八竹山、高穴山は旧北条市にあるお山です。
高縄山を頂点に、高縄山系の山裾が海に向かってスカートの裾のように拡がっています。
そのひだのひとつが八竹山、高穴山です。
両山とも北条の地を始祖とする河野一族が築いた中世城址の地です。
八竹山は標高が100mに届かず、山というより丘のようなささやかなお山です。
田畑拡がる八反地地区の東端にあります。
西斜面には八竹山霊園があります。
上部は愛大農学部付属農場が管理する牛舎が建ち、牛が草をはむ牧場があったりします。
山頂は城址らしく平らかで、三角点が埋まる岩塊と祠があります。
祠は河野益躬神社。
二神氏が居城したと伝えられる八竹山城があったそうです。
そのことから二神山とも呼ばれます。
また、弥生時代の八竹山遺跡も発見されています。
標高は低いですけど、山頂の南端に立てば緑多い北条の平野から瀬戸の多島美を眺めることができます。
八竹山から高縄山方向にあるのが高穴山です。
高縄山へ向かう県道沿いに位置しています。
3つのピークが連なったような姿をしています。
ハッキリとした登山道はありません。
尾根伝いに登ると、高穴城と呼ばれた頃の遺構を目にすることができます。
高穴城には、河野八郎通忠(河野六郎通有の嫡男)、重見孫七郎、二神通範の名が残っています。
天正13年(1585)の豊臣秀吉による四国侵攻の際、小早川隆景の大軍勢が攻め寄せました。
二神、宇佐美、目見田、尾越、難波等が地の利を活かし防戦するも、多数の死傷者を出し、落城しました。
山頂は東西60m南北10mほどに平らかで、小さな祠がお出迎えしてくれます。
祠の横に小さな池があり、この池は干ばつでも涸れないと昔から云われています。
動物たちの格好の水浴び場になっているようです。
登山靴も滑る急斜面には、動物たちもひづめをずりながら登った跡を見ることができます。
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