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| 岩屋山は、お遍路さんが途絶えることなく行き交う霊山で、周辺に点在する礫岩の岩峰や奇岩・奇勝を含めた岩屋・古岩屋エリアの総称です。 四国霊場八十八カ所の45番札所・岩屋寺が有名です。 岩屋寺は、久万高原町にあるふたつの霊場のひとつです。 44番の大宝寺から打ち戻る形で大勢のお遍路さんが訪れます。 本堂は標高580m付近の高地にあり、直瀬川に架かる橋からおよそ800m、杉の巨木が立ち並ぶ深山を登ってお参りします。 他の霊場には大抵ある裏参道(車が通れる生活道)も岩屋寺にはありませんので、麓から岩屋寺、そして岩屋山山頂まで徒歩のみで登ります。 岩屋寺の山号は「海岸寺」といいます。 弘法大師が周囲の岩峰を波に浸食された海岸の岩のようだと、「山高き谷の朝霧海に似て 松吹く風を波にたとえむ」と詠んだ歌に由来すると云われています。 奇しくもその歌の通り、お山の周辺は数千万年前まで海の底でした。 砂や泥、礫岩などが堆積した扇状地が断層運動によって隆起し、風雨や山水によって浸蝕され、今日の異様な岩峰をつくり出しました。 学術的には、四国を代表する地層群久万層群の二名層に属し、瓶ケ森や子持権現山も同じ地層です。 岩屋寺や国民宿舎古岩屋荘周辺には円錐状の礫岩峰は約20ほども点在しています。 境内の左右にそびえる凸凹で穴だらけの岩肌は、遠い昔に堆積した岩がすっぽりと抜け落ちた痕です。 家が丸ごと収まるような大きな穴もたくさんあり、岩屋という地名の由来ともなっています。 寺の左右にある礫岩の峰は、山に向かって左が胎蔵界峰(たいぞうかいほう)、右が金剛界峰(こんごうかいほう)と呼ばれています。 国指定の記念物(名勝)です。 岩屋の特異な風景に人々は古来から魅了され、神秘的なものを感じていました。 岩屋寺を開創した弘法大師もそのひとりでしょう。 唐から帰国する際、中国・明州の港にて、修行や密教を広めるのにふさわしい地を導けとばかりに三鈷杵と明王鈴を投げます。 五色の雲に乗って流星のごとく日本に向って飛んで行き、三鈷杵は10年後の弘仁7年(816)、高野山の「三鈷の松」にて発見されます。 一方、明王鈴は四国に向かって飛び去り、前年の弘仁6年(815)、弘法大師は鈴の音に導かれ、お山に分け入りました。 岩山に登ったところ、大昔からこの山にこもって修行していた法華仙人という神通力を持つ女人に出会います。 弘法大師が高僧であることを見抜いた仙人は、この地を大師に献上。 その時、仙人が神通力を持ってして真っ二つに割った岩が「逼割(せりわり)行場」といわれています。 逼割行場は大師堂から山道を300mほど登った先にあり、礫岩の峰が裂けた割れ目の先にある尖った頂きです。 入口は施錠されていますので、納経所にてお札(200円)とカギを受けて入場します。 肩幅ほどの亀裂を二カ所、鎖を伝い登り、最後のハシゴを登ると、足がすくむほどの尖峰の頂きに立てます。 平らな所はなく、大人数人でもう身動きが取れない狭さで、遊びで登れる場所ではありません。 本堂の横にある法華仙人堂跡の岩屋にハシゴで登れない人はまず無理です。 岩屋山の山頂は逼割行場の更に奥に位置しています。 大宝寺から八丁坂を経て岩屋寺を結ぶ歩き遍路道がちょうど山頂付近を横切っています。 遍路道から山頂までの約100mは道がありません。 尾根を外さないように往復します。 国民宿舎古岩屋荘のある辺りの見事な岩峰群は、岩屋寺周辺が岩屋と呼ばれるのに対し、古岩屋と呼ばれ、こちらも国指定記念物の景勝地です。 (岩屋寺周辺はもともと美川村で、古岩屋は久万町に属していました。) 不動岳、権現岳、千丈岳、千窟岳など、比高100mもの岩峰がそびえています。 岩屋寺は山道登りが大変ですけど、こちらは川沿いの遊歩道を歩いて散策することができます。 (ただし、不動岳の不動尊へは橋が通行止めになっているため、簡単に行くことができません。) |
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