山行リスト
↑ 2014年9月の山行記録です ↑
↑ 2013年5月の記録です ↑
↑ 夏まだちょっと早い頃です ↑
↑ 晩秋の霧氷に包まれた頃です ↑
↑ 面河ルートで登ってみました ↑
そのほか 西条観光協会編 石鎚山系登山案内図↓ タッチ! ↓
西条市の観光情報ページにてダウンロードできます。 コース、コースタイム、携帯電話通話可能エリア、 |
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おまけ 国会図書館のwebサイト“デジタルアーカイブス”で、とある本に出会いました。 ※掲載するにあたって現代語訳しています(文語調、旧字多様で読みづらかったため)。 |
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石槌山紀行 | ||
澱水子 | ||
私は幼い頃から登攀を好み、春夏の休みは険しい嶺に出かけました。 |
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「車でちょっとお出かけ…」なんて想像だにしなかった時代に生きた人たちはとにかく丈夫ですね。 叔父が若い頃、重信の横河原まで電車で、後はずっと歩いて石鎚山に登った、という話を聞いたことがあります。 松山から石鎚を目指すルートのひとつは、川内の黒森峠を越え、梅ヶ市集落から堂ヶ森・二ノ森と踏んで行くルート。 いまは廃墟と石垣のみになってしまった黒川の集落。 往時の登山者は窮するとよく、農家に立ち寄り、米を分けてもらったり、夕食を馳走になったりしていました。 山頂での一文に水場の話が出て来ます。 標高も不正確だった時代のことなので、距離や地名など現代とかなり異なっているので、以下にまとめておきます。 ・「老人は、ここから山頂までは更に3里(12km)余りだと教えてくれました。でも、本当は2里(8km)に過ぎませんでした。」 ・「ようやく禅定森山に達しました。その峰は山頂よりおよそそ1里(4km)の下にあって」 ・「一の鎖は長さ17尋(31m)」「二の鎖…は35尋(64m)」「三の鎖は、石鎚一の難所で、75尋半(138m)」 また、堂ヶ森山は、堂ヶ森のことです。 さて、この本を出版した博報堂ですが、CM業界で有名なあの博報堂です。 |
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