勝山(城山)へ行こう!
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東雲口
距離 約900m
標高差 約90m
徒歩
下記写真の場所
送電鉄塔・アンテナ施設

一番町通りのスクランブル交差点から。
大街道からロープウェー街へ。
ロープウェー街はアーケードが撤去され、歩道も拡張、昔の面影は無くなりました。
車道はわざと狭く、カーブさせ、車が自然にスピードを落とす工夫がなされています。
登城口はずっと坂の上。
その前に、二つ目の路地にちょっと寄り道。

秋山兄弟の生誕地があります。
「坂の上の雲」がらみで兄・秋山好古と弟・眞之の生家が復元され、二人の銅像もあります。
敷地内の見学は有料(200円・高校生以下無料)ですけど、塀が低いので外からでも結構見られます。
兄弟の銅像は視線が合うように配置されています。

ロープウェー、リフト乗り場です。
建て替えられ、綺麗になりました。
ロープウェー、リフトの終点は長者ヶ平です。

歩いて登るのは乗り場のもうちょっと先の-

坂を登り切った信号の所にある東雲口から。
東雲神社の石段を登ります。
最初の石段を登りきると左に平らな道の二手に分かれます。 平らな道は緊急車両などが上れるように整備されています。
石段が苦手な方はこちらがおすすめ。
石段コースを進むと途中にナンジャモンジャの木。
ナンジャモンジャの木 二本
松山市指定天然記念物
昭和五一年三月八日指定
 和名、ヒトツバタゴ。
モクセイ科の落葉高木で、愛知県犬山市、岐阜県土岐市などに野生し、長崎県対馬の鰐蒲の海崖に自生地がある。
日本では、珍しい部類にはいる木であるといわれ、雌雄異株である。
 大きい方が高さ12メートルで雌木、小さい方が高さ9メートルで雄木である。
5月に白雪のような見事な花をつけ、かおりが良い。
 和名は、トネリコの葉によく似た葉を持つことに由来する。
トネリコの葉は羽状複葉であるが、ヒトツバタゴの方は単葉をつける。
このことから、「単葉のタゴノキ」という意味で、ヒトツバタゴと名付けられた。
また、別名のナンジャモンジャは、江戸末期項、名前がわからないので、「なんていうもんじゃ…」とたずねたことからナンジャモンジャの木と呼ばれていたことからきたと名付けられた。
松山市
松山市教育委員会

東雲神社に到着。 二拝2拍手一拝。
東雲神社
 祭神は、天照皇大神、豊受大神、天穂日命、菅原道真公、息長福玉命などである。
 文政6(1823)年、松平松山藩11代藩主定通が、松山城山揚木戸に仮宮を営み、藩祖である久松定勝の神霊を招請し、息長福玉命と称えて祀ったのがはじまりである。
その後、天保11(1840年、12代藩主定穀(勝善)の代に、松山城山長者ケ丘に社殿を造営し、東雲大明神と呼び、一藩崇敬の神社とした。
菅原道真は久松家の祖先神で、天穂日命は菅原氏の祖神といわれている。
 明治13(1880)年には東雲神社と改称し、県社に列した。
昭和20(1945)年7月の松山空襲で、社殿など数多くの建物が焼失した。
昭和46(1971)年、伊勢神宮の分社松山大神宮を奉遷し、昭和48(1973)年に神明造りの社殿が完成、松山大神宮と東雲神社の神霊が合祀奉斎された。
松山市
松山市教育委員会
神社の左側を進むと-

で分かれた道と合流。
そしてロープウェー、リフトと立体交差します。
ロープウェー、リフトの左側を登ります。
幅の広い道です。
以前は踏み固められた土の道だったけど、すっかり舗装されています。
でも、周囲の森は昔のまま、鬱蒼と茂っています。

みやげもの屋さんの建物が見えたら長者ヶ平。
“ちょうじゃがなる”と読みます。
県庁裏登城道と合流し-
ロープウェー、リフトの降り場もこちらになります。

松山城古図。 雨上がりは滑りやすい坂を登ると-

とっても立派な石垣にご対面。 ちなみに、石垣の右奥へ入ると艮門方面の裏道。
揚げ木戸門跡
 慶長年間、松山城創建のはじめはここに門があり、西の大手門と共に大手の入口の重要な拠点となっていた。
石畳に沿って進むと揚げ木戸門跡。


石垣の角を右に曲がるところ。
松山城天守閣撮影のベストポジションのひとつ。
左の道は黒門口登城道。
二之丸史跡庭園・黒門口登城道案内図。
「…下り約15分 上り約20分」
石垣の角を。
天に向かってエッジが揃った綺麗な曲線が見事ですね。
長方体の石が長辺と短辺を交互に組み合わされ積まれています。
“算木積み”という強度をアップさせる工法です。
重要文化財 戸無門
 本丸大手の重要な固めである。
慶長年間に建造された高麗であり、昭和10年に国宝に指定されたが、法の改正により重要文化財となった。
昭和年代では12年・25年・46年および59年・60年に修理された。
角を曲がって、もひとつ曲がると戸無門。

続いて筒井門と隠門をくぐって、ちょっとした広場に。
写真は門をくぐった広場側から撮影。
右が筒井門で、左が隠門です。
筒井門
 本丸大手の正面の固めを構成した。
慶長年間築城に際し正木城(伊予郡松前町)から移されたと伝えられ、脇戸附の櫓門である。
 昭和10年国宝に指定されたが、同24年2月に焼失した。
同42から3年に石垣の修理を行い、同46年3月に櫓門を古い資料に基づいて復元した。
重要文化財 隠門
 筒井門と共に大手正面の固めを構成し、また筒井門を側防する。
慶長年間の建造物といわれ松山城郭の櫓門の中では最も古いものの一つである。
昭和10年国宝に指定されたが、同25年法の改正により重要文化財となった。
なお、同46年及び59年・60年に修理が行われた。
この広場は南向きの見晴らしが◎です。
こんな感じに、松山市の中心街を見下ろせます。
東から南にかけての山並みをアップ。
(写真左から)松山市の最高峰・明神ヶ森から、杉立山、観音山、淡路ヶ峠などを挟み、青く霞んだ石鎚山、堂ヶ森から、石墨山、皿ヶ嶺。
三坂峠の右に松山市で二番目に高い黒森山があって、広田の水梨山や伊予市との境の障子山まで。
こちらは広場の西端からの眺めです。
瀬戸の海が青く輝いています。
松山城『築城物語』
松山城は、慶長7(1602)年正月15日、賤ヶ岳七本槍で有名な加藤嘉明によって起工されました。
石材などは、正木(松前)城や湯築城などから運ばれたものも多かったようです。
嘉明は、足立重信を普請奉行として工事に着手、おたたさん(魚の行商をする女性)が砂を運び、近郷の農民が手ぐり渡しで瓦を運ぶなど、多くの人々が工事に従事しました。
翌慶長8年10月に、嘉明は正木(松前)から新城下に移り、城下を松山と命名し、城の名前を松山城としました。
城全体の完成は、加藤嘉明が会津四十万石に移封となった、寛永4(1627)年頃といわれています。
約26年の歳月をかけて築城されたことになります。
別称『金亀城』の名前の由来
お城は、標高132メートルの山(勝山)の上にあり、勝山城または金亀城とも呼ばれています。
松山城築城の際、山麓の内堀(愛媛県庁西側)の処が、深い淵になっていて、そこに「金色の亀」が棲んでいたといわれています。
その伝承にちなんで、別名『金亀城』と呼ばれるようになりました。
■起工年…慶長7年(1602年)
■形式…平山城
■遺構…天守・櫓・門・塀・井戸・石垣・他
■別称…勝山城・金亀城
■沿革史…慶長七年、加藤嘉明は五層の天守を持つ松山城の建築に着手した。
寛永19年(1642年)松平定行が天守を三層に改築したが、天明4年の落雷で本壇の多くの建物が焼失、嘉永5年(1852年)に復興し、安政元年(1854年)、盛大に落成式がとり行われた。

太鼓門をくぐれば広々とした本丸に出ます。
奥に聳える松山城天守閣。 秋はこんな感じに。 春はこんな感じ。
茶店のまえにいる“よしあき君”
ベンチや東屋は特に見晴らしの良い西側に用意されています。
そこからの眺望です。
弁天山(写真奥)、その手前に岩子山と洋風展望台が載った大峰ヶ台。
衣山の丘陵地の向こう、海を挟んで興居島の小富士。
遠くに霞む大きな島影は山口の屋代島。

お城の入場券販売所の手前にある東屋。
その近くに-
丸い木のふたがマンホールのようにあって- ふたを取ると三角点が現れます。
「松山城」三等三角点。
標高は、131.30mです。

子どもの頃から慣れ親しんだ城山です。
すぐ麓にある小中学校に通っていました。
校歌にも「♪金亀の~城ぉ~」って出てきてました。
午後にあった目の体操プログラムでは、“遠くを見る”時は必ず、校舎の窓から松山城を見ていました。
遠足や写生大会でも何度も登ったし、夏休みの早朝、妙に早く目が覚めた時にふらっと登りに行ったり。
道から外れて森の中に探検しに分け入ったり。
大人になった今でも、時々、登りに行ってしまう城山です。

昼間の城山は、登山というより、城山っていうくらいですから松山城観光がメインな人がいっぱい。
観光客は大体、ロープウェーかリフトに乗って長者ヶ平に向かわれます。
でも、長者ヶ平から天守閣までって、まだまだ距離が残ってますよね。
本丸まで登ってくる間に息が切れてるお年寄りや、汗いっぱいかいた中年太りされた方とか、結構見かけちゃいます。
んなこといいながら僕も、夏とか、運動不足な時に下から登ると汗いっぱいかいて軽くヘロヘロになったりしてますけど…。
で、これじゃイカン!と、発奮し、早起きして東雲神社の石段を何往復もして鍛え直したりなんかして。
観光客がいない早朝は、毎朝登ってます的な人たちしかいなくて、静かで好きです。
小鳥のさえずりが森の中からうるさいくらいに聞こえて、少ししっとりした空気が肺を充たしてゆきます。
本丸で毎朝自然発生的に開かれてるラジオ体操会に時々、遠巻きに参加したり。
知らない人たちとすっと会話したりなんかして、気持ちの良い朝を送れます。

ここ数年で登城道はきれいに舗装されてしまいました。
以前の土の道も好きでした。
雨でも汚れず、滑らず、登れるのでOKかな。
舗装も気持ち、柔らかいし。

ロープウェーやリフト、もう何年、何十年も乗ってないなぁ。
子どもの頃、リフトに乗って、うれしそうに搬器を揺らして遊んでたら、しっかり、放送でしかられちゃいました。
あー、恥ずかしい思い出。

本丸からは松山市街地が一望。
空気が澄んでたら石鎚山も見えます。
以前はうちの家の屋上も見えたんですけどね、今じゃ、マンションが林立して見えなくなってしまいました。
少しずつだけど確実に変貌している松山の今の姿をすぐ真上から確認できる城山はいいお山です。
唯一、大量のカラスの寝床になっているところがNGかな。

登城道は夜遅くまで照明が点いてるので、夜景を見に登るのもオススメ。
桜の頃などは夜桜見物も◎。



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