北三方ヶ森へ行こう!
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嵯峨子林道~登山口
距離 約6.7km
標高差 約470m
国道・県道
林道・農道・私道
徒歩
下記写真の場所
見晴らしあり
  

国道317号線沿い、玉川龍岡下にある林道の入口です。
写真奥が松山方面、手前が今治になります。
今治方面に下る車がカーブから急に現れることがあるので注意。
写真中央、草の中に立っているのが-

目印になる「嵯峨子(さがし)城址入口」の案内板です。



国道から1.5km。
唐突に舗装が終わり、終点まで砂利道です。
この左カーブは立木が無くて-

  

東側の展望がよく、奥には楢原山が見えたりします。
撮れてませんけど、もう少し左の方を見れば丸山も望めます。

公衆トイレがあるこの辺りから春はしだれ桜の名所になります。
道から右に見える小山には、
その昔、嵯峨子城という城砦があったと云われています。

サクラのある開けた辺りは城跡じゃありません。
地形図上に三角点のある山頂がそうです。

広場には小屋が建っています。

春の様子です。
しだれ桜が並木になって咲き誇ります。

見物客は地元の人だけで少なめです。



林道を道なりに走ります。
平日、作業車が通行しているため、
路面は固く締まっていました。



  

3.0km地点にある分岐。
林道本線は右です。
左は鎖で閉鎖された支線です。

崩れた土砂を除去するために置かれてるブルドーザー。
砂防ダム工事が終了したらいなくなってるかも。



国道から4.9kmのU字カーブ。
この急カーブの外側は見晴らしが良くて-

  

水ヶ峠へ下る北三方ヶ森の東尾根を見渡せます。
地図上では無名峰でも、
明治時代の地図には詳細かつ豊富に命名されたピークが並んでいます。
潰ヶ森、皿ヶナル、土居森、焼ヶ峠…。
四国のみちはあの尾根に沿って設けられています。



国道から5.5kmの右カーブ。
正面の谷にある道は砂防ダムの工事通路です。



  

5.7km。
道の両側に土が盛られた右曲がりのカーブ。
正面に道っぽいものが見えますが、
砂防ダムで行き止まりです。
谷の上に山頂が近く見えてます。
でも、登山口はまだ先です。



6km、標高800m付近。
「五葉谷治山運搬路」のプレートが路肩にありました。
まだ開通仕立てみたいな、落ち着きがない路面、法面。
この先一旦、下り坂になります。
初めて通ったときは、急にどんどん下り始めて、
これ以上、上れないのかと、かなりドキドキしました。

路肩から。
今治市内まで続く蒼社川の谷が見えました。
谷沿いに並ぶ家並みや田畑は旧玉川町地域。
重なる稜線の奥に、今治の平野が拡がっています。
燧灘の島々も遠望できました。



  

6.3kmのカーブ。
ここからまた上り勾配に。
写真は帰りに撮ったもので、方向が逆です。

この分岐は帰りに目に入る、間違えそうな分岐です。

北、大西・波方方面がちらり、開けてました。
空気が澄んでれば海も見えるかも。



国道から6.7km。
林道終点の登山口に到着しました。
正確には林道はもう少し、奥まで行けるけど。
道から見上げると、林の上に尾根が見えます。

ひとりごと

くねくねした林道なので、7km近くもあり、歩くと結構、遠いです。
初めて通ったときは、最後まで走りきれるか、自信はまったくありませんでした。
最後まで行けたおかげで、誰も通ったことがなかったこのルートを初紹介できました。

嵯峨子城址について、触れておきます。
国道の入口にも看板があるので、気になってた方も多いと思います。
サクラがいっぱい咲く開けた場所は、城跡じゃありません。
また、ホントの場所には、道案内の看板がなぜかありません。
ホントの場所は、広場からも見える、小さな山頂です。
地形図を見ると、標高510.1mの三角点があるピークです。
広場から林道を奥へ、250mくらい進んだ、ヘアピンカーブから入れます。
道はありません。
踏み跡がありますが、山仕事用の道なので、山頂へは向かえません。
山頂目指して、道なき斜面を数分登れば、林の中に三角点が見つかります。


「愛媛中世城館」から抜粋しましたが、方位が間違っていますね。
北は、右方向。
矢印が指すのは西です。
Ⅱ番の曲輪のちょっと下に林道のヘアピンカーブがあります。

山頂の木を取り払えば、いま、玉川ダム湖になっている辺りまで見通せます。
水ヶ峠を越え、蒼社川沿いに下る侵入者を見張る位置でもあります。
小さな規模なので、砦のような存在だったでしょう。

現在は、城跡より、サクラの名所になっています。
誰がこんなにたくさん植えたのか分からないけど。
その意志は、春、キレイな桜並木となって見事に咲き誇っています。
メジャーな名所でない分、静かにサクラを楽しめます。
地元カメラマンも結構、訪れます。

最後に、林道終点の登山口。
私が最初に訪れたときは、踏み跡なんて一切ありませんでした。
それが数年で、道っぽくなり、手書きの道標まで。
紹介した甲斐がありました。

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