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 南麓から 双海塩屋から

上灘川越しに
本尊山(ほぞんさん)
愛媛県伊予市双海町上灘
標高187m
▲山頂の三角点
点 名 本尊山
種別等級 四等三角点
地形図 松山-郡中
緯 度 33°41′22.1277 
経 度 132°38′45.135 
標 高 187.02m
所在地 愛媛県伊予市大字上灘字癸ノ二226の1
本尊山は、明神山・秋葉山の西稜線が海に向かって没する直前に尖りそびえる岩峰と白い鳥居が目印のお山です。

山の名前の由来は、神代の時代まで遡ります。
大国主と少彦名命が国造りを行った際にこの山に登られたという故事にちなんで、伊予の国造(くにのみやつこ=当時の地方の支配者)がこの山を本尊の宮として祀ったところから来ています。

本尊山山頂には由並本尊城跡があります。
お山のすぐ前が伊予灘、南麓を上灘川が流れ、背後は600m以上の明神山が聳える天然の要害の地ゆえ、12世紀後半にはすでに城が築かれていました。
平氏の武将藤原氏による築城と伝えられています。
建武2年(1335)、河野対馬守通有の孫、得能六左門通時が城主となり、同7年から数年がかりで、東西の稜線に10余の郭を連立させた本格的な城砦が築かれました。
ちなみに、通時は、南朝の命を受け、周桑郡の戦にて戦功を得、当時は由並郷と呼ばれたこの地を受領します。
当時の伊予の有力豪族、河野一族が南朝・北朝に分かれた際、由並本尊城も北朝の軍門に降りました(その時の城主は得能通遠)。
得能壱岐守通賢が城主だった天正8年(1580)、土佐の長宗我部氏が四国統一の戦を始めた際、例外なく、当城も猛攻を受けます。
海岸側の山裾に火が放たれ、あえなく落城しました。
天正13年(1585)の豊臣秀吉の四国攻めでは、伊予に上陸した小早川隆景の攻撃により城主・得能通賢は討ち死、再び、落城。
そして廃城となりました。
その後の本尊山は、見晴らしの良さを活かし、魚群を見張る魚見山として近年まで利用されてきました。
魚群探知機による探査が主流となった現在の山頂は、TVの難視聴地域を解消する為の共同アンテナが立っているだけです。
由並本尊城はなくなりましたが、「城ノ下」という地名は今でも生きています。

山頂と海岸線までの直線距離が短い所で250mほどしか離れていない、本尊山の狭い山裾には漁港、民家、国道、線路がコンパクトに収まっています。
登山口に建つ天一神社は一段高い場所にあり、境内には小さなお社が数社、共生するコンパクトぶりです。
(恵比須神社、金毘羅神社、金神天神神社、住吉神社、青麻三光宮、灘邊神社などなど)
山へは、お社の真後ろを通る予讃線の線路を渡ります。
矢竹が元気でヤブがちな狭い道が山頂まで続いています。
麓から見ると急坂な登山道を想像してしまいますが、胸突くような登りはほとんどありません。
鳥居と共同アンテナがある岩場からの眺めは最高です。
三角点はもう一段高い場所にあります。
そこまでの道は、雑木の生える路肩が実質、崖になっていますので注意が必要です。
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松山
14km
500m 向井原
7.8km
100m
天一神社 本尊山
伊予鉄道
松山市駅
郡中港駅

↓伊予鉄バス
↓柆野口・長浜・中学校前行き
郡中 城の下
伊予鉄道
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