遠ざかる数々の山山へと繋がってゆきます。
城山の西側には大峰ヶ台や弁天山が海との間に見えます。

お山の名前は正しくは勝山と云い、城山は愛称です。
松山城築城以前も勝山と呼ばれていました。

築城以前の勝山は現在と違い、ふたつ、または三つの山(峰)を持つ姿をしていたそうです。
築城に際し、山を削った土砂で谷を埋め、造成した平地に本丸が築かれました。
現在、山上の売店がある辺りにいまでも水をたたえる深さ44mの井戸がありますが、井戸の底は埋め立て以前、谷だった場所で、泉があったそうです。
また、加藤嘉明が築城した当時の古地図には、現在、天守閣がある場所に池が描かれています。
1635年、松平定行が入国した際、城山には樹木が無く、赤土の山のようとも、禿山だったとも伝えられています。
藩主自ら松を植え、栗を蒔き、長い年月をかけ、現在まで続く緑に包まれた自然豊かな姿に変わっていったそうです。

“松山や 秋より高き 天主閣”、“春や昔 十五万石の 城下哉”
正岡子規が俳句を詠んだ伊予の国の中心にあった松山城は1602年、加藤嘉明によって築城開始されました。
一説によると、築城候補地として御幸寺山を第一候補地、勝山は第二候補地、天山を第三候補地として幕府に提出。
勝山を第一候補地にしなかったのは、幕府が第一候補地をわざと許可しないだろうことを見込んでの策でした。
結果、見事的中、加藤側の読み勝ちだったと云われています。
市民によく知られるこの話は昔話が元であって、裏付ける資料はまったくありません。
松山城は26年もの歳月を要して完成します。
けれど、加藤嘉明自身は国替えにより、会津に転封され、完成した城の姿を見ることはありませんでした。
本丸の標高は、約132m。
本壇は、本丸から8.3m、大天守の全高は本壇から20m(シャチホコの高さを入れると21.3m)。
天守閣の天辺の標高約161mは、現存する12の天守閣のうち、平山城の中では最も高い数字です。
松山城の詳細は市のホームページなどに譲るとして、関ヶ原以降、近世城郭における天守閣の存在はすでに戦略防衛上の役目はなく、権力を象徴し、鼓舞する巨大なオブジェでした。
住むためには作られていないので、代々の城主は城山の西南麓にあった二ノ丸御殿に暮らし、当時から堀之内と呼ばれる三ノ丸には上級・中級武士の役宅が建ち並んでいました。
堀之内は現在も三方をお堀に囲まれていますが、その北東部分、県庁の西隣付近にあった内堀は特に深く、亀ヶ淵と呼ばれ、築城時、金色の亀が現れ、棲んでいたという逸話があります。
松山城が「金亀城」や「亀郭城」とも別称される由縁のひとつです。
ただ、“金亀”に関しては、城の姿が金色に輝く亀に見えたとか、堀之内部分を頭、東北麓の東雲神社周辺を尾に見立てると亀のような姿をしているから、ともいわれています。

維新後、堀之内は明治の廃城令以降、陸軍省の管轄となり、松山歩兵第22連隊の連兵場が設けられました。
破却・解体は免れた天守閣(本丸)は、大正に久松家へ払下された後、そのまま松山市に寄贈されました。

戦後、城山、堀之内は城山公園になり、国の史跡に指定され、登山道なども整備されました。
二ノ丸跡には城東中学校が作られましたが、昭和58年に閉校、跡地は平成4年、二之丸史跡庭園として生まれ変わりました。
その頃から、堀之内のなかで、国有地に建っていた市営球場、競輪場、市営プール、四国がんガンセンターが次々と解体され、郊外へと移転されました。
同時に発掘作業も行われました。
更地は芝生に覆われた公園に姿を変え、サーカス、県や市のイベント会場にも利用されています。
ただ、普段は芝生の養生のためとして市民が気軽に立ち入れない広場ばかりとなっていて、おかげで夕方はカラスの集会場状態です。
平成18年に「日本の歴史公園100選」に選定された城山公園は、歴史と自然が融合した史跡らしい姿に生まれ変わるまだ途中です。
↑マウスで移動、拡大・縮小できます。↑
平和通り
勝山(松山城)
古町口 東雲口
500m 500m
黒門口 300m 県庁裏登城口
100m
500m
200m 大街道
松山市役所
最寄りのバス停
東雲口 バス ロープウエイ前
市電 大街道、赤十字病院前、警察署前
県庁裏・黒門口 バス 県庁前
市電 市役所前、県庁前
古町口 市電 本町三丁目
伊予鉄道
松山城ロープウェイ・リフト
地図、アクセスなど、お山に関する各種情報登山道・登山口登山ルートを多数の写真を使って詳細に解説ご感想はこちらのメールフォームからお願いします「お山へ行こう!」のトップページへ
ブログパーツ
inserted by FC2 system