鹿島のお山
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北条港~鹿島渡船乗り場~鹿島
徒歩
下記写真の場所
送電鉄塔・アンテナ施設
通行止め
  

旧国道196号線、いまは県道179号湯山北条線沿いの北条駅前交差点。
バイパスができてから、交通量がグッと減った北条の町中。
右に曲がったら伊予北条駅の交差点を海の方へ左折します。

北条港へ向かうこの道も県道、200号鹿島公園線。
北条の町はさわやかな海風が通りにいつも吹いていて、
松山市街とは比べ物にならないくらい涼しいです。



信号からすぐに北条港。

  

「四国のみち」も北条港に寄り道。

港の船溜り。
写真左に鹿島のお山が見えています。
その前に、写真右の通りへ進んで、
安居島行きの船乗り場を見に、寄り道。

道端にあった自然石を活かした石灯篭。
一番上の烏帽子みたいな石がいい感じ (^_^)



こちらが、北条の沖に浮かぶ安居島行きの船の乗り場。

桟橋にちょうど、安居島行きの船が停泊中でした。
速そうな船です。

片道大人850円、35分の船旅。
出港時間が曜日で異なるので要注意。


戻って、大きな白い鳥居の方へ直進。
鳥居越しにのぞく鹿島がまるで地続きみたい。



鹿島の渡船乗り場にそびえる白い大鳥居は、島にある鹿島神社のものです。
さっきより鹿島が小さく見える、不思議…。
左の茂みの奥に駐輪場、右の空き地は第2駐車場(有料)。
鳥居をくぐった奥の空き地が第1駐車場で、桟橋はその右奥にあります。

駐車場は有料です。
2010年時点の駐車料金をピックアップしておきます。

区分 駐車時間 使用料
一般料金 午前8時30分
から
午後10時まで
1回 バス
マイクロバス
1台につき
1220円
普通自動車
小型自動車
軽自動車
1台につき
610円
夜間料金 午後5時から
翌日
午前8時30分まで
1回 バス
マイクロバス
1台につき
1330円
普通自動車
小型自動車
軽自動車
1台につき
710円
回数駐車券
1220円券 6枚綴 6100円
610円券 6枚綴 3050円

海に面した第1駐車場。
右奥にある黒い平屋が鹿島渡船の待合所です。

  

フェンス沿いに立つ「鹿島ご案内」。
鹿島は小さな島だけど、名前が付いた場所がたくさんあります。

鹿島渡船の待合所で渡船のキップを買い、
車の人はこちらで駐車料金を払います。

2021年夏に訪れたときは、
鹿島でキャンプする人用のリアカーが置いてありました。
なんと、無料で使うことができます。
リアカーごと、渡船に乗せられます。

渡船のキップは、自動券売機で購入します。

往復料金は、大人(中学生以上)210円、子供(小学生)110円。
前回より値下がりしてる!?

鹿島渡船時刻表

4月~10月 11月~3月
7~17時 03 23 43 03 33
18~20時 03 33 03 33
21時  03   33    

赤字は、7月第2土曜日~8月31日のみ期間運行いたします。

※2021年現在のデータです。

待合所の裏にある渡船の浮き桟橋。
渡船は桟橋の薄緑色の鉄板の部分に着岸します。
時間まで船は鹿島側で待機しているので、桟橋は空っぽです。

  

桟橋から見た鹿島と北条沖。
昔は泳いで渡ろうとした人もよくいましたが、
一見穏やかそうでも潮の流れが早いので、流されちゃいます。

桟橋から海を覗くと、たくさんの魚影が!
カワハギの姿も見えましたが-

この桟橋は釣り禁止なのでした。

船が着きました。
おや? 船の屋根にあるのは-

鹿島のシンボル、シカちゃんです!

島から帰った客が下船したら、乗り込みます。
その時に船員さんに渡船券を渡します。
なので、帰り(復路)は渡船券なしで船に乗れます。



後部がオープンデッキになっています。

船の図面ですが-

屋根のシカもちゃんと描かれていました。

夏は後部デッキがおすすめ。

波穏やかな海峡をかっ飛ばし。
桟橋の着岸も一発で決めちゃいます。

2021年夏、船に乗ったら、船内アナウンスが友近になってました。



鹿島側の桟橋。

下船したそばから小魚がわらわら。

鹿島に上陸です。
鹿島の東部は平地になっていて、
案内所、売店、博物館、鹿園、各種施設が集まっています。

「ようおいでたなもし」

歓迎ゲートをくぐった正面に登山口があります。

右にはログハウスの「鹿島観光情報センター」。
渡船の船員さんや鹿園の飼育員さんもこちらで待機されてます。
ログハウスの方へ進んだ山際に-



鹿島博物展示館があります。

その真横にあるのが「鹿園」。
“鹿島”の名の由来のシカを保護育成飼育しています。
ほかに、野生のシカも、ずっと昔から生息しています。
県の天然記念物に指定されています。
エサが無くなって飢え死にしたり、
落石・転落で命を落とすものも少なくないので、
一部を柵の中で大切に保護しています。

売店で買ったエサを手から食べさせることも、
気が向いたら顔を撫でさせてくれることもありますが、
大きな物音や急な動作でさっと逃げ出しちゃいます。
それでも結構、人に慣れてる方なんですよ。
柵の外のシカは滅多に近寄ってくれません。

鹿島のシカ 一件

愛媛県指定天然記念物
昭和23年10月28日指定

 鹿島には、約260種の暖地性常緑照葉樹が繁茂しマいるほか、古くから野生の鹿が生息しマいたことが知られている。
ホンシュウシカより小さく、臆病で警戒心が強いため人に慣れにくいという特徴がある。
 落石による鹿の事故の防止、樹木の保護、鹿の繁殖育成などの見地から昭和35(1960)年8月25日許可を受けて、その一部をさく内に入れ保護飼育を行なっている。
 鹿の角は、春から夏にかけては袋角になっており柔らかいが、秋になると袋が剥がれ落ち、硬くなる。
この頃になると鹿は角を磨くため、木の皮を痛めたり、鹿同士で傷つけあったりするため、毎年10月には「鹿の角切り」行事が行われる。

松山市 松山市教育委員会

鹿

この島の鹿は、キュウシュウジカと推定され、体が一般に小さく、臆病で警戒心が強く、人に馴れにくいのです。     ,
鹿は春から夏にかけて袋角になっていてやわらかいが、秋になると袋ははげおち、かたい角に変わります。          ・
この時期になりますと鹿は、角で木の皮をよくいためます。
山の中へ入ると、そのような木をよく見かけます。
鹿が成長しますと雄は、時々荒々しくなり、雄同志で突き合うこともあります。

「エサはなかとですか(九州弁)」

「キレイに撮ってほしか~」

くんくん、くんくん、ちゅっちゅ

柵の中で一番小さな子鹿のバンビ。

  

振り返ったら、野生のシカが遊びに来てました!
さて、ホンモノはどれでしょう (・∀・)

次は、鹿島博物展示館へ。
ぱっと見、なにもやってないように見えますけど。

入って左に展示フロア。
この博物館は昭和28年10月に開設されたのが始まりです。
昭和52年7月に愛媛県が建て直し、現在の姿になりました。
鹿島のみならず、北条市の自然科学・考古史料関係などが展示されています。
剥製とかホルマリン漬けとか、ある意味、
懐かしささえ漂う、昭和な博物館です。
正面にあるのは、
鹿島近海から底引き網に引っかかったりして発見されたナウマンゾウの化石。

フジツボがついてたりします。

写真は5年前のものですが、ほとんど変わってません。

剥製のシカちゃんも昔のまま、この先も、ずっと。

展示フロアの反対の中2階フロアがありますが、
以前たくさんあった標本がすっかりなくなって、
ただの空きスペースに。
ここの窓から鹿園を見下ろせます。

普段、鹿園の上の方にいるバンビもよく観察できます。



鹿園の先の売店はもう営業してない様子。
更に奥へ進むと-

海に迫り出した赤屋根の建物があります。
鹿島名物の「鯛めし」がいただける「太田屋」さんです。
太田屋さんは北条市内にもお店があります。
北条・鹿島の鯛めしはお米と一緒にタイを丸ごと炊いちゃうタイプです。

さて、桟橋前に戻り、
今度は反対・南側の公園になっている方へ。
フジ棚の休息所や休憩所の先に-


鹿島唯一の売店。

シカのエサも売ってます。
シカちゃんと仲良くなりたい時の必須アイテムです。



マツの木陰が涼しい公園の山際に「鹿島神社」。

狛犬コレクション、吽と-

阿。

本殿、2礼2拍手1拝。

境内を右へ、石畳に沿って進むと、
桟橋・登山口の方へ戻れますが、
その手前に-

鹿島信仰の御神体とも云える「要石(かなめいし)」が鎮座しています。
茨城県の鹿島神宮にも「要石」があります。

無闇に触れてはなりませぬ!
ナマズが起きて、地震が起きますじゃ!

要石の伝説

 この地方では、昔から地底に大鯰がいて、常には静まっているが目覚めてあばれだすと地震となって大地が震動すると考えられていた。
 この地震を起こす大鯰の頭を、鹿島の神様が「要石」で押さえているので、この風早地方には地震が少ないと言い伝えられてきた。
かたわらの石に次の歌が刻まれている。

ゆるぐとも
よもやぬけじな要石
 鹿島の神のおわすかぎりは

シカの形の俳句ポスト。
でも、角は折れてるし、
台座の紙を入れる口も塞がれてます。

神社の前は広広とした公園。
児童公園っぽい遊具が置かれています。



その公園の外側の海が近年、埋め立て、護岸工事が行われ、
平地が更に拡張されました。
海沿いに遊歩道もできて、
炊事棟も完備の芝生のキャンプ場に生まれ変わりました。

2021年の夏、人生初の島キャンプしました。
ご覧の通り、芝生エリアには日陰がないので、
真夏の真っ昼間は、暑いぞ!
海風は爽やか涼しいけどね。
ちなみに、無料だ!!!!
渡船代だけでキャンプできるぞ!

  

護岸からの眺めです。
北条の山並み、家並みのパノラマが拡がります。
北条・風早の地の盟主・高縄山が入道雲に負けないくらい、
大きくすそ野を広げています。
写真左の新城山・腰折山・恵良山から、
写真右の興居島の小富士まで、
知ってるお山、登ったお山、いくつありますか?



昔の堤防はそのまま残されています。
その内側の施設も昔のまま。

こちらは埋め立て側にあるキャンプ場の新・炊事棟。

こっちは昔からあるシャワー室。
夏の間だけ利用できます。
中はキレイですよ。



  

シャワー室の左にある東屋の脇にも登山口があります。

桟橋正面の登山道とすぐに合流します。

  

案内図の前のシダも夏は元気。



南に向かって飛び出した堤防の突端へ行ってみました。

  

写真右端に、鹿島の沖の千霧、小鹿島(男小鹿島)、
玉理、寒戸の小島たちも見えてきました。



埋め立てと同時に新設された海水浴場です。
この場所は昔、千畳敷と呼ばれた磯が拡がっていました。
堤防造って、その間に砂をどんどこ放りこんでできた人工の浜です。
鹿島では水晶ヶ浜というきれいな砂浜で泳ぐのが定番でした。
でも、遠いし、あることで行けなくなってしまったからです。



“あること”とは、実は、立ち入り禁止のことです。

「市道鹿島公園線は、落石・山肌崩壊の
恐れがありますので、通行できません」状態なのです。

鹿島の海岸線は脆い花崗岩の急傾斜です。
落石や土砂崩れは起きがちでした。
水晶ヶ浜や石門を訪ねたければ自己責任です。
でも、長居はしない方がいいでしょう。

ひとりごと

気がついたら5年ぶりの鹿島です。
5年前は北条市が松山市に合併した直後、2005年のことでした。
その頃、ちょうど、キャンプ場の平地部分の埋め立て、護岸工事の真っ最中でした。
小学生の頃は何度も泳ぎに連れて行ってもらった記憶があります。
大人になると泳ぐってことも珍しくなるし、釣りの趣味もないし、まるっきり行かなくなりました。

夏のお山歩は近場のお山じゃ暑いし、ヤブ蚊は多いしで、行くなら1000mオーバーか、海っぱたのお山が最高です。
遠出は無理な時間だったので、昼からでも行ける鹿島に決めました。
信号も少ない、涼しい伊台回りのルートで北条入りし、粟井から旧国道を北上。
旧国道から海は見えないけど、横道から吹き抜ける海風はまるでクーラーのように涼やかでした。
松山の市街地なんか、朝からアーバンヒート状態。
家や車のクーラーの室外機からはき出される熱風だけでも2、3度上昇してる感じ。
北条は涼しい~。

渡船乗り場に着いたものの、船がちょうど出たところで、20分待って乗船しました。
5年前に来た時は、待合所や駐車場も工事中で、渡船は安居島の乗り場から出ていました。

渡船について、少し補足しておきます。
トップにも書きましたが、渡船の始まりは明治34年頃。
島のシカの餌やりが仕事だった「鹿守り」が、島へ渡るのに使っていた手漕ぎ舟にサービスで乗せてあげたのが始まりでした。
鹿島から来て鹿島に戻るスタイルは当時からでした。
大正頃の渡し賃は1銭位だったそうです。
大正9年になって北条の町長さんが観光のためと、島を借り上げ、公園化、同時に船頭さんを雇い、委託の渡船を始めました。
当時は、島に渡りたい人が岸から赤い旗を揚げると、島から手漕ぎ舟がぎこぎこと迎えに来たんだそうです。
のんびり、ほのぼの~ (^_^)。
昭和11年にエンジン付の小型船に進化(渡し賃は5~6銭)。
昭和26年2月から北条町営となり、昭和29年6月に海運局から事業認可(四国136号)を受けました。
当時の渡し賃は大人10円、小児は5円でした。
ディーゼルエンジン(10~15馬力)の木造船から、昭和38年6月に第11かしま(19.06トン、45馬力・定員45名)へ。
そして、昭和55年10月には第12かしま(19.16トン・55馬力・定員55名)が就航しました。

乗船する時に、待合所で買った切符を船員さんに渡します。
帰りはキップ無しで乗れるので、キップを無くした!とか、そんな心配いりません。
海水浴目的の女の子らを乗せて、船は鹿島へ一直線。
3分ほどの短い船旅です。
夏の日差しが海の底まで届くかのようなキラキラした海をあっという間に渡り切り、鹿島の桟橋に到着。
桟橋の回りは小魚たちがうようよ。

早速に鹿園へ直行し、シカたちに再会。
柵に近寄ると、お昼ご飯を食べてご機嫌だったのか、シカたちはぴーぴー、きゅーきゅー、変な声で啼いてました。

鹿島のシカは昔から棲んでいて、九州の屋久島系だそうで、ニホンジカより小型なのが特徴。
また、年齢によって角が枝分かれしますが、ニホンジカは尖りが四つ、鹿島のシカはほとんどが三つまでだそうです。
県の天然記念物(昭和23年10月指定)で、鹿園のシカは昭和35年8月から保護目的で飼育されています。
飼育員さんからエサをもらったり、売店で売ってるエサを観光客からもらったりしてる園内のシカは、それなりに人に慣れてます。
機嫌がよければ柵の隙間から撫で撫でさせてくれます。
でも、外を徘徊してるシカは別、全然、近づけません。
売店のエサで気を引くか、向こうが人懐っこいかじゃないとダメです。
エサがあっても子鹿やメスは逃げちゃうけどね。

お山に登る前に、以前来た時に工事中だったキャンプ場の方へ行ってみました。
前は海だったところが芝生の公園に変わっていました。
どこかの子供会か、団体さんがテントを張っていました。
使用料も無料だし(大荷物を持ち込む場合は有料だそうです)、おすすめです。
夜は船がないので、ちょっとコンビニへ、ってわけにはいかないけどね。
お風呂は、北条港のシーパMAKOTOや、もちっと北に行ったコスタ北条辺りで済ましてから、島に渡る感じで。

島の海水浴場もキャンプ場寄りに変わりました、昔は島の西側にある水晶ヶ浜がメインでしたが。
堤防に挟まれて、開放感は少なめ。
サメ避けネットもあるし、沖を通過する大型船の波に揉まれることもなく、小さい子も安心です。

鹿島神社にある「要石」のこと。
地震を起こす大ナマズの頭を押さえつけているので、イタズラすると地震が起きます。
茨城県の鹿島神宮にも要石があります。
鹿島の要石は、鹿島神宮から勧請した時に要石も持ってきた、なんて云われてます。
でも、鹿島神宮の要石も、動かしたら、大ナマズが解き放たれて、地震が起きちゃうからなぁ…。
そして、地下に埋まってる部分はとても大きいそうです。
どんなに大きいかというと、水戸黄門でおなじみの水戸光圀も気になって、手下に掘らせたそうです。
すると、どんなに掘っても翌日にはなぜか元に戻ったんだとか。
翌日も、また翌日も、掘ってもまた埋まるの繰り返し。
おまけに、怪我人続出であきらめた、なんて話があるくらいです。
そんな石を持ってこられるわけがないと思うのですが…。
だからって、石にいたずらすると、地震、来ちゃうかもよ。

万葉集にも要石が登場します。
その要石は大ナマズの頭を押さえるのに使われてます。
でももし、要石が抜けちゃっても、鹿島神宮の神様が押さえてくれるので大丈夫、と詠われています。

鹿島神社の前の公園に、とっても背の低い鳥居があります。
あの鳥居には、ある思い出が…。
鳥居の上に石を載せることができたら、願いが叶うって、聞いたこと、ありますよね。
あれを、子供の頃、一緒に島に遊びに来てた同い年くらいの子と、やってました。
石を投げては落ちて、を繰り返してたとき、ふと、隣の子を見て驚きました。
おでこに血が一筋、たら~って流れてて。
自分で投げた石が頭に落ちてきて当たってケガしたみたい。
でも、その子は全然、気がついてなくて、ニコニコしながら、また石を投げてる。
誰かが「血が出てる!」って言ったら、その子、おでこをぬぐった手が血で赤くなったのを見て、
ぎゃ~~~~~っ!て、号泣!
親のところへ飛んでいっちゃった。
さっきまで、普通だったのに、血を見た途端、痛い、痛い!って。
なんか不思議だなぁって、子供ながらに思いました。
当時の親は肝が据わっていて、騒ぎもせず、タオルで頭をぐるぐる巻にしただけで終わり。
まぁ、その子の親もウチの親も、だいぶ、呑んでたけどね。
後日、また一緒に鹿島に行ったのですが、その子はさすがに鳥居では遊びませんでした。

※追記 :2021年夏、鹿島で人生初の島キャンプしました。
夏も盛りの7月末、太陽さんさん。
北条は松山市内より、2、3度、涼しいような気がします。
港に着くと、海風でさらに爽快。
鹿島へ渡ったのは、この「鹿島のお山へ行こう!」の取材以来。
前回と異なったのは、渡船の待合所の前に、自由に無料で使えるリアカーがあること。
キャンプの荷物を載せて、そのまま、船に乗れちゃうんです。
僕は、手押しキャリーを持ってきてたので、使わなかったけど。
午後もだいぶ過ぎてから出発したので、島に着いたのは午後4時頃でした。
キャンプ場に着くと先客が5組くらいました。
先客からなるべく離れた、海に近い辺りにテントを張りました。
島はいつも風が吹いていて、風が抜ける向きに、テントを張りました。
地面が固く、石がゴロゴロしてたので、アルミのペグがへにゃっと曲がります。

気になるキャンプ場利用料金ですが、なんと、無料っ!
渡船の船賃だけでキャンプできちゃいます。
無人のテントがふたつ、みっつあったのですが、鹿島をベースに愛媛を旅してる人がいたのかも。

やがて夕方になり、島はさらに爽やかになりました。
久しぶりに、島を一周してみました。
まだ、通行禁止だったけど、自己責任で。

夏の渡船は最終が夜9時過ぎまであります。
港にある温泉に行って来てもよかったけど、テントでまったりしてたら、面倒くさくなってやめました。
晩ご飯作って食べて、スマホで動画みたいして夜をやり過ごしました。

売店は夕方には閉店してしまいます。
太田屋さんも夕方には閉まってしまいます。
買い物は自販機でジュースを買えるだけ。
なので、晩ご飯は、渡船で渡って町で食べてくるか、食材を自前で用意しましょう。
昼間なら、キャンプ場横の売店でBBQセットを頼めるようです。
島に来る前に買ってきた方が安いと思うけど。

案外、対岸の国道を走るクルマの音が響いてきます。
うるさいバイクは特に。
歯磨きと食器を洗いに、炊事場へ。
照明が消えていたので、スマホの明かりを頼りに、奥のスイッチボックスへ。
その短い間、周囲でカサカサ、小さな足音が…。
照明が灯った途端、足音の正体が、ゴキブリたちだったことが分かりました。
すぐ裏が山で、真横に、糞とかケモノの匂いがするシカの檻があるからでしょう。
夜行性の連中が、一斉に出てきたようでした。
虫嫌いじゃなくても、ゴキさんだけは、ちょっと…。
あっち行け! あっち行け!って、わざと音を出すように、草履で地面をパンパン。
炊事台の上は、近くにあった枝をフリフリ。
そのあと、水洗でキレイなトイレに行ったけど、数は少なかったけど、めちゃ、大きいのいたわ。
テントに帰ったあと、内室入口のファスナをぴっちり、閉めて寝ました。
ゴキもそうだけど、フナムシにも来て欲しくなかったので。
深夜は涼しくて、気持ちよかったです。

朝が来て、テントに日が差したら、また暑い夏が始まりました。
一応、水着も持ってきてたけど、恐ろしく日焼けしそうで、泳ぐのやめました。
ちなみに、キャンプ場横にシャワー室(無料)があるので、泳いだあとに、海水落とせます。
日陰を求めて、山頂の展望台まで登りました。
展望台の日陰で、30分くらい、ぼーっとしてました。
キャンプ場に戻ると、南海放送がなにやら撮影してました。
その様子をまたぼーっと30分くらい、東屋の日陰で眺めて過ごしました。
テントを片付け、キャリーを引きずって渡船乗り場へ。
でも、暑すぎて、頭がぼーっとしてきたので、博物館へ待避。
博物館の館内はエアコンが効いてて涼しいのです。
船をふたつほど見送ったくらい、じっくり涼んでから、渡船に乗り、鹿島をあとにしました。

また、キャンプしに、行きたいなぁ。

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